9−27 友
時は、ほんの少しさかのぼる。
日ノ本第二級魔導都市『八坂』、『黄泉ノ逆道』にて。
六之介は全身に広がる激痛に、声すら出せずにいた。熱を感じることも、音が聞こえることも、緑が香ることもない。ただ痛みだけが彼の身体を蹂躙している。魔導官服は脂汗でびっしょりと湿り身体に纏わりついている。その僅かな衣擦れですら、痛みを誘発してくる。
「……長いな」
その様子を魔導機関総司令、飯塚亜矢人は見ていた。
『災禍』の移植。これこそが異能を授かる手段である。魔導官のみに許される倫理観に反するような行為。
本来であれば三から五分が適合にかかる時間である。中には一瞬で取り込んだ者もいたが、それは異端、例外中の例外だ。
六之介に移植が為され、そろそろ八分になる。移植は体力と魔力の消耗が激しく、長引けば生命の危機に瀕する恐れもある。既定では十分を超えても適合が見られなかった場合、移植組織を取り出すこととなっていた。
異世界人という存在がためか、災禍の力が彼には適合しないということは考えられる。しかし、それでも実行したのは六之介の中にあるモノを見たためだった。
亜矢人の異能は『読心』である。これは他の異能とは異なり、常時発動してしまう力であった。それがはっきりと若き魔導官の、燃え盛るどす黒い炎を読み取っていた。
友を奪われた怒り、守れなかった自身への怒りが相乗しているとでも言えば良いだろうか。穏やかな、普段通りの装いからは感じられないほどの激情があった。それは決して消えることなく、いずれは自身をも焼き尽くすものとなることは明白だった。それ故に、多少は力技であっても熱を吐き出す手段が必要だった。
びくりと六之介の身体が震えた。
苦痛に染め上げられた呼吸音が、ひどく穏やかなものに変わり、ふらりと立ち上がる。
「……こ、れは……」
掌の傷は完全に消え去っていた。先ほどまであった痛みは霧のように消え失せ、心地よい穏やかな魔力の流れが六之介を包んでいる。
「適合したようだね、おめでとう」
「適合……じゃあ、自分に異能が?」
「そうだとも。ただ直ぐにでも使えるかどうかは分からない。そしてどんな力が授かったかも分からない」
「どうやれば、発動できるんでしょうか」
「さてね。そのきっかけを掴むのに時間がかかるのさ。なんせどんな力か分からないんだからね、色々試してみるんだ。遠くのものを動かそうとしてみたり、温度を上げようとしてみたり」
自らの手で条件を見つけなければならないということ。
中々骨の折れそうな作業になりそうで、乱暴に頭を掻く。そう簡単に力は手に入らないということだろう。
ビーという金切り声が響き渡った。
亜矢人が懐から通信機を取り出す。
「やあ、僕だけどどうかした? ……、……なんだって?」
終始穏やかな表情の亜矢人の顔が険しくなる。
声の主が誰であるかは分からないが、何やら逼迫した状況であることは伝わった。
途切れ途切れであるが、その内容は聞こえてくる。
御剣市内、不浄が複数体侵入、魔導官が応戦中。
「!」
駆け出す。
「待った、稲峰君! 君はまだ体力が回復してないだろう! それに、御剣までどれだけ急いでも五時間はかかる!」
この世界にある最速の交通手段は鉄道である。御剣、八坂間を走る最短時間は五時間と十五分。応援に行くにしてもあまりにもかかりすぎる。
六之介の脚が止まる。ゆっくりと振り返り、悪戯っ子のように笑う。
「大丈夫ですよ。自分は……何よりも『速い』」
風が吹き抜ける。木々が騒めき、みっしりと覆い茂った緑の間に青が覗いた。瞬間、六之介は消える。
一人残された亜矢人は、一度だけ顔をゆがめると踵を返した。魔導機関の長がこんな場所で屯っていてはいけない。為すべきことがあるはずだ。
瞬間移動し、灰色の巨人の首元に刃を突き立てる。完全に埋もれているが、人体の構造でいう頸動脈の場所だ。傷付けられればその出血量が故に致命傷に至るだろう。しかし。
「ちっ、刺さりもしないか」
強固でありながらも、ゴムのような伸縮性を有する皮膚がそれを防いでいる。
元々お粗末な剣術であるため、断ち斬るといったことは難しいだろう。故にこういった乱雑な刺突を選択した。だが、それでも効果がない。ならば狙う場所を変えるだけだ。
捕食せんとばかりに伸びる掌を躱し、正面に移動する。頭部はほぼ胴体に埋もれている。だが。
「目なら、どうだ!」
体重を掛ける。ずぶりと粘着質な感触、刃が半分近く埋まる。いくら不浄が巨大と言えど、このまま突き刺せば脳に達する。そうすれば息絶える。
なんの躊躇もなく押し込み、乱暴に動かす。血液と眼球であったものが飛び散る。
―――勝った。
しかし。不浄は大きく跳躍する。そのままボディプレスをするように、周囲の建物に飛び込む。
「六之介様!」
華也が悲鳴を上げるが、すぐ隣に六之介が現れる。
「はっ、はあ……くそ、あいつ、もしかして……」
「ご無事で……はい、翆嶺村の不浄と同じ、だと思います」
ぎりと歯ぎしりをしながら、のそりと立ち上がる不浄を睨みつける。
これも人工不浄というわけだ。となれば、脳を破壊しても意味はない。核となっているものを破壊しなければならない。
だがそれがどれだけ困難であるか。
まずはあの皮膚だ。斬れない。仮に斬れたとしても、不浄の再生能力があり一瞬で回復してしまう。その上、巨躯だ。あの時の不浄の十倍以上はあるだろう。強固な皮膚の下にある筋肉、脂肪、骨が核を覆い、守っていることは間違いない。
現状の攻撃力では致命傷を与えることはほぼ不可能だ。
「華也ちゃん、他の魔導官は?」
「綴歌さんが向こうに。他署の魔導官は……おそらく、捕食されたと……」
つまり援護も望めないということ。
自分たちだけで何とかしなければならない。
どうする。何か手はあるのか。あれほどの巨体にダメージを与える手段。
爆発物。却下だ、こんな市街地では被害が大きすぎる。何よりそれだけの量を集めることが困難だ。
着火。小雨の降る現状では不可能だろう。
何かないか。何か、そう、例えば、膨大な質量による―――。
「!」
あるではないか。
ここは駅前だ。ならば。
「華也ちゃん、ちょっとお願いがあるんだ」




