9−18 友
「……署、長……?」
霞む視界の先にある巨躯、金色の髪、その場を飲み込むほどの存在感。味方だと分かっていても身がすくむ程の威圧感は、知る限り彼だけのもの。
振り返りもせずに、何か二つの塊をひょいと放り投げた。
「六之介様、ご無事で……っ!」
「篠宮さん!」
華也と綴歌だった。六之介に抱えられながら、物言わぬ、変わり果てた同僚の姿に瞠目する。
無事ではあるが、六之介も大概であった。ほぼ全身から鮮血が見え、特に右足がひどい。肉が完全に露出してしまっている。加え、目は真っ赤に充血し、その周囲には発赤に腫脹が見られる。
「おう、筑紫、二人を楠城の病院に連れていけ」
「ですが、この包囲網が……あ」
わざわざ名指しにした理由に気が付く。
「では華也さんも手を貸してください」
「あ、は、はい」
一瞬にして四人の姿が消えうせた。異能による認識阻害。これによって事を迅速に済ませる。
此世の人々の間にざわめきが生まれるが、雲雀は気にした様子もなく敵を見据える。
「さて、と……どういう了見だ、眉月仄」
此世部隊の背後より、見慣れた銀髪の女性が姿を現す。本来であればこちら側であるはずの漆黒の装束を纏ったまま。
「まさか、御剣に帰ってきているとは思いませんでした。関西方面にいたはずでは?」
「鼻のきく奴がいるんでね」
連絡を受けたのは一昨日。総司令である飯塚亜矢人からの緊急通知だった。楠城付近に妙な動きがある、そして、不明であった最後の一人の内通者が誰であるか分かったという内容。鉄道を乗り継ぎ、自らの脚で駆け抜けた。しかし、間に合わなかったようだ。
「ったく、女嫌いな俺様の所にどうして来やがったのかと思ったが……本当に、女ってのはろくでもないな」
「万人を見下し続けている貴方ほどではないですよ」
「はん、矮小な屑どもを見下して何が悪い、嫌なら多少の向上心を見せたらどうだ?」
嘲笑。怒気が周囲を支配する。
「んで、てめえらの目的はあれだろ、『魔力に依存しない世界』とかいうの」
「肯定です。魔力とは悪しきもの、人の可能性を、未来を奪う存在です、故に」
「高尚な理由があるようなこと言うんじゃねえよ、単にてめえが『魔導を使えない』から劣等感を持ってるってだけだろ。他の連中も似たり寄ったりだろうが。今の世界に溶け込めなかった、生き残れなかった有象無象の弱者が集まっただけの塵芥、それが『此世』だろ」
淡々と口を動かしていた仄の眉間がわずかに寄る。
「なにが魔力に依存しない世界を創るだ、偉そうなことを言うなよ。むしろこの世界に感謝すべきじゃないのか。存在する価値のない人間もどきのお前らを、生かしてやってるんだからな」
「……だまれ! 貴方に、貴方に何が分かると言うのか! 私たちが、どれほど魔力によって苦しんできたか! 魔力を持ち得なかっただけで蔑まれ、魔力による害で産まれてこられなかった命、魔導によって身内を奪われた者の気持ちが、お前に分かるのか!」
「知らねえな。大体よ、この世界で魔力ってのはあって当たり前だ。その中で適応できないのは……ただの『自然淘汰』だろ?」
「きっさまあ!」
此世の人々が銃を構える。この世界には存在してなかった異世界の武器、クリスベクターの模造品である。威力、連射性、操作性に優れ、メンテナンスも容易であるそれは、来訪者であるメンゲレによって生産ラインが確立されたもの。
そして、これほどの量を用意した理由が、目の前にある。
疾風が指示を出す。
「万全ではないが、問題ない! 対人用武装はこのために、全ては『掛坂雲雀』を倒すために用意したものだ! この場で決めろ!」
二十丁の引き金に指が駆けられる。引くまでに一瞬で十分。
だが、雲雀はそれよりも速かった。山道を固めるために敷かれた石を拾い上げ振りかぶり、握力を込め、まるで土塊のように粉砕、放る。それだけでも驚異的な動きであるが、恐るべきは礫の威力。散弾銃のように目視不可能な速さで、冷酷なまでの殺傷力を孕みクリスベクターを構えた八人に直撃する。皮膚と筋肉、頭蓋骨を貫通し、脳を破壊、生命活動と停止させる。
その投げた動きを殺さずに適当な人間の首を掴み、そのまま五人を薙ぎ払う。鍛え抜かれた大男をまるで棒切れでも扱うように振り回し、叩き付け、撲殺していく。
気が付けば、死屍累々。山道は血の海になっている。発砲する、ただそれだけの動作で終わっていた、はずだったというのに。
握っていた人間は既に窒息、否、その握力によって首が潰れ息絶えていた。目の前の光景に腰を抜かした者の首根っこを掴むと、それを翳しながら無傷の此世部隊に歩み寄っていく。
「どうした、撃たないのか?」
同じ思想、同じ釜の飯を食べ、同じ苦しみを味わった仲間が盾にされている。敵がいると分かっていても引き金が引けない。
盾を放る。刹那の死角が生じ、雲雀を一瞬見失う。それをを見逃さない。気が付けば背後にいる。飴細工のように首はへし折られ、蹴りつければ肉塊と化す。もはや一撃の重さは人間のそれではない。不浄、あるいはそれ以上の怪物だった。
水無瀬疾風はその光景を呆然と見ていた。
万全ではないと言った。それは間違いない。銃器は十分な数は揃っていなかったし、罠も設置していない。製造中の『アレ』に関しても投入していない。しかし、それでもだ。
二十丁ものクリスベクター。住良木村での不浄退治を始め、数多の不浄を屠ってきただけの装備であり、四十八号が暴走した際に鎮圧出来る様に準備していたものだ。
つまりは、不浄を倒せるだけの装備であるというのに、何故、何故、手も足も出ないのか
怪物だとは分かっていた。日ノ本最強の魔導官と名高い存在だと知っていた。だが、それはこれほどまでの化物なのか。
「……なんだ、もう全滅か……うむ、つまらんな、所詮は屑か」
悪魔が、嗤っている。
人であったものを踏みつけ、犬歯をむき出しにしながら、生命を愚弄するような顔貌。
血にまみれたそれがゆっくりと歩いてくる。
真っ先に動いたのは、これまで沈黙を貫いてきた四十八号だった。異様な程の静けさは、敵を観察していたが故。
「ほう、人の不浄か? 面白い、多少の知性は見せてみろ」
四十八号は猛禽類の左腕で雲雀を殴りつける。ただの生物であるならばこの時点で殺傷せしめるには充分だ。が、雲雀は違った。その拳をいともたやすく掴み、地面に叩き付ける。地響きが広がる。
「ガッ!?」
不浄と言えど呼吸器官は人間と酷似している。叩き付けられた衝撃で肺の酸素が押し出される。
苦悶の声を漏らすも、雲雀は躊躇しない。力任せに持ち上げると、再度振り下ろす。二度三度と繰り返され、五度目でついに頭蓋が粉砕され顔面の穴と言う穴から血をまき散らす。不浄であっても、まるで赤子扱いだった。
「……ん?」
気が付けば、疾風と仄が姿を消している。引き際は弁えているといったところだろう。
四十八号が動いた。
自らの血液と、泥を超能力で吹き飛ばす。魔力を用いぬため、雲雀の反応が一瞬遅れる。視界が奪われる。その隙を逃さず、自らの左腕を切断し、鬱蒼と茂る、人の手の入っていない方へと姿をくらます。
不浄が逃走をするというのは極めて稀であるが、人間がベースになったことにより得た極めて高い知性がそれを選択させた。まだ戦える相手ではないと、理解したのである。
「……ふん、まあよかろう」
本来はご法度。しかし、今優先すべきは部下たちのこと。
死体の山に関しては処理班に連絡をし、その間の山道の閉鎖を町長に。
やることが随分と増えてしまったなとため息をこぼした。




