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9−26 友


 次いで、ずんという地響き。それは徐々に大きくなり、窓硝子が甲高い音を立てる。逃げ遅れた人々の悲鳴が木霊し、一瞬で掻き消える。

 何か巨大なものが迫る気配を感じ取る。


 三階建ての集合住宅が崩壊した。土壁が砕け散り、柱がひしゃげる。家具や生活用品が無残に叩き付けられ、踏みつぶされる。

 土煙の中から現れたのは、丸々とした人型の不浄。一見すると肥満体のようだ。全身は鬱血したような紫色で、所々に蛇のような血管が走る。頭部は胴体にほぼ埋まっており四対の目がぎょろぎょろと止めどなく蠢く。異様に長い腕はやはり地面を捉えており、人型で、直立しながらも四足歩行といった姿をしている。

 一見すると斑鬼灯に似ているが、体毛がなくつるりとしている。そして。


「大きい……」


 全高は五メートル近くあるだろう。人型を保てていることが奇跡的な大きさだった。

 

 火をつけるにしても、小雨が降っている。致命傷を与えるにしてもやはり脂質は厚い。首を落とすにも完全に埋まってしまっている。

 異様だった。まるで魔導官と戦うために産まれたような万全の対策。自然発生する不浄にこんなことが起こり得るのだろうか。


 思えば翆嶺村の事件から違和感がある。不浄にあるまじき能力、性状を有したものがあまりにも多すぎる。

 加え、斑鬼灯は『輸送』されてきた。この人型も全く無関係とは思えない。


 思考を巡らせる。確信はなく、根拠は薄い。それでも華也にはこの不浄の存在が異端なものであると、すなわち、人工の不浄であると思えてならなかった。


 不浄の両拳を握った。すると漏れ出る様に血液が滴る。何かを握りしめていたのだろうか。

 手首から肘、二の腕と蠕動する。まるで嚥下するような動きだ。


「華也さん、あの両手を見てください」


 綴歌が指さす。回復しているが、無数の傷跡が残っている。切り傷や火傷によるものだろう。

 何故そんな場所に傷があるのだろうか。末端を攻撃しても、不浄が相手では致命傷にはならないはずだ。


 何かが指の間から出ている。それは血濡れで、ぼろぼろになっているが、まぎれもなく魔導官服を身に纏った人間の腕。ピクリとも動かない。

 握りつぶされたということだろうか。ならばあの傷は、掴まれた際に必死に抵抗をした結果と考えられる。


 戦意と怒気が亢進していく。

 それを感じ取ったのか、不浄が大きく咆哮する。同時に、全身にある斑状の鬱血痕が赤みを帯びる。魔力が迸る。


「綴歌さん!」

 

 赤が放たれる。四方八方に、不浄によるものとは思えない程の高出力で駅前の繁華街を破壊する。

 そのまま途切れることなく魔力を放出したまま、身を乗り出し動き出す。


「動きますの!?」


 盾を形成し回避運動を取っていた綴歌が驚愕の声を上げる。

 魔力を使いながら動くことは可能である。しかし、これは出力が出力である。その上数も多い。これほどの魔力を放出し続けても体勢を維持できる身体能力に、底なしの魔力量がなければ為し得ない芸当だ。


「!」


 華也の前にぶら下がっていた腕の一部が転がってきた。目に留まったのは、その異様なまで美しい断面。潰されたというのならこうはならない。

 不浄が大きく振りかぶった。それを躱そうとするが、放出の魔導によって崩れた家屋の瓦礫が邪魔をする。乗り越える時間はない。壁を形成して防ぐしかない。


「綴歌さん! 異能で止めてください!」


 他ならぬ親友の言葉であったからこそ、考えるよりも早く異能を発動させた。

 結論を言うならば、この判断によって綴歌は一命をとりとめたと言える。


 止まった敵の掌を見て綴歌は愕然とした。掌にあったのは、巨大な十字に開く口であった。花弁のように開き、多列の歯がずらりと並んでいる。そしてその中央から四本の触手のような舌が伸びている。

 あれに捉えられようものならば、ぞっと背筋が凍る。


 異能が解除され、敵が木柱に噛み付き、咀嚼する。みしみしという軋轢音と共に嚥下する。その光景は先ほど見たもの同じだった。


「掌に口が……ということはやはり……」


 ほんの少し前の異様な腕の動き。あれは掌で何かを食べたということ。そしてそれは、おそらく。


「綴歌さん、援軍はまだ来そうもありません」


「……でしょうね。虫唾が走りますわ」


 仲間を失ったばかりであるが故に、この光景は度し難く。ふつふつとした怒りがこみあげてくる。

 二人が勢いよく動き出す。話し合いも何もない、ただ目配せだけのやり取り。それでもその連携は洗練されたものだった。


 綴歌が右脚を斬り付け注意を惹きつけると、華也が頭部へ刺突を試みる。

 華也が上腕に陽炎で切り裂けば、綴歌が魔術具による攻撃を行う。


 一切の隙が無い完成された攻撃。しかし、やはり致命傷にはなりえない。それはわかっていた。

 初めから、二人にはある狙いがあった。


 攻撃をしながら敵を誘導していく。目的の場所は、時計塔だ。塔と言っても多法塔と比べるまでもないものだ。それでも十分な高さがある。不浄の放出攻撃で今にも崩れそうになっているそれの元へ誘導し、押しつぶすと言う魂胆だった。おそらく殺傷はできない。しかし、動きを止めることは出来るだろう。

 力が足りないのなら、他の魔導官が来るまでの時間稼ぎが最優先である。


 不浄が動きを止めた。放出の魔導かと身構えるが様子が違う。

 魔力の動きがない。あまりにも静かすぎる。だというのに、こちらへの敵意は衰えていない。


 二人が挟むような形で、動きを観察する。

 全身が粟立つような悪寒が走る。異変はすぐに生じた。


 ふわりと小石が浮かび上がる。それは一つ、二つと増していき、次第に不浄の周りを数百の瓦礫が漂っている。大きさはさまざまであるが、人間の頭ほどもある瓦礫もある。

 二人が慌ててその場から離れようとする、が、それよりも敵の動きは早かった。


 魔力を使わない異能、即ち『超能力』、サイコキネシスによる攻撃。瓦礫を銃弾のように周囲に放つ。放出の魔力など比較にならない程に速く、重い一撃が二人を襲う。

 綴歌はかろうじて直撃を免れた。乗り捨てられた車の陰に隠れたことが幸いした。しかし、華也は違った。


「っく、う……」


 太ももから大量の出血がある。

 急所への直撃は防いだ。しかし、壁ぶつかり砕け破片が彼女の脚を抉っていた。回復を試みているが、かなり深い傷である。戦闘中に治し切れるものではない。

 

「華也さん!」


 不浄がゆっくりと歩み寄ってくる。

 綴歌は異能を発動させようとするが、距離が遠い。能力の範囲外である。


 両手を開く。二畳分はあろう巨大な口がある。

 それを華也は睨み、思考を巡らせていた。


 どうする、どうすれば現状を打破できるか。放出の魔導か、否、十分な火力が出るとは思えない。形成の魔導か、否、それごと飲み込まれることは目に見えている。

 回復は間に合わない。走ることはも出来ない。


 どうする。どうする。


 嫌な汗が頬を伝う。それをあざ笑うかのように、不浄の口が歪む。

 笑ったというのだろうか。


 腕を大きく振りかぶる。そして、下ろした―――時である。

 何か、閃光が走った。不浄の顔面が爆発する。二度三度と爆音が続き、悲鳴が上がる。


 それを呆然と見ていた華也の背後より足音がした。彼女を脇からひょいと抱え上げると、廃墟と化した駅舎へ一瞬で移動する。

 誰であるかなど、問う必要はなかった。


 見慣れた焦げ茶色の髪から伸びた二本の触角を揺らし、彼女の前へと躍り出る。


「……大丈夫?」


 見返り、ほんの少し不安そうな表情。うっすらと額に汗がにじんでいる。

 いつも通りの眠たげな眼で、じっと真っ直ぐに華也を見つめる。


「……はい、でもちょっと痛いですかね」


 傷はまだ塞がっていない。

 少し動かすだけでも激痛が走る。それでも笑顔になれたのは、安心感故だろう。


「そう。じゃあ休んでて」


 魔導官服を翻し、腰に下げた日本刀を抜く。不格好な構えで、敵を見据える。


「さあて、一緒に戦おうか―――なあ、『友』よ」


 魔導兵装への声はどこから嬉しそうな色を含んでいた。

 

 

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