11−2 彼方にて
恵の問にしばし悩み、素直に答える。
「異世界」
「ぷっ、あははは、冗談が言えるようになったんだねえ、お母さん嬉しいぞ」
保存されていた精子と卵子を掛け合わせ、人工子宮で育てられた生命。それが生体兵器だ。母などいない。
「何が母だ。血縁も何もないだろうが。それに冗談ではない。本当だ」
「……マジなの?」
「ああ。他に二十四号や四十八号、あとはメンゲレもだ。他のは死んだがな」
「強化実験のメンバーってことか……じゃあ、その学ランみたいな服は」
「向こうでの制服だ」
「学生?」
「魔導官、という奴だ」
「まどう……魔導!? 魔法とか魔術みたいな!?」
「それとは別物だが……まあ、そうだな」
魔導と魔術と魔法は全て異なる。だが、こちらの世界ではどれも似たようなものでしかない。
「え、もしかして勇者とか魔物とかいた!?」
「勇者? そんなものはいなかったが……魔物のようなのはいたな、不浄という名前だが……」
恵の目はキラキラと輝いている。
「すごい……! 本当にそんなのが……」
何がそれほどまでに彼女の心を揺さぶっているのかは理解できないが、異世界に対し関心を持っていることはありがたかった。
「そうだ、一つ聞き忘れていた。超能力者はいるのか?」
「ん、さっき言ったじゃん。『争う人がいなくなった』って。いないよ、一人もね。生産ラインも完全にストップ」
「! エ、エクステンダーは!?」
「ああ、バイオレメディエーションのために使われてぶっ壊れたよ。あんな馬鹿みたいに使ったらそうなるよねえ」
六之介の頬を嫌な汗が流れる。
超能力者はいない、エクステンダーもない。それはつまり、『異世界転移する手段がない』ということ。
「あ、ついたついた。ふー、良い運動だ、これ」
負の思考を切り裂くように恵の場違いな程に軽い声が耳を抜ける。
半開きの扉をくぐると、一面の強化アクリル樹脂で作られた展望室に出る。そこから広がる光景は、緑に包まれた都市、リニアモーターカーが走り、戦時中でありながら民間人が健やかに暮らせる街、のはずだった。
「う、そだろ……」
広がるのはただの荒野だった。あれほどまでに広がっていた緑は一切残っておらす、廃墟と化した街の残り香があるだけ。空は灰色、日の光も届かない。
これが、この国の末路だと言うのか。僅かな国土ながらも有していた肥沃な大地はどこに消えたのか。
「今、全世界でこんなだよ。あ、外は出ちゃダメだよ。死んじゃうから」
部屋に戻り、心を落ち着ける。
この世界に事は正直ショックだった。愛着があったわけではない。ただ、自分たちが必死になって守り、奪ったものが無駄になったことが苦しいだけだ。
「……よし」
頬を叩く。くよくよしている場合ではない。今はありのままを話し、転移する手段を探さねばならない。
室外に出ていた恵が戻る。その手にはコーヒーカップが握られ、湯気が昇っている。
「はい、珈琲。ちなみに残り百二十八個」
「ありがとう……」
久しく味わっていない苦味と香りだった。
生体兵器であるため、本来はこういった嗜好品を味わうことは出来ない。しかし、恵は時折こうやって珈琲を淹れてくれることがあった。それを考えれば、彼女は自分に甘かったのかもしれない。
「君が何をしていたか、聞かせてくれるかな?」
「ああ……自分は異世界に行っていた。そこで魔導官として、生きていた。その世界で大きな異変が起こってしまった。原因はメンゲレだ」
「あー、メンゲレ君か。彼は手段を択ばないからね」
それから、出来事を言い連ねた。メンゲレがしたこと、求めたこと、何故自分がこちらに戻ってきたのか。それを全て隠さずに赤裸々に伝えた。
どれほど話していたかは分からない。ただ気が付けば珈琲は完全に冷めてしまっていた。
「……なるほどね、話は分かった」
「何か方法はないだろうか? もう一度向こうに行ける手段は……」
自分の中にあった手段は完全に断たれてしまった。そもそもこちらの世界がこれほどまでに壊滅的な状態になっているなど予想もしていなかった。
恵は空になったカップを撫でまわし、そっと机に置く。
「……無くはない」
「本当か!?」
「ああ、待って。でも……私としては、正直推奨したくはないんだけど」
「何故だ?」
「簡単なことだよ。君が死ぬかもしれないから」
「!」
「手段としては『再改造』だね、一応方法としては確立されているけど……」
「出来ないのか?」
「いや、簡単。ただねえ……『制御装置』が作動するリスクが高くてね」
制御装置は、全ての生体兵器の記憶の最奥に刻まれた強いトラウマを、管理者に対し強い敵意や殺意を抱いた際に表面化させるという機構である。このトラウマの発現と連動し、交感神経やホルモン分泌組織も異変を呈し、多臓器不全を誘発する。最悪の場合死に至るのは言うまでもない。
それは六之介でも例外ではなかった。
「……それでも」
「とっ、ところで、その木箱は何?」
露骨に話題を変えようと、恵が指をさすのは、交渉のためにと準備をしてもらった向こうの世界の品々。
蓋を開き渡すと、恵は悲鳴を上げる。
「うああ! な、なんだ、肉片!?」
「それは不浄の組織。言ったろ、魔物みたいなのがいたって」
「あ、ああ……なるほど、これが……へえ」
ガラスの容器に入れらたそれは未だに脈動している。もう不浄としては死んでいるが組織自体は生きている。さすがの生命力だ。
恵にとっても興味深いものである様だ。
そしてもう一つ取り出したのは、冊子だった。
「これは? なんか見たことない文字だけど」
「向こうの文字。それは魔導官になるための教科書だ。自分も国家試験の時に使った」
苦い記憶だが、それすらも懐かしい。
もう一つ、布で覆われたものを解くと、恵はそれを迷わずに放り投げた。
入れられたものは四つ。不浄の組織と教科書と効子結晶、あとは血液サンプル。投げられたのは効子結晶であろう。
「な、なんでそれがここにある!」
「は?」
壁にぶつかり落ちた効子結晶を指さしながら、悲鳴染みた声を上げる。
「くっ!」
意を決したように効子結晶を掴むと、迷わずダストシュートに叩き込む。そして投入口をガムテープと完全にふさぐ。
「っはあ……はあ、あ、危なかった」
「危ないって……なんでだ?」
「それはこちらの台詞だよ! 何故君はあれを持っている! あれは『ダークマター』じゃないか!」
沈黙が支配する。
恵の言葉が脳内で反芻される。
「ダ、ダークマター? いや違う、あれは効子結晶で……」
「いや、間違いないね! 私は本物を見たんだ! 見間違えるはずがない!」
どういうことだ。恵が嘘を言っているようには見えない。しかし、効子結晶は間違いなく向こうからもってきたものだ。
恵が慌てて動いた時に落ちた教科書があるページを開いていた。それは旧文明に残っていた世界地図を描いたもの。それを見た瞬間、衝撃が走った。
「井伊奈月さん、さっきの世界地図の画像を見せてくれ! 早く!」
「え、あ、う、うん、いいけど」
立体的に表示された世界地図と教科書の世界地図を並べる。
両者ともに巨大な穴が開いたユーラシア大陸が目に留まる。ヨーロッパとアジアを合わせた最大の大陸。全陸面積の約四割をしめるはずのそれは、大きく様変わりしていた。
ロシア、モンゴル、カザフスタン、中国の部分が海となり、カスピ海、黒海、地中海が繋がっている。ヨーロッパもウクライナやルーマニア、トルコも海となっている。加え、海面上昇の影響か地形も変化しており、多くの国々で国土が極端に縮小している。アフリカ大陸に至っては五つに分断され原形すらない。
南北アメリカ大陸も、ユーラシア大陸ほどではないにしても大きく抉られている。カナダの南東部とアメリカ東部、ベネズエラやコロンビア、ブラジル北部がない。
最も変化が見られないのはオセアニアとインドやタイだろう。そして、日ノ本も影響を受けている。国土が極端に小さくなっていた。
完全に一致する。こちらの変わり果てた世界とあちらの地図が完全に同じだ。
指が震える。情報を統括すれば、それは明らかだった。
ダークマターと効子結晶、完全に一致する世界地図。判読できる旧文明の文字。これは明らかに偶然などではない。
「違う……異世界なんかじゃなかった……自分は、自分は……『未来』に転移していたのか……!」
異世界という不確実なものは、彼方にはなく、傍らにあったのだ。




