9-7 友
「……妙だな」
最上階より内部に侵入し、柱の影に息をひそめる。下層に虚を五つ設置し、魔導官の幻影が見え隠れしているはずである。だというのに、まるで動きがない。というよりは、人の気配がしない。
「なあ、六之介、これって……もぬけの殻なのか?」
しかし、そうなると事前に与えられた情報と異なる。指令書では日常的に此世の人間が出入りしていること、なんらかの器具を運搬していることが記されていた。今日偶然留守にしているという可能性もあるが、そうだとしてもあまりにも寂寥としている。
「……」
「お、おい、いいのか、動いて」
「ああ、ちょっと待っててくれ」
施設内の素材は八坂や御剣の遺跡と同様に金属の物で構成されている。劣化は激しいが原形は留めており、旧文明の技術力の高さがうかがえる。殴ったり蹴ったりする程度では破壊は不可能だろう。
耳を澄ましながら、足音を殺し歩く。不気味な程静かである。一切日差しが当たらない為、夕方のように薄暗く通路の先までは見えない。そっと床を撫でる。指紋を覆い隠すほどの埃がこびりつく。土や砂だけでなく、乾燥し切った羽虫の死骸も混ざっていた。
「……使われていない」
二、三日使われていない程度ではあり得ない。安全面から、最上階は利用していないことは考えられる。下層ではどうなのだろうか。
「五樹」
「おうよ、どうだ? 何か分かったか?」
「どうもこの階層は使われていないようだ。降りてみよう」
四、三階層と降りていく。最上階と全く同じ作りであるため迷うと言うことはない。一つずつ部屋を見て回るが、資料はおろかやはり人の気配はない。完全に死んだ、骸のような建造物である。時折窓際の虚から幻影が現れては、壁から壁へ虚しく走る。それを回収し、懐に収めていく。
「なあ、六之介、これって遺跡を間違えたとかじゃねえよな?」
「写真も載っていたから間違えるはずはないさ。となると考えられるのは……二通りだな」
「二つ?」
「ああ、一つは確かに此世の連中が出入りしていたが、それは占領していたという意味ではなく……そうだな、雨宿りや野宿の為にここを用いていたなんて可能性だ」
ここではないどこかの施設への運搬、その道中に中継場所として用いていたということは考え得るだろう。
「もう一つは?」
「……あまり考えたくないが、この情報が偽物だったという可能性だ」
「偽物……そうなると騙してるのは、遺跡を発見した奴、もしくは魔導機関総司令部の人間ってことか」
普通に考えるのなら犯人はそのいずれかだろう。しかし、どうにも嫌な予感が六之介の中に蠢いていた。
「でも、騙すとなると……なんでなんだ?」
情報を捏造することで、何かしらメリットがあるのだろう。偽りの情報を流布し、現場へ魔導官を赴かせる。それを拉致、誘拐し総司令部へ身代金などを要求する。これは十分にあり得る話だ。しかし、どうにも違和感がある。そもそも一人二人を救うために、総司令部が動くであろうか。否、動くにしても動かないにしても、魔導官内部の反此世感情に油を注ぐだけになるのではないだろうか。そうなればメリットどころか完全なデメリットだ。最悪、此世が武力によって壊滅する。トップが代わった組織だとしてもそこまで愚かではあるまい。
やはり此世の人間の出入りを占領だと勘違いしたということだろうか。
違う。それならば、内部調査の際に誤認であったと判明するはずだ。否、もしかすると調査した魔導官が此世と繋がっていたという可能性もあり得るのではないか。
疑心暗鬼が連鎖していく。何かを見落としているような、そしてそれが重要なものであるような気がしてならない。
ふと足元を見た。鮮やかな朱色、間違いなく外にあった植物の蕾である。おそらくは風で飛ばされここまで来たのだろう。それを拾い上げる。まだ蕾の状態だと言うのに濃い甘いにおいがする。サンジツカであった。
「サンジツカ……そういえば、何故サンジツカというのだ?」
「ああ、蕾から花が咲き、散るまで三日間、だからサンジツカ。咲いてる時期が短いから、受粉をさせるためにすっげー濃い匂いを出すんだよ。俺はこれ苦手でなぁ……」
漢字にすれば、三日華といった具合だろうか。
「サンジツ……三日……」
慌てて懐にから仄より渡された資料と指令書を取り出す。
「どうした?」
「写真に写っている植物は、そのサンジツカか?」
「……ああ、そうだな、ちょっとぼけてるが……間違いないと思う。そういや、確かに遺跡の傍にあったな。場所からしても間違いないな」
自分の勘違いや見間違いではないようだ。蕾はまだ萎れておらず、土埃も少ない。まだ新しいものだと分かる。
「五樹、おかしいとは思わないか?」
「サンジツカがか? ん……んん? あれ、写真が撮られたのは蕾で……さっき外にあったのは……」
「満開だった」
「だよな……あれ?」
「基本的に魔導機関では、外部からの報告、魔導官による調査、魔導機関総司令の承認、指令書の郵送、各地の魔導官による対処の順番だろう? 八坂の近くであれば一日二日で済むが、楠城は違う。調査から指令書が届くまで五日から七日はかかる。写真を撮られたのが調査段階であるのなら、今頃は既にサンジツカは散っているはずではないか?」
「そうだよな……でも、それってどういうことだ?」
魔導官証明書を取り出し、一頁を破る。本来はご法度なことであるが、緊急事態である。
そこに押されている、魔導機関の角印が押されている。魔術具『燈』を取り出し、指令書に押されている角印と魔導官証明書に押されている角印を重ね、透かす。
「……五樹、見てみろ」
二人で覗きこむ。角印はほぼ同じである。しかし、注意深く観察すると明らかな違いがある。魔導官証明書に押されているものは捏造の防止のためか、それとも偶然によるものか分からないが『鬼』の『ム』の部分がやや変形し『△』のようになっている。しかし、指令書の方は綺麗な『ム』であり、線も細い。加え、払いや止めの部分の膨らみ方が異なっている。この世界では印璽などは全て手作業で行われる。それが偽造の防止に役立つ。
「違うな、これ……明らかだ」
じっくりと見てみれば分かる。これは偽りの指令書だ。
「間違いなく偽物だ。多分二、三日前に撮影したものを現像し資料に張り付けたんだ。でも、指令書は確か魔導機関総司令が封蝋して送られるな……だから捏造は出来ないはずだ」
「封蝋で使う印璽は確か各都市、魔導官署ごとに決まってるって聞いたな。捏造は……難しいな」
「かなり複雑な模様だしな。それに型を取って複製するとしても、蝋はかなり崩れやすい。おそらくよほど細心の注意を払っても、傷をつけずに行うのはまず不可能だな」
3Dスキャンなどがあれば話は別だが、そんなものは存在していない。
だがもし、これが初めから封蝋されていないものだとしたら。
一人だけいる。我々に命令を出すことが出来、さらには資料も捏造できる人間が。だが今それを口外すべきではない、そう反射的に思った。
「それはそうと、なんのためにこんなことをしたんだろうな。何か目的があるのか……」
「あ、ああ、そうだな……うーん、拘束して身代金……いや、それならもっと階級の高い魔導官の方がいいよな」
其の通りだ。こんな新人二人、組織からすれば完全な末端。斬り落としても痛くもないだろう。もっともあの総司令ならば鮮やかかつさらりと救出作戦を成功させてしまうであろうけれど。
自分たちがここにいる理由――ある。あるではないか。肝心な、他にはない大きな価値がある。そうなると、此世の狙いは、ほぼ間違いなく。
「五樹、急いで逃げるぞ」
「は?」
「急げ! ほぼ間違いない。これは……狙いは、『自分』だ!」
その声とほぼ同時に、遺跡全体を巨大な地震が襲った。




