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10−5 異変

 およそ二十分の捜索の結果、同様の死骸が五つ発見された。

 しかし、不浄の足跡や姿は見られない。基本的に不浄が広域に動き回るということはない。獲物がいる限り、縄張りのように同じ地域に留まる。この竹林は猪や猿、鹿、野犬といった動物が多く入り込むと事前に知らされている。不浄にとっては、この上ない狩場であろう。


 となれば、どこかにいるはずだ。洞窟や穴倉といった寝床に当たるものを探すのも手であろう。


 皆が情報を共有しているときである。ずんという音がした。それは大きな振動を伴うものではなく、何かが地面に突き刺さるような音であり、遅れてめきめきという軋む音が聞こえてくる。


「皆、警戒を」


 綴歌の声に、緊張が走る。

 何かが来ているという重圧は感じる。しかし姿が見えない。無数の竹が風に揺れる。葉がこすれ合い、あざ笑う。

 

 どこにいる。


 綴歌の頬を冷たい汗が流れる。


「ひーちゃん、何か見えない!?」


「何もないってぇ!」


「でも、周辺の魔力量が上がっている……何故?」


 藍の言葉通り、環境魔力量が増大している。不浄が近付いている証拠である。だという見えない。

 考えられるものは、二つ。


 地下か、空か。


 六之介が魔導兵装『金剛』を振るう。生じた大気の振動が周囲に広がり、彼の脳内にマッピングされていく。竹の数や形、地面の凹凸、朽ち木の場所、動物の死骸、そして、忍び寄る異形。


「……うわお」


「見つけましたか?」


「うん、上」


 指さす先に、竹林を覆う様な大きさの蜘蛛がいた。普通の蜘蛛のでっぷりとした腹と比べると異様に細長く華奢である。ナナフシのような印象さえ受ける。体色は茶色と黄土色であり、四対の細長い脚が伸びている。その脚には竹を思わせる節が等間隔で並び、地面に到達するころにはどれが本体から伸びたものであるのか分からない。


「む、むし、ですの……」


「蜘蛛は虫じゃないけどね。名前どうしよっか。『タカアシ』とかにする?」


 ネーミングセンスに自信はない。もう少し捻りなさいと叱責されるかと思ったが、綴歌の顔は引き攣っり青褪めてる。虫が苦手なのだろうか。


「さあて、皆、初陣だ。死に物狂いで生き残るんだよ。まず、この場合はどうするのがいいかな? やってみよう」


 どこか場違いな程に間の抜けた物言いだったが、硬直していた三人が魔導兵装を構える。

 まず動いたのは、藍であった。


「わ、私が、やってみます……!」


 藍のみがこの実習中で魔導兵装を変えた。小太刀型から本型のものとなり、それを開く。頁にはびっしりと魔術式が刻まれている。魔力を流すと同時に板状の形成物質が無数に現れる。そして、頁を変え、放出の魔導を放つ。


 脚はある。しかし、それがどこであるのかはっきりとは分からない。ならば、おおよその当たりをつけた広範囲攻撃という選択だった。


「翡翠!」


「りょうかぁい」


 形成物質を足場にし、魔導兵装を用いて棒高跳びのように跳躍する。強化の魔導を兼ねているその高さは、タカアシを超える。落下速度を利用し、頭部を殴打する。身体は大きくとも、脚は擬態のために異様に細い。つまり、衝撃には決して強くない。

 タカアシの身体部分ががくりと落ちる。その隙を逃さない。


「でええええりゃああああ!」


 強化の魔導による青い光と手甲型魔導兵装に備え付けられた加速装置の赤い光が混ざりあい、不浄に叩き込まれる。

 骨に響くような手ごたえがあった。しかし。この程度では不浄は倒れない。


 身体をくの字に折り曲げると、尾部より糸が放たれる。

 中空にいる紅音は回避が間に合わない。それを翡翠が盾を形成し防ぐ。


「ありがと!」


「お礼は実物がいいなぁ」


 降り立ち、敵を見上げる。八つの空色の複眼が彼女たちをしっかりと捉えている。



「へえ」 


 六之介は素直に良い動きだったと感心する。行動の選択も悪くない。単体では危なっかしさも目立つが、それを補える関係が出来ている。

 幼馴染とは聞いていたが、これほどまでに息の合った連携を出来るものはそう多くはないだろう。


 ただ惜しむのは、魔導兵装の選択か。

 もっと殺傷力の高いものであれば今の攻撃で決まっていただろう。だが、無理やりに変えろとは言えない。魔導兵装には相性というものがある。戦い方、魔導への適正、仲間たちとの関係、異能、あらゆるものが関与する。おそらくは、今の魔導兵装が紅音には合っているのだろう。


「どう、綴歌ちゃん」


「ええ、かなり良いと思います。新人離れしていますわね。ただ一つ気になることは」


 連撃と叩き込もうと紅音と翡翠が飛び上がる。だが、それをタカアシが薙ぎ払わんと脚をもたげる。


「!」


 直撃する、寸前。奇妙な感覚が二人を襲う。全身の感覚が溶けてなくなるような、心地よい麻痺とでも呼べばいいだろう。


「少々、攻撃に偏り過ぎですわね」


 気が付けば二人の前に綴歌がいる。敵の攻撃範囲から遥かに離れた場所だ。


「え?」


「何が?」


 異能による救出は、彼女の十八番である。最近は魔力量の上昇につとめているためか、作用時間が長くなっているという。


「もう少し観察してから動きなさい。敵は一撃では死にませんが、こちらはそうではありませんわよ」


「ひゅー、かっこいいー」


「からかってます?」


 六之介の歓声にやや怪訝な表情に棘のある物言いをするが、内心では悪く思っていないのだろう。にやけてしまっている。


 何が起こったのか、二人には理解できていないが綴歌による援護であると直感的に察する。


「す、すみません!」


「ありがとうございますぅ」


 軽い会釈の直後に、迷わず得物を構える。

 一度危機的状況を味わえば、恐怖によって身体は自由に動かなくなる。心が凍り付き、戦意は掻き消える。だが、彼女らにそんなことはない。持ち前の負けず嫌いが助燃剤として働き、闘志はより激しく燃え上がる。


「二人とも、このまま臆することなく戦いな。箔付けになるぞう」


 この不浄は強大ではない。蜘蛛という性質上、鋏角に毒を有しており、それによる噛み付きで毒を注入、体内から溶解させることはあるだろう。しかし、不浄の正面で棒立ちしない限り当たることはない。並みの運動神経では回避不能な速度でも、魔導官であれば話は別だ。

 それにタカアシに捕食されたと見られる野生動物は、後ろ足や臀部のみに傷があった。傷痕がこれだけであるというのは一撃必殺を意味しているが、負傷箇所から推測するに敵は不意打ちしかできない。この長い足を見れば当然だろう。どう見ても迅速に動くものではない。

 背後から擬態して近付き、胴体をゆっくりと降ろし、噛み付く。ありありと想像できる図である。


「わかりました! 絶対に勝ちます! 藍ちゃん、援護よろしく!」


 同じ過ちは繰り返さない。

 飛び上がれば容易には動けずに攻撃を食らってしまう。ならば、地味でも確実に削ればいい。

 藍の放出の魔導がタカアシの胴体に直撃する。ゆっくりと足を動かしながら、攻撃対象を彼女へと移す。しかし、それこそが狙いだった。如何なる擬態であっても、動いてしまえば無意味である。


 すかさずに翡翠が走り、敵の脚に傷をつけていく。決定打にはならないがそれでいい。これはあくまでも目印。本命は。


「紅音!」


「了解!」


 紅音が殴打すれば、竹を模しただけの甲殻が砕け、折れる。植物のような線維を有していないため、弾性は低い。一本、二本、三本と続き、脚を半数以上失うと、敵の体勢が崩れる。

 震え、傾き、ついには地面に転倒する。

 いくら不浄といえでもあの長さの脚を再生するのには時間がかかる。それは魔導官が一匹の不浄を屠るのに十分な間であった。


 紅音が拳を握り疾走する。勢いを殺さずに、そのまま最大速度で、全力で。


「でええええりゃああ!」


 乱暴に叩き付けられた拳は、不浄の頭部を完全に粉砕した。牙は折れ、甲殻はひしゃげ、体液が飛び散る。全身を大きく動かすと、そのまま力なく伸びていく。

 紅音、翡翠、藍が肩で大きく呼吸をする。じりじりと離れ、魔力の霧散、つまり完全な絶命を看取る。


「か、勝ったぁ?」


「や、やれた……」


 ぺたんと腰を下ろしてしまう。どっと汗があふれ出る。脳内麻薬によって麻痺していた恐怖感が押し寄せ、興奮と複雑に混じりあう。

 そんな中で、ただ一人、紅音は勝利に酔っていた。


 声には出さない。しかし、自らの力への自信が、確信へと変わった。


 ――私は、強い。


 そう、強いのだ。右腕に残る感触が、目の前に死骸がその証拠だ。

 

 ――あの人とは違う。


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