10−11 異変
「……ふう」
魔導機関総司令部の司令室。中央にある書斎机に腰掛け、飯塚亜矢人は大きなため息をついた。
デスクワークというものは決して苦手ではない、むしろ得手としており、一日に常人の十倍近い量を処理できるだけの能力が彼にはある。
ため息の原因は書類の量ではなかった。
日ノ本各地より『奇病』が報告されていた。『昏睡病』と名付けられた病による死者は三百人を超えている。多くの死体を回収し、解剖した。脳、食道、胃、小腸、大腸、腎臓、膀胱、肝臓、肺、あらゆる臓器について調べた。組織の変質、毒物、寄生虫感染、あらゆる可能性を疑ったが、未だにその原因が分かっていなかった。
生存している患者は二十三人。全員を八坂中央病院で診た結果、覚醒状態から突然の意識の喪失が起こるという事が分かった。最初のうちは一秒にも満たなかったが、徐々に意識喪失時間は延長していく。次第には運動中に意識を失い転倒する、食事中に意識を失い喉を詰まらせるという状態にまでなり、最終的には眠りから目が覚めなくなる。叩こうが薬物投与しようが刺激を与えようが、目を覚ますことはなかった。
医師会は『昏睡病』の原因究明に全力を注いでいるが、結果は芳しくない。決して彼らは無能ではない。日ノ本における貢献は魔導機関に引けをとらないだろう。そんな彼らでも対応出来ない程の奇病が日ノ本に広がっていた。
どすどすという足音が聞こえてきた。魔導機関総司令部の扉は分厚く、頑強にできている。それでも防ぎきれない程の足音を生じさせる人間を一人しか知らなかった。
ノックもなく、乱暴に扉が開く。立っていたのは予想通りの金髪の大男。
「おう、亜矢人、来てやったぞ。感謝しろ」
「……時間をつくれって言ったのは君だよね?」
深夜、通信機から聞こえた声を思い出し眉を顰める。
「まあいいや。で、その子かい? 会わせたい子って」
雲雀の隣には、彼の半分ほどしかない程小柄な少女が立っている。随分と派手な装飾の和服を纏っているが、それが良く似合うような華やかな容姿をしている。
「うわあ、またイケメン! 魔導機関、顔面偏差値高い!」
頬に手を当て、悲鳴染みた黄色い声を上げる。
雲雀は眉間にしわを寄せ、やかましいと怒鳴る。
「てめえはさっさと伝えるべきことを告げろ。ぶつぞ」
「す、すみません! どうも、はじめまして。ボクは生体兵器『二十四号』です。皆さんの言う『来訪者』です。『フヨウ』とお呼びください!」
「……ほう、来訪者ね。何の御用かな、お嬢さん」
「六之介に会いに行こうと! ボクは『此世』で研究の手伝いをしていたんだけど、六之介の話を聞いてね!」
どこかとぼけた風貌の、魔導官とは思えない程対人戦に慣れている男がいる。そして、魔導とは異なる力、『瞬間移動のような力』を用いる。
それを聞いて、はっとした。『六号』、六之介であると察したのだ。
「もう駄目だって、死んだって思っていたから」
「それは何故?」
「うん、ボクたち、来訪者はこっちに来てすぐ異変を呈したんだ。ちょっとした体調不良から始まって呼吸困難とか意識混濁とか……来訪者は管理者が六人、生体兵器が七人だったんだけれど、管理者は五人、生体兵器は四人死んじゃった。それで六之介は転移した時から行方不明だったから、もう駄目だろうって言われたの」
「……魔力が原因だね」
「そうみたい。ただ運が良かったのは『此世』に拾われたこと。彼らは魔力の少ない環境を創りだすことに成功していたから、そこで一命をとりとめたんだ。最初のうちは、その恩返しのために技術協力してたんだけど、此世の中に来訪者の力を借りて魔導機関を潰そうって人たちが現れ始めてね。唯一生存していたメンゲレさんは元の世界に帰りたがってたから、相互協力するようになったんだ」
『此世』がこれほどまでに力を得たいきさつは、祁答院八雲からの情報から推測できていた。それはやはり当たっていたようである。
「メンゲレが求めたのは、エクステンダーの捜索と超能力者の創造のための実験材料の取集ってところか」
「その通り! 超能力者の方はノウハウがあるからすぐに創れたんだけど、エクステンダーはどこを探しても見つからなくてね。おそらくは魔導機関が回収済みだろうって」
「そうだね。保管してある」
「やっぱり。それでメンゲレさんは本格的に動き出したんだ。魔導機関を潰してエクステンダーを奪おうってね」
六之介がそちらに入れば超能力者の創造などしなかっただろう。仮にそうであったのなら、民間人を手に掛けるようなことをしなければエクステンダーの使用は許可しただろう。だが、今はそれを承認できない。日ノ本国民の多くを手に掛けたのだ。しかるべき罰を与えねばならない。
ボタンの掛け違いが、大きな歪みになっていた。
「しかし、何故君は裏切ったんだい?」
「裏切るも何もボクは命令されただけだったから。『超能力付与が安定するまで協力しろ』って。だからそれが安定した時点で命令の有効期限は切れていたから、好きに動こうって」
「なるほどね。で、六之介君の元へと」
「そう! 好きな人と一緒にいたいのは当然でしょ?」
信用が出来るか否かの判断はつかないが、彼女は嘘は言っていない様だ。亜矢人の異能である『読心』は常時発動している異能であり、何かしらの意図があるというのなら即座に分かる。彼女には全く裏がない。あるがままに心のままに話している。
「なるほど、わかった。じゃあ、君の処遇についてだけど」
フヨウの目が輝く。
「ひばりん、牢にでもぶち込んどいて」
「……へ!?」
完全に予想外であったのだろう。間抜けた声で目を見開いている。
「何を驚いている? まさかこのまま自由になれるとで思っていたんじゃあるまいね? 仮にそうだと言うのなら……あまりこちらを舐めるんじゃない」
絶えず浮かべている笑みが消える。全身を貫くような怒気がフヨウを襲う。小馬鹿にしていたということはない。だが、その物腰の柔らかさから甘い男であると踏んでいた。しかし、それが大きな誤りであったことに気が付く。
決して多くはないが、戦場を渡り歩いてきた。死と隣り合わせになったことも幾度となくある。それでも、これほどの恐怖を感じたことはなかった。静かに、だが確実に這うような殺意が足元か登ってくる。
「本来であれば、君はこの場で処刑されても不思議ではない。そもそも戸籍もないんだ。この場で死んだって誰も気にしないしね」
亜矢人の声は人形が発するものであるように冷たく、平坦なものである。
「命令されたかどうかは関係ない。君のしてきたことを我々は看過できない」
無辜の民を傷付ける原因となったのは彼女らの振る舞いが故である。生まれ育った土地でつつましく生きていただけの存在を、利己のために殺めた。そんなもの許されるはずがない。
「うぅ……」
視線を逸らす。亜矢人はその動きに一種の安堵を覚える。
生体兵器といえども、人間らしい良心は有している。それを感じ取る。ならば『管理』が出来る。
「だが、贖罪の機会を与えないというわけではない」
「!」
「日ノ本各地で『昏睡病』と呼ばれる奇病が発生している。これは日ノ本という国が建国されて以来、全く例のないものだ。これについて心当たりはないかい?」
病原体の突然変異による未知の疾患と言う可能性は大いにあるだろう。しかし、それならば原因不明にはならない。原因や毒素、感染経路などの全てが一同に変わると言うことはありえないためだ。日ノ本の医師会は無能ではない。突然変異程度であるならば、かならず原因を突き止める。しかし、それが出来ていない。となれば考えられるものは、外部からの流入、もしくは新たな原因の創造である。
亜矢人の問いに、フヨウの思考に変化が見られた。口にせずとも、心当たりがあることが伺えた。しばしの沈黙の後に、弱々しく唇が動いた。
「えっと、それは……血液、見た?」
「血液? ああ、調べている。異常はなかったはずだ」
血液中に毒素の混入は見られなかった。
「染色はした?」
塗抹標本による検体の観察は行ったはずである。だが、彼女の言葉に偽りがないとすれば、血液に何かしら異変が生じている、ということ。
至急連絡をせねばなるまい。
「ひばりん、彼女を亜矢音の所に連れて行ってくれるかい? 僕はやることがあるからさ」
「しょうがねえな。医療系は完全に管轄外だ。風邪もひいたことねえしな。任せるぞ」
「任せてくれ」
この情報が治療方法確立の一歩になればよいのだが。




