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10−16 異変

 その夜。

 御剣中央病院二階の個室にて。

 窓の隙間から麗らかな月夜が顔を覗かせている。六之介は椅子に腰を下ろし、静かに寝息を立てる華也を眺めていた。その表情はどこまでも優しく、慈しみに満ちていた。


 華也の表情は穏やかで、顔色も艶も悪くない。一見すればただ眠っているだけである。だというのに、彼女は死に至る病魔に蝕まれている。


「……そんなこと、させられないよなぁ」


 手を伸ばし、頭を撫でる。癖のない空色の髪はなんの抵抗もなく指をすり抜ける。


 思えば、彼女と出会って全てが変わった。御剣に住んだ時、祭りを楽しんだ時、魔導官になった時、そして、人間になろうと決心した時。傍らには彼女がいた。いったい、どれほど救われただろう。


 初めて見た時は、どうしようもない程にお人好しで、透き通る程に純粋なお嬢さん。住む世界が違う様にすら感じたものだ。だというのに、気が付けば肩を並べ歩いていた。弱音を吐けばそれを受け止め、悩めば手を指し伸ばしてくれる。そんな彼女に、本心から甘える様になっていた。


 咲きほころぶ笑顔を大切に思うようになっていた。


「ああ、そうか……これが恋、か」


 口に出せば、なんだか気恥ずかしかった。けれども、しっくりとする。そして何故か不思議と懐かしい気もした。


 ゆっくりと立ち上がる。名残惜しいが、夜行列車に乗らなければならない。

 

「行ってくるよ。それで……帰ってきたら、ちゃんと伝えるから」


 想いのたけをそのまま、伝えよう。

 

 病院から出て、夜空を見上げる。欠けた月がぽっかりと浮かんでいる。


 それにしても、今まで気が付ないとは鈍感にもほどがある。

 嘲笑し、その場を離れだ。

 



 八坂は相変わらずの賑わいを見せていた。さすがは日ノ本一の大都市である。

 魔導機関総司令部の十階からの光景に圧倒される。


「エクステンダーの方は電源の確保も完了している。あとの細かいな設定は君にまかせるよ」


「わかりました」


 亜矢人の後ろを歩きながら、六之介が頷く。

 詳しいシステムや構造は分からないが、設定だけであるならばこなせるはずである。


 二人が向かっているのは魔導機関の外れにある独房だった。そこには二十四号が囚われている。

 螺旋階段を降り、施錠された扉を四枚くぐる。かなり厳重になっており、脱走は不可能だろう。


「じゃあ、頼んだよ」


 鍵を手渡すと亜矢人はその場を離れる。

 同郷の者同士という配慮なのだろう。


 六之介が命じられたのは、二十四号の説得であった。

 独房は薄暗いが、環境は整っているようだ。最奥の部屋からぼんやりと光がこぼれている。


 ノックもせずに、鍵を突き刺すとかちりという音がした。


「よお、二十四……いや、フヨウか


「六之介!」


 浮かべた警戒の色が瞬時に消える。

 まるで犬のように近寄ってくる様は、どことなく友の姿を連想させる。


「なんだ、思ったより元気そうじゃないか」


 独房は六枚の畳が敷かれ、ちゃぶ台、本棚、便所が設置されている。生活をするには不自由がなさそうな空間だった。

 六之介が適当な場所に腰を下ろすと、向かい合う形でフヨウが座る。


「扱いは悪くなかったからね! ちょっと狭かったりプライバシーも何もないけど……」


「独房なんてそんなもんだろう……此世を、いや、メンゲレを裏切ったのか?」


「ううん、そんなんじゃないよ。元々味方のつもりもなかったしね。ただメンゲレさんに着いてただけ」


 相変わらず、どこか飄々としている。

 以前はその掴みどころのない性格が苦手であったが、不思議と今は好感を抱く。


「それはそうと、六之介が生きてて良かったよ! みんな死んだって言うからさ」


「あー、だろうな。自分も死んだと思った。そっちは何人か死んだのか?」


 翆嶺村で長いこと意識不明だったという。考えてみれば、あれはこの世界の魔力に適応できなかったためなのだろう。そして、生きているのはそれに馴染んだためか。


「管理者五人、生体兵器四人だね。生きてても割とボロボロだったけど」


「お前は平気か?」


「心配してくれるの? ありがとう! うん、平気だよ。生きる分には、って感じだけどね。戦ったりは……ちょっと厳しいかな」


 頬を掻きながら、苦笑する。

 

「戦うも何も、お前は戦闘用じゃないだろう」


「えへへ、そうなんだけどね……六之介」


「なんだ?」


「本題は?」


 能天気に見えて、しっかりと物事を捉えている。以前まではこれが苦手だった。

 向こうでは仲間などいるようで、いないようなもの。相手をどう欺くかが基本となっていた。だが、今は違う。これは心からの願いだ。


「フヨウ、お前の力を貸してほしい」


 すなわち、超能力を強化する能力。発現程度はランダムだ。しかし、それを安定させる器具がこちらにはある。


「メンゲレが寄生虫を作りだしたのは知っているな? それによって甚大な被害が出ている。自分はその治療法を確立させるために、元の世界に戻らなければならない」


 誰を連れてくるべきかという目星はついている。というより、『彼女』以外はあり得ない。

 ただ問題が一つ。それは向こうに行って帰ってきた際の環境だ。向こうの人間にとって、こちらの魔力は毒だ。連れてきた人間が死んでしまっては元も子もない。

 しかし、それの対策も考えてある。あとは、フヨウの力を借りるだけだ。


「当然、危険は伴うだろう。だが、今はお前しか」


「いいよー!」


「いない……え?」


「オッケー! もういくらでも手伝っちゃうよ!」


 頬に両手を当て、嬉しそうにくねくねと踊る。


「恩人の君に頼まれるなんて! もう、嬉しいなあ!」


「……言っておくがあれは、上から命じられて助けただけだ……だから」


「そんなの分かってるよ。でもさ、あんなに声をかけてくれたのも命令?」


 言葉に詰まる。


「『大丈夫か?』『傷むところはないか?』『遅くなってすまない』『痛み止めを呑め』『自分と一緒にいれば安全だ』『絶対に死なせない』、瀕死のボクをずぅっと励ましてくれたじゃない? 嬉しかったなあ……あんな優しい言葉をかけて貰ったことなかったから」


 フヨウの中に刻まれた唯一の色のある記憶。


 産まれた時から下等生体兵器として罵られてきた。安定しないだけでなく、既に手順が確立している能力、加え、お粗末な身体能力。褒められたことは一度もなく、気が付けば隣国との領土争いの最前線で捨て駒として扱われていた。チーム内に協力関係はない。ただ言われたことをするだけの人を模しただけの機械の集まりだった。幸運にも、そのチームは四度の衝突まで生きていた。それが全員そろっていた最後であった。


 『○島防衛線』にて、まず隊長がパイロキネシス能力により焼死した。次に女性隊員二人が捕らえられ、四肢をもがれ凌辱された。副隊長は逃亡を図ったが射殺された。残るはボク一人だけ。武器はなく、通信機も破壊されている。その上、敵に完全包囲された。文字通り、打つ手はなかった。死が訪れるのを待つだけだったが、自殺を選ばなかったのは、僅かにこびりついていた生への執念だろう。


 たった一人になって、三日目。敵に異変が起こった。包囲網が崩れたのだ。何が起こっているのか分からなかったが、後々聞いた話によるとナンバーズの一位から六位が投入されたらしい。たったの六人の手によって隣国の本隊は壊滅させられたというのだから、驚きしかなかった。


 ボクは全身を負傷していた。擦り傷は百を超えていただろうし、骨折も両手では数え切れなかった。栄養も足りず、ただぼんやりと敵国を飲み込む炎を眺めていた。

 その時だった。正面に彼が現れた。


 傷一つない装備に、眠そうな目。ヘルメットの隙間から飛び出る二本の癖毛。彼はそっと膝をつき、手を差し伸べた。

 気が付けば、ボクは彼に背負われていた。何度も浴びせられる初めての励ましの言葉、そして服越しに感じる体温が心地よかった。そして、驚いたことにボクたちは空を飛んでいたのだ。ヘリコプターや輸送機では味わえない生身の空の感覚。太陽が近く、雲を掴めそうで、空気が冷たく澄んでいる。鳥になったようだった。


 あの時からだ。ボクが彼に憧れる様になったのは。そしていつか役に立ちたいと思う様になったのは。


「……六之介、ボクは君が好きだよ。それがボクの中にある唯一の観念。そして、いつか君の役に立ちたいとずっと思っていた」


 胸元に手を当て、瞼を降ろす。祈る様にも、言い聞かせるようにも見えた。


「君は、ボクが必要なんだろう? だったら、遠慮せずに使ってほしい」


「……わかった。フヨウ、借りるぞ、お前の力」


「うん!」


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