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10−17 異変

 独房を後にし、亜矢人に言われていた実験室にたどり着く。

 重厚な扉の奥には、ちょっとした集落が入ってしまいそうな空間が広がっていた。部屋の隅には用途のわからない機器が並んでいる。金属や合成樹脂で構成されている室内は、明らかに時代を先取りしている。おそらくは遺跡を改造した部屋なのだろう。


 中央にはモビールを思わせるエクステンダーが置かれている。そして、その傍らには旅行鞄ほどの木箱と、五人の人影があった。


「やあ、来たね」


 にこやかに手を振るのは飯塚亜矢人総司令。


「……」


 ぺこりと小さくお辞儀をするのはその妹、飯塚亜矢音技術長。


「久しぶりだな!」


 小さな体で大きく胸を張る瑠々璃宮瑠璃先生。


「やっほー、元気ぃ?」


 相変わらずの露出で、どことなく気だるげな涼風唯鈴親衛隊長。


「よう」


 一際大柄で相変わらずの不敵な笑みを浮かべる掛坂雲雀署長。


「お久しぶりですね……というか、なんというか、壮観ですね」


 皆、一度は顔を合わせたことがある魔導機関の各部門で頂点に座す人々、俊異、創造、夢幻、鉄壁、破壊を冠する『降臨者』たち。

 権力だけではなく、社会的地位、戦闘能力においても日ノ本の五本指とまで称される彼らは、魔導官にとって憧れを通り越し、崇拝される存在ですらあるという。

  

「そうかい? 僕らにとってはただの腐れ縁なんだけどね」


「……七年の付き合い」


「ええい、そんなものはどうでも良かろう! 稲峰六之介! あとフヨウだったな! 大丈夫か、緊張してないか! 飴食べるか!?」


「るりるり、親戚のおばちゃんみたいになってるよ?」


「年取ると縮むそうだが、チビ助はこれ以上縮むのか?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ五人を尻目に、コンソールに手を伸ばす。液晶にしっかりと文字や数式が現れる。

 電源は安定しているようだ。


「フヨウ、分かるか?」


「うん。向こうで弄った時はボクのデータをベースにしていたからね。ただちょっと数があるから時間はかかるかも」


 手はよどみなく動いていく。

 出力だけではなく回転数、倍率などが細かく入力されていく。それでも項目はまだ埋まらない。


「六之介くん、これを」  

  

 亜矢人から手渡されたのは木箱である。中には効子結晶や不浄の組織片、こちらの地図などが収められている。

 これは取引の材料だ。何の証拠もなしに異世界だの不浄だの口にすれば、虚言だと笑われるだろう。しかし、ここにその証拠がある。特に効子結晶と不浄の組織片だ。未知のエネルギー物質に半不死の生物の組織を彼らが欲しがらないはずがない。間違いなく、『もっと欲しい』と言い出すはずだ。そうすれば、再度のこちらを訪れる大義名分が出来る。


「ありがとうございます」


「期限は……そうだな、三日としよう。やれるね」


「はい」


 いつまでも向こうにいるわけにはいかない。急がねば死者が出る。


「エクス、テンダーの……整備は問題ないはずです、なので……ご安心を」


 亜矢音がぽそりと呟く。


「あたしからは不浄の組織片だ! 実習で使うはずのもんだから、死にたてほやほやだぞ!」


 ここにいるのはただの立会人ではない。今回の件に何かしら協力をしてくれた人々なのだ。

 そう思うと、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。


「私からは……はい、これ!」


 唯鈴から手渡されたのは写真だった。微笑を浮かべる華也が写っている。おそらくは魔導官としての証明写真の類だろう。


「あの、どうしてこれを……」


「君の能力は目視間の移動でしょ? だったら、何か見えるものがないと駄目じゃない」


「?」


「愛する人の元に帰れるように、ってことよ」


 唯鈴は悪戯した後のように笑う。

 何故自分が転移をしようと決心したか、彼女にはお見通しのようだった。そっと内ポケットに入れる。


「わかりました。必ず帰ってきます」


「ええ、帰ってきてあげなさい」


 ちらりと署長を見る。

 彼は大きな手を伸ばし、六之介の頭を乱暴に擦る。


「俺から手渡すものは何もない。だが、圧だけはかけてやる」


「あ、圧ですか?」


「おうよ。この件は、お前らが来たせいで起こったもんだ。つまり、責任はお前にもある」


「……はい」


「だから、しっかりと自分の尻を拭く為に帰ってこい。俺たちの為にも、そして、お前の為にもな―――世界を超える覚悟はできているな?」  


「はい!」


「よし、いい返事だ。行ってこい!」


 エクステンダーの中央にある半球状の部位に立つ。

 フヨウに目をやると、力強く頷く。準備が出来たということだった。


 コンソールを素早く操作すると、低い駆動音がした。六之介の乗っていた半球がゆっくりと浮き上がり、モビールの中心で静止する。すると周囲のリング状の三つのパーツがそれぞれ異なった速度と向きで六之介の周りを回転しだす。それを確認したフヨウは、コンソールの側面にあるヘルメット上の装置をかぶった。


 リング状のパーツを介し、フヨウの能力は六之介の全身に付与される。三つのリングによって、同程度に、そして同時に能力が強化されていく。六之介の周りに青白い閃光が生じ始める。六之介にはその光景に見覚えがあった。


 向こうで実験をした時も同じだった。エクステンダーは間違いなく作動している。ならば、必ず向こうに辿りつける。


 忌まわしき世界を思い出す。非人道的な扱い、実験、環境。心休まる時など片時ない場所。鉄と油と血と薬の臭いに包まれた呪われしかの地。そこに住まう人ならざる兵器に、それを産み出した神気取りの人間たち。資源と領土を、そして権力を求めて繰り広げられる終わりなき争い。なんとおこがましい、それでいて悍ましい世界だ。 


 赤と黒、そして灰色の世界。忘れたくとも、決して消えない場所へ。


 ―――さあ、行こう。そして、帰ってこよう。


 光は強くなった。もはや六之介の姿は見えない。リングの回転が最高速度に達した、瞬間。一際大きな音と光が走る。

 閃光の後に、六之介の気配はない。まるで初めから存在しなかったような静けさがある。


「え? え? うそ、なんで?」


 腰を抜かしているのは、フヨウ。そして、火花を散らしながら崩壊するエクステンダーがある。


「そんな……」


「お、おい、これって……」


「失敗、じゃない?」


 前回の転移では、フヨウは勿論の事、エクステンダー自体も対象となっていた。だが、今回は違う。転移したのは『六之介』のみ。

 これでは、向こうからこちらに来ることが出来ない。


「いや、大丈夫だ」


 亜矢人は確信があるように呟く。


「これも想定のうちだよ。向こうに、二十四号と同じ能力者と他のエクステンダーがある可能性は高い。六之介君の話を聞く限り、超能力の強化は積極的に行われていたようだからね。違うかい?」


 フヨウは首肯する。


「うん、知っている限りエクステンダーは三つ開発されていたはず。ボクと同じ能力の人がいるかは分からないけど……同じ能力が発現するのは珍しいことじゃないから、きっと」


「よし、ならまだ諦めるにはいかない。彼を信じよう」


 亜矢人はエクステンダーから離れる。


「おい、どこ行くんだ」


「彼だけに頑張ってもらうわけにはいかないでしょ。ちょっと一仕事をね」


 そう言い残し、実験室を後にする。

 向かうは、メンゲレと約束した喫茶店だ。今日で、彼と話をしてからちょうど一週間になるのだ。つまり、交渉の締結を決める日だった。


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