9−16 友
金属音が室内に木霊する。
かろうじて人型を保っている異形と黒装束の青年が戦っていた。
異形、四十八号は大きく動くことはなく、六之介の攻撃を猛禽類の左腕だけで防ぐ。能力を最大限に活用し、上下左右と息つく暇もないほどの攻撃を加えているのにも関わらず、不浄には傷一つつかない。
「く……!」
呼吸が乱れ、いったん距離を取るがその隙を逃さず礫が飛んでくる。盾を形成するが、全てを防げるほどの強度を生み出す技能が六之介にはない。貫通したいくつかが頬、脹脛、肩を掠め鮮血が舞う。
回復の魔導を用いるが、やはり未熟であるため、痛みまでは消えない。あくまでも出血を抑えるための応急処置と割り切るほかない。
小太刀を握り直し、背後に移動し、首筋に目掛けて最速で振り下ろす。本来であればこれだけ殺傷せしめるほどの一撃。急所を破壊するには充分である。というのに。
その小太刀を異形の左手が、関節など無視した曲がり方で首筋に迫る刃をいともたやすく掴んでいる。ぎょろりと血走った目が六之介を捉える。
ならば、小太刀を捨て四十八号の右側に瞬間移動し顔面を蹴りつける。じんと骨に残る鈍痛、手ごたえはあった。不浄化している部分は無理でも、人間の部分であれば。
それでも。
右足に焼かれるような激痛が走った。かろうじて能力を行使し、離れるが、まともに足をつくことが出来ない。見てみれば魔導官服ごと右足の肉が抉り取られ、止めどなく血があふれ出ている。骨までは達していないが、筋肉の一部も抉られている。
「ぐう……!」
ある程度は痛みに耐性はあるが、これはそれを超過していた。脂汗が湧き出る。魔導で回復できるかどうか、怪しいラインだ。だが、それでもやるしかない。
四十八号に意識を向けながら、回復の魔導を発動する。
昆虫のそれを思わせる形状に変化した四十八号の口から血液が滴っている。もごもごと咀嚼すると、喉を大きく鳴らしながら飲み込む。不浄は魔力を含んだ生命体を捕食する、分かっていたことであるが、実際に目の当たりにするとおぞましさが際立つ。喰われているものが自身の身体の一部であるという事もあるのだろう。
単独で応戦するとなった以上、ある程度の負傷は覚悟していたが完全に予想以上のダメージである。ゆっくりと四十八号が動き出す。一見すると危機であるが、違う。
むしろ、ようやくと言ったところである。傷の深さの為か、ほとんど感覚のない足を引きずりながらその場から離れれば、不浄はゆっくりと歩みだす。もはや慌てて追いかける必要もないと考えているのか、その足取りはひどく余裕を含んだものだった。
「……っはあ、はあ……くそ……」
血の足跡が続いていく。このままでは出血多量に陥る可能性もあるだろう。かなり深くやられたようだ。
悪態をつきながら、壁側にたどり着き、背を預ける。金属のひんやりとした感触が伝わってくる。四十八号は左腕の鉤爪を何度も開閉させ、六之介を見る目には人間であった頃の感情は見えない。ただ獲物を狙う一匹の獣でしかなかった。
距離が縮まり、目と鼻の間になる。
四十八号が左腕を大きく振り上げると同時に、その背後で動くものがあった。
「うおりゃあああ!」
全身を青く発光させながら、刀を突き立てる。刃全体が振動によって超音波カッターとして機能しており、六之介では傷一つつけられなかった強固な皮膚を貫通する。
「アアあァッ、ああアがぁぁ!」
右肩からひだり脇腹を貫かれ、悲鳴を上げる。五樹を引き剥がそうと暴れるが、そう容易い男ではない。鉤爪が身体を掠めても、皮膚を裂かれても刃を奥へ、奥へと押し込んでいく。
五樹の口が動く。確認するように、思い出すように、情報を引き出す。
「……物質は、原子からできている……原子には核があり、その周りに電子と効子が存在している……その原子が集まったものが分子であり……」
戦闘前に六之介が教えたことである。この世界ではまだ原子と言うものは架空あるいは空想の産物とされ、その存在は明らかになっていない。そのため極々一部の人間しか原子や分子の存在を知ることはない。だが、六之介は知っている。以前の世界ではそれらは当たり前の知識であったためだ。
魔力の発生についての論文は、八坂で目を通していた。それが真実であると、十分にあり得ると考え、かみ砕いて五樹に伝えたのだ。
五樹の能力は自身が想像できるもの。想像というものがどこまでの範囲であるのかは分からない。色が必要なのか、形が必要であるのか、匂いか、感触か。それは分からない。故に物質の構成について、出来るだけの情報を吐き出し、友に託した。
そして、それを最大限に生かせる方法も伝えた。
刀の振動が収まっていく。それは凶器へと変容する前動作だった。
「ッ!? ――ッ、――――ッッ!!」
四十八号の口から零れたものは耳をつんざくような金切り音だった。ただ苦痛を音にしただけのような声。大きく口を開け、五樹に構う余裕すらない程に滅茶苦茶に暴れまわる。がむしゃらに振るわれた左腕が壁を大きくたたけば、みしりと大きく亀裂が走った。
六之介は瞬間移動で、その場から逃れる。
「五樹! もう少しだ、頑張ってくれ!」
返事はない。それだけ意識を自身の能力に向けていた。どれだけ暴れられても決して離さないという意思と共に。
四十八号の動きがさらに激しくなる。ぶすぶすと小さく粟立ちはじめ、全身から蒸気が昇り始める。
五樹の異能は『振動』であり、物質に魔力を与え、振動を生み出すという能力。対象は実体のある物、あるいは五樹が想像出来る物である。故に本来であれば、彼が『想像できない現象』は生じない。それを可能としたのが、六之介による講義だった。至極簡単かつ簡素な内容であったが、一切の下地の無い五樹にはその内容が深く刻み込まれ、現状、結果として現れている。
人間をはじめとする生物の大半は、身体の大部分を水が占めている。そして『この世界』では、その水の組成の中に効子が含まれており、魔力を放っている。五樹の異能によってこの効子を、そして水分子を振動させる。それによって熱が発生させるというもの。
つまりは電子レンジの原理だ。本来はマイクロ波によるものであり、本当に為し得るのか否か、賭けに近いものがあったが成功と言えるだろう。
「―――ッ!!!!」
一際大きな悲鳴と共に、破裂音がした。四十八号の眼球が破裂しどす黒い血液を噴き出している。それを確認した五樹が刀を引き抜き、離れる。
「どんなもんだい!」
「大戦果だ!」
視力を奪われた四十八号は暴れ狂う。放出の魔導を用いてひび割れた壁に攻撃するよう誘導する。
このために単独でぎりぎりまで誘導をしたのである。
憤怒の絶叫と共に左腕が振り下ろされる。ずんという地震のような振動と共に外壁がぼろぼろと崩れていき、陽光が差し込みだす。恐ろしい怪力であるが、この際、感謝するべきだろう。人間では重機を用いても破壊できるか分からない代物であったのだから。
「外が見えればこっちのものだ、退くぞ、五樹!」
可視範囲ならば、そこは六之介の領域である。
これほどのダメージを与えても殺し切れないのならば、やはり装備を充実させねばなるまい。本来であれば不浄相手に再戦はご法度であるが致し方ない。
五樹ごと瞬間移動を試みた時、声がした。
「逃げられるのは困りますね」
「!」
四十八号を不浄化させた張本人の声。彼女の不浄化と共に姿を消していた存在。
意識はしていた。いつ不意打ちをされても良いよう、周囲に注意を配っていた。
だというのに、『気付けなかった』。接近を感じ取れなかった。
六之介の反応が一瞬遅れる。その隙を逃さず、強化の魔導によって人間の反射神経を遥かに凌駕した一撃が顔面を襲う。ただ殴られただけであるのなら、骨折や脳震盪で済んだであろう。しかし、水無瀬疾風の狙いは違った。平手でその手に備え付けていた袋ごと殴打する。袋が破け、中から無色の液体が飛び散る。臭いはない、粘性も低い。だが。
「ぐっ、ああああああああああ!」
刺すような激痛が六之介を襲う。特に目。焼きゴテを突き刺されたような激痛が脳へ走り、のたうち回る。目が開かず、ただただ苦痛に悶える。
「六之介! てめえ!」
「一時的に視力を奪うだけですよ。完全に失明させたら何の役にも立たなくなるので。それはそうと、よそ見していていいんですか?」
その言葉に意識の矛先が誤っていたことに気が付く。
ぶんと空気を裂く音。脇腹から生じる衝撃。
四十八号。破裂したはずの眼球は既に再生しており、ダメージを負った痕跡すらない。不浄としても、異常な再生速度である。
壁に叩き付けられ、そのまま崩れかけるが、意地と根性で踏みとどまる。このまま膝をついたら二度と起き上がれない、そんな気がしたのだ。
「ぐぅ!」
痛みを堪え、回復すらせずに強化の魔導を発動させる。もう魔導を行使することすら危うい状態となっていたが、それを可能にしたのは仲間を、友を助けなくてはならないという思いが故だった。
六之介を抱きかかえ、遺跡から飛び出す。後先のことは考えず、持ちうる魔力を全て使い切る覚悟で加速する。背後から追いかける物音がする。しかし、追い付かれるわけにはいかない。楠城の町にたどり着けば相手も手は出せないだろう。
ただ問題は―――そこまで、辿り着けるだろうか、ということだった。




