11−4 彼方にて
「全員、落ち着いてください! 誘導に従いください!」
第六十七魔導官署長、厳島正が声を荒げる。土砂流のように押し寄せる人々は数百人になるだろう。どこまで声が届いているのか分からないが、両手をあげ、怒鳴る様に叫び続ける。
元々声を荒げるような役目は苦手ではなく、元警察が故に統率力の自信はある。そのことを把握した上であの若き総司令は指示を出したのだろう。
御剣には二十五の避難所が設けられている。総人口が四万人であるため、一か所当たり一千六百人になる。それを誘導するだけでも骨が折れると言うのに、避難誘導後は全員を守らねばならない。無茶な注文であるとは思う。だが、それを命じたと言うことは。
「我々を信頼してるという証。ならば、成し遂げて見せよう!」
此世が侵攻したのは夜明けと同時であった。範囲こそは広かったが、多くが小競り合い程度の規模であり、警察の手で鎮圧された。しかし、本命である場所はそうでなかった。多くの戦力が投入されたのは、帝都、八坂、御剣。亜矢人の読みは完全に当たっていた。
まず帝都。公共施設で立てこもりが発生したが、大したことはない。瞬く間に警察に取り押さえられ、施設は奪還された。此世も本気で攻める気はなかったのだろう。おそらくは、現人神である帝にすら刃を向けると大々的に宣言をしたかっただけだ。
大事件ではあるが、大きな被害が出なかったことに胸をなでおろす大多数の中、帝都の片隅で顔をしかめるのが涼風唯鈴だった。戦えないという事は分かっていた。しかし、それにしてもあまりにもお粗末すぎる行動に、呆れるばかりであった。
無論、帝都になにもないことが理想だと言うことは分かっている。それでも、常軌を逸した戦闘能力を持つ身としてはそれを発揮できないのが不満でならなかった。
次に八坂。飯塚亜矢音の能力の『一つ』は、『知覚共有』であり彼女は他の存在と感覚を繋ぐことが出来た。そしてその範囲は五キロメートルにも及ぶ。八坂の中心で、感覚を伸ばし広げる。ただの外壁が、瓦が、小石が、彼女の目となり耳となる。どんなに些細な異変でも見逃さない千の目と耳で捉えた情報を、瑠璃に伝える。
上下に勾配があり、入り組んだ八坂であるが、小柄な瑠璃にとっては何の障害にもならない。旋風のように疾走し、亜矢音の指示のあった場所へ向かう。そして、彼女の姿は皆が知るものではなかった。
笑っているような口元、複眼を思わせる大きな淡黄色の双眼が造形された御面。鮮やかな赤い襟巻がたなびいている。白地の忍者服のようなゆとりのある上衣、下衣には複雑な赤い模様が入っている。変声機でも用いているのか、老若男女をごちゃまぜにしたようなひどく不気味な声で笑う。そんな怪人、奇人、変人の類、つまりは『正誅仮面』である。
魔導官が戦えないのであれば、異なる姿で戦えばよいと、彼女は八坂に入り込んだ者たちを機械的に潰していた。
一方で八坂からやや離れた場所には小さな渓谷がある。そこには『赤橋』という文字通り赤く塗装された鉄橋がかかっており、鉄道はそこを往来する。毎日のように整備が行われ、建造から百年が経つが未だに事故を起こしたことはない。
その橋が崩落していた。部分劣化によるものではなく、外部から意図的な破壊。崩落の始点となった部位は鏡面のようになり、切断されたという事実を物語っている。
「まあ、こんなもんだろ」
犯人は適当な倒木に腰を下ろしながら、欠伸を一つした。
こちらからは攻撃できず、向こうはこの鉄道を用いてマガツを運搬してくる。というのなら、壊してしまえばいい。勿論、正規の鉄道が走っていないことは確認済みであるし、他の鉄道会社にも赤橋が崩落しており通ることが出来ないという旨は伝えてある。故に、被害が出るとすれば。
駆動音が聞こえてくる。攻め入るのなら夜明け前だろうと踏んでいたが、その通りだったようだ。
街灯も破壊してあるため、見通しは最悪だろう。木々を抜けて、銀色の車体が徐々に姿を現す。自ら作り上げたとすれば上等な代物だが、ここを通すわけにはいかない。
異変に気が付き、制止を掛けるがすでに遅い。念を入れて、下りになるように線路も曲げておいたのだ。あれほどの速度と重量を有していては、決して止まらない。
銀は流星のように、夜明けの光を受けながら谷底へと落下する。この下は水深のある河があり、落ちれば鉄道と言えど完全に水没する。乗組員は全滅するだろう。残るは人工不浄だが、上手く海まで流されてくれれば八坂に到達するまで二日はかかる。
車両は一台ではないだろうが、ここを通らず八坂に向かうのならあと四時間は必要となる。その前にこの渓谷を飛び越え、線路を破壊しておくことも手であろう。
「……いるな、出て来い」
立ち上がり、動こうとした時である。僅かな魔力の流れを感じた。渓谷の向こうから跳躍する二つの影があった。強化の魔導を用いているとはいえ、二十メートル近い距離を飛び越えるのは至難の技であるが、それをさらりとこなし、雲雀と相対する。
朱石時也、水無瀬疾風の二人だった。
「ようやく会えたな、掛坂雲雀」
時也の口から零れるのは、呪詛のような声。目は血走り、迸る魔力は禍禍しい。
野田隆一に向けていたような、敬意などは微塵もない。あるのはただ純粋な敵意だった。
「上からの指示とはいえ、長かったですからね」
疾風の口調は冷静のままだが、衝動が抑え切れない、そんな気配が滲んでいる。
「……お前ら、誰だ?」
一方で雲雀は、冷めた表情で首を傾げる。
見た目は若く、あまり変わらないであろう。高水準の魔導を用いていたことから、おそらくは元魔導官と推測できる。
「僕たちのことはどうでもいい。掛坂雲雀、一つ問う。七年前にあった『久慈浜』の件を覚えているか」
七年前、まだ御剣で署長職に就く前のことである。そして久慈浜となれば。
「ああ、あれだろ、捕獲した不浄の運搬中に、輸送鉄道ごと乗っ取られた事件」
たしか蛸か烏賊、いずれにせよ軟体生物の不浄を捕獲したのは良いが、八坂へ運搬する途中に鉄道を飲み込まれた。車内の魔導官ごとである。
時速百キロメートルを超える速度で暴走する車が八坂に侵入することを防ぐために、迎撃に向かい、破壊した。
「その時に、乗車していた魔導官を知っているか?」
「知るわけねーだろ。なんで失態を犯した奴の事を覚えてなきゃいけねえんだよ……ああ、なるほどな、お前ら、あの時死んだ奴の身内か」
二人の怒気が高まるのを感じる。どうやら図星であるようだ。
「はん、なるほど、仕事一つこなせねえ役立たずに裏切り者が二匹か。しょうもねえ集まりだな」
「……言うな」
「どこの誰だか知らねえが、くたばっても俺様に何のお咎めもないってことは、生きてる価値もなかったわけだろ?」
「っ、貴様ぁあああ!」
時也が絶叫する。
眼を見開き、牙を剥き出しにする様は、獣のようでしかない。朱い髪が炎のように揺れる。日本刀の魔導兵装を構える。
「……抜け、掛坂ぁ! ここに人の目はない! 全力で貴様を否定してやる!」
疾風もそれに続き、クリスベクターを構える。
連射性、貫通性は既に亜矢人から聞いていた。この時代の水準を遥かに凌駕するそれは驚異の一言である。だが。
「ははっ」
雲雀は、まるで子供に玩具の武器を突き付けられたように笑った。
疾風は迷わずクリスベクターを発射するが、雲雀の動きはそれよりも速い。一瞬で木々がうっそうと茂る方へと消える。
しかし、その動きを時也は超能力『未来予知』によって読まれていた。
「だあっ!」
刃が振るわれるが、ひらりと躱す。だが、それも読んでいる。放出の魔導、それも極限まで圧縮され、皮膚なら焼き切れるほどの高熱を帯びた一撃が襲う。
わき腹を掠めるが、雲雀の動きに変わりはない。それどころか。
「ほう、『予知』か。魔力に動きがないところを見ると……六之介と同じ、超能力ってやつだな?」
「っ!」
もう気付くか。だが。
「それが、どうした!」
長く隠せるものではないと分かっていた。相手は日ノ本最強の魔導官だ。甘くはない。
異能『身体強化』と強化の魔導を同時に発動させ、雲雀を斬り付ける。相乗効果による上昇率は、時也を人ならざる者へと導く。
太刀筋、速さ、威力ともに申し分ない一撃は、棺型魔導兵装より放たれた鉄刀によって弾かれる。人間の手首程もあるそれを断てるはずはなく、こちらの刃が一部欠ける。両腕に伝わる鈍い痛みに一瞬硬直する。
「よっ、と!」
雲雀がその機を逃すはずがない。回避運動後の不安定な態勢のまま、筋肉だけで右足を振り上げる。
ごつりという低い音と共に、時也は吹き飛ばされる。
「うおおお!」
それを見計らい、疾風はクリスベクターを乱射するも雲雀は時也を背にするように立ち位置を変える。
外せば仲間を傷付けるという状況に、疾風の動きが止まる。
「……ダメだな」
雲雀は大きなため息をつく。
「まず、朱石時也といったか。お前は異能と超能力がちぐはぐだ。『身体強化』の精度は高いが、その動きに『未来予知』がついていってねえ」
未来予知は常時見えているものではない。そして、時也の能力では二秒後しか見ることが出来ない。
この能力は思考制御によって、未来を強く思うことで可視となる。その『思う』という時間は、極限まで高められた『身体強化』にとっては欠伸の出るほど遅く、その間で未来が変わってしまうのだ。
本来、そんなことは起こりえない。だが、人外の速度で攻防を繰り広げる時也にとっては大きな障害であった。
「それと水無瀬疾風。お前はその得物を使い慣れていないな? 銃器なんてものは遠くから一撃必殺を狙うか、滅茶苦茶に連射するかだろう。なんで近付く、なんでもっと撃たない。しかも、身内を巻き込むかもしれないと攻撃をやめる。戦うという心構えすらできていない」
眉間を押さえながら、落胆の意を隠そうともしない。
「素材は悪くないってのに、どうしてこう下手に料理されてるかな」
棺の左側面をコンとたたくと、括られた鉄刀がせり出してくる。それを二本手に取る。
構えはない。ただの自然体。あるがままに脱力し、重心を中央にゆだねる。
「まぁ、いいや。まだ終わりじゃないんだろう? もうちょっとは楽しませてくれ、雑魚なりに」




