10−18 異変 完
「では、どうなさいますか?」
口を開けば、その一言が飛んできた。やはりこの男は元の世界に戻る事しか考えていないようだった。
「そうですね。僕としては、その条件を呑もうと思います」
「僕としては……ですか」
「申し訳ない。折れてくれない人もいましてね……いや、まことに申し訳ない」
頭を下げる。
勿論嘘である。この男を帰す気など微塵もない。ただ時間稼ぎをする必要があった。出来ることならばこの一週間の間にエクステンダーの修理と六之介の転移、帰還を済ませることが出来れば理想的であったが、やはり異世界の物を修理すると言う作業には時間が足りなかったのだ。
彼が帰ってくるまでの三日間、なんとしても時間を稼がねばならない。
「ふー、そうですか。時間も守れない、と」
「返す言葉もありません。おこがましいようですが、五日……いえ、三日で何とか片づけますので」
「三日ねえ……で、それを違えないという保証は?」
「それは……」
「一度約束を違えたのだから、二度目があると考えるのは当然でしょう?」
「耳が痛いですねえ」
肩をすくめて、眉を寄せれば、それらしく見えるだろう。
メンゲレは大きくため息をつくと、人差し指をゆっくりと上げる。
「……では、こちらが条件を提示しましょう。その三日間、魔導機関の活動は全面停止というのはどうです?」
「全面停止、ですか?」
「ええ、そうすれば貴方も説得に集中できるでしょう」
「あー、申し訳ない。全面停止は勘弁していただけないでしょうか」
「何故?」
「そうすると、書類が溜まってしまうのでね」
「く、はははは、それぐらいこっそりと行えばよいでしょうに」
「いや、これ以上約束を違えるのはさすがに……なので、そうですね。魔導機関の『戦闘活動の停止』というのはいかがでしょうか?」
「ふむ、戦闘ね……」
俗物的な理由と、一つの制限の組み合わせは効果的だ。そして、彼がこの三日間で行うであろう事案を考えれば、これだけは飲ませねばならない。
「はい。幸い頻出期は過ぎていますからね」
「……いいでしょう。では、その三日間、何があっても『戦闘行為』しないと」
「ええ、誓います。仮に『此世が攻めてきても』戦闘行為は行いません。仮に戦闘になったのならば、交渉は決裂したと判断してもかまいません」
メンゲレの思考が怪しく変化する。攻撃的な色が示すのは、その自信が故であろう。
「いいでしょう」
「ありがとうございます。また三日後、でよろしいでしょうか?」
「そうですね。まあ、ここが残っていたら、ですけど」
何をするのか隠す気もないようだった。
急ぎ総司令部に戻り、書状を書き上げる。
「まったく、司令になっても忙しさは変わらないなあ!」
魔導官を志した頃は、もっと肩の力を抜ける職場だと思っていたのだが、対極的にもほどがある。
扉をノックする音がした。返事をすると、群青色の髪の女性、菅山朱里が姿を見せる。
「お呼びでしょうか、司令」
「ああ、悪いね。これを各都市の魔導官署に出してくれるかな、大至急ね」
封蝋をした手紙である。魔導都市の魔導官署に向けた手紙であり、内容は言うまでもなく、戦闘行為を差し控えさせるものだ。また都市部に対して此世が侵攻してくる可能性があると記してある。
「了解しました」
深々とお辞儀をする朱里が出ていくと、亜矢人は万年筆を手に取る。
朱里は、此世の内通者である。そして封蝋の捏造をしていることも分かっている。間違いなく彼女は、あの手紙の中身を確認しメンゲレに伝えるだろう。
だからこその二段構えである。
二枚目の書状を急ぎ仕上げ、充分に調教された伝書鳩の脚に括りつける。いずれも緊急事態に備えてのものであるため、半日もせずにこの手紙が届くだろう。
「さて、次はっと……」
旅行鞄を引っ張り出し、適当に着替えを詰め込む。
稲峰六之介が帰ってくる場所は、一つしかない。そして、そこは狙われる可能性が最も高い場所でもある。ゆっくりはしていられない。ただし、ここを留守にするわけにもいかない。それ故に皆を呼んだのだ。
司令室を飛び出し、会議室に飛び込めば幼馴染三人と妹がすでに座っていた。
「すまない、遅くなった。それじゃ早速今後のことについて説明する」
あらかじめまとめておいた資料を手渡す。
「この三日間、此世による攻撃が行われる。範囲は魔導都市と見て間違いない。攻撃手段としては、以前報告にあった人工不浄『マガツ』を中心に『クリスベクター』を用いた銃撃戦だね。襲撃の目的を一言で言えば、脅迫だ。早くエクステンダーと六号、二十四号を渡さないとこうなるぞっていう具合かな」
「随分浅いなあ」
唯鈴が頬杖を突きながら唇を付き出す。
「でも効果的だ。なんせ今の此世を仕切っているのは内部抗争の勝者。血の気も多い連中だ。暴れたくて仕方がないだろう」
「はい、質問。その場合は敵の連絡網なんかはどうなっているんだ? 長距離通信技術はまだ安定せんぞ?」
瑠璃がお手本のように手を挙げ問う。
「その件だが、おそらくは大まかな作戦を立てた後に分散。各都市を襲撃するだろう。そして、どの都市が狙われるかだが」
「帝都、八坂、御剣だな」
「流石ひばりん。僕もそう思う。まずは帝都、まあ、日ノ本崩壊を狙っているのなら間違いないだろう。すずちゃん、よろしく頼めるかい?」
「はいよー、余裕余裕。うちの姫様には指一本触れさせんさ」
鉄壁の降臨者である彼女であれば一人でも問題はない。加え、洗練された親衛隊、近衛も存在している。おそらく此世も帝都を本気で攻める気はないだろう。
「次に八坂は、瑠璃ちゃん、亜矢音、ひばりんで頼む」
「三人もか? あたし一人でも」
「いや、八坂は鉄道網の中心だ。おそらくは御剣であったように鉄道を乗っ取りマガツを輸送、その上、此世信者を市内に紛れ込ませ……という事が考えられるから一人では厳しいだろうね。まずは亜矢音の異能で八坂中を監視してもらう。そして潜り込んだ連中を瑠璃ちゃんと他の魔導官で処理。鉄道網を押さえマガツを狩るのは、ひばりんだ」
「……ぅ、ん、頑張る」
「任せろ!」
「鉄道網を押さえる、ね……ということは、他の都市から応援要請が入った場合は俺がそのまま行けってことか」
「察しが良くて助かる。一応、此世側には全都市が緊急事態に備えているという情報は流してあるから、裏をかくつもりで戦力を偏らせるはずだ」
「大丈夫か、全都市に一斉攻撃の可能性も……」
「そうだね。でもそこまで分散してくれるのなら大丈夫。魔導官はそんなにやわじゃない」
そして根拠はもう一つ。メンゲレの思考を見ていたが故である。彼はこちらを格下とし、甘く見ていることが分かった。亜矢人の異能は深層心理まで見ることが可能であり、敵がまるで用心していないことが伝わってきたのだ。一度であれば完全に手玉に取れるという確信があった。
「亜矢人、お前は八坂か」
「うん。六之介君が帰ってくるならまずここだろうからね」
転移の原理も条件も分からない。しかし、彼が帰ってくると言うのならばここしかない。
「最後に一つ。約束がある。亜矢音に貰った通信機はあるね?」
首肯する。
「彼が帰り、僕が情報を受け取ったら即座に連絡をする。そうしたら反撃開始だ。ただしそれまでの三日間、魔導官は戦闘してはいけないということになっている」
「破っちゃダメなの?」
唯鈴が小首を傾げる。彼女はその絶大な力が故にごり押しで進めてしまう節がある。今回ばかりそうはいかない──と、いうことになってるが。
「破っちゃダメだよ。魔導官『が』戦うのはダメと約束してるからね」
唯鈴が察し、ニヤリと笑う。
「ふふ、確かに多数の魔導官を募って戦いは出来ない。けれど、バレないほどの数だったら……」




