9-5 友
御剣と潮来の境目にある削岳は、削りだされたような鋭い岩々と、やや大粒の砂利が表層を覆っており、一度転べば麓まで転げ落ちると謳われた場所である。緑に乏しく、灰色が広がる岳を二人と一匹が駆けている。否、正しくは一人と一匹だ。もう一人は。
「うわああああ、落ちるうううう!?」
「だから転ばないように気を付けろと言っただろうが!」
重力に一切逆らうことなく滑り落ちる五樹とその後にいる六之介。二人より前方に四本足の獣、不浄『骸猫』がいる。もはや猫であった名残は四本脚だけであり、くちばしのような長い頭と前足の付け根から生えた触覚が特徴的な異形と化している。大きさは人間ほどであり、不浄の中では小型と言えるが、獣としては十分に大きい。
削岳が旅の難所と言われたのは、数百年も昔である。今では登山道が設けられ、毎日のように人々が行きかう観光地となっていた。
そこに骸猫が現れた。しかし、幸い死者は出ておらず、六之介と五樹がその対処を命じられた。
「しょうがないな」
五樹の元へ瞬間移動し、その右手を掴み、無理やり引き起こす。
「すまねえ、相棒!」
「世話を焼かすな。走る時に比較的に苔の多い所を選ぶんだ、砂利の場所よりは踏ん張りが効くはずだ」
「わかった!」
骸猫は、厄介にもなかなか距離を縮めてこない。一定の間隔を開けつつ、こちらに隙が出来たら一気に接近し攻撃、そして離脱する。魔導官であれば致命傷足り得ない攻撃だが、幾度となく貰えば死に至るだろう。
不浄であれば、持久力はほぼ無尽蔵。長期戦は控えたい。
「どうする六之介、長期戦はしんどいぜ?」
五樹も同様に考えていたようだ。
「そうだな。しかし、あの速度で動かれるとな……自分の能力で魔術具をぶつけるにも避けられるだろうし」
元が猫というだけあってその身軽さは驚異的だ。しかも耳も目も、それこそ勘もいいようで、こちらの攻撃はかすりもしない。攻撃力が低いと言うのが幸いだ。
「何か一瞬だけでも動きを止められれば……」
「……考えがある!」
「なんだと?」
「おうよ、耳を貸せ」
五樹の作戦はシンプルなものであったが、手間暇がかからず、そしておそらく成功率が高いとかんがえられるものだった。
「なるほど、悪くない」
「だろ?」
「よし、止めは自分がさす。五樹は全力でやれ」
「おうよ!」
五樹を骸猫の前方へ瞬間移動させる。不浄は唐突に現れた存在に驚くこともなく、咆哮する。五樹は不敵な笑みで返し、抜刀、切っ先を向ける。
ぼんやりと刀身が発光したかと思えば、小さく音が聞こえてくる。
それとタイミングを合わせ懐から鉈を取り出す。大量生産されたものだが、その分扱いやすい一品だ。強化の魔導を発動させる。倍率としてはまだまだ低いが、背中に設けた医療用魔術具『傍髄』がそれを補う。全身を駆け巡る魔力が筋肉を大きく膨らませ活性化する。力が溢れ、身体が羽のように軽くなる感覚は何度やっても心地いい。
「くらええええ!」
キンと鋭い音が鳴った。五樹の異能は『振動』である。であれば当然、音を発生させることもできる。野生動物の聴覚は人間の物とは一線を画する。可聴領域も圧倒的に広い。それを利用した。
その効果のほどは言うまでもない。今まで警戒に飛び交い、我々を翻弄していた骸猫は釣り上げられた魚のように痙攣しながら無様に身もだえしている。
瞬間移動で距離を詰め、鉈を大きく振り上げる。ねらい目は首の付け根。頭を落とさねば不浄を殺すことは出来ない。だが、こうも暴れられると狙い辛さがある。
舌打ちをすると、同時に無数の形成された紐が不浄を拘束する。
「この方がいいだろ?」
勝ち誇ったような笑みを五樹が浮かべる。サポーターとして、非の打ち所のない動きだった。
「上出来、だっ!」
硬質的な感触と、確かな手ごたえ。意味もない動きを繰り返すだけになった四肢。そして重力に従い、ごろりと転がる首。どす黒い血液がジワリと広がり砂利に呑み込まれていく。
いったん離れ、動きが完全に止まるのを待つ。五分ほどすると、不浄から生命の色は完全に消え失せた。
「よーっし、勝った! やったな、六之介!」
「少々手こずりはしたがな。上々だろう」
お互いの拳をぶつけ合う。
「頻出期に入って三体目か……ウチはこれで九体目だから、全魔導官署ではかなりの数になるな」
御剣の魔導官署は十。全署が同数を倒していると仮定すれば、九十にもなる。
「今年はかなり多いみたいだぜ?」
「もう少し手心をだな……」
空にある神域を眺めながら呟く。仮にも神の名を携えているのならば人間にやさしくすべきだ。
「ははは、そうだな。ま、この時期はしょうがねえさ。その分給料も良くなるし、良い方に考えようぜ」
確かに危険と隣り合わせな分、給料は倍以上になっている。これは新体制となってから始まったものであるそうだ。飯塚司令には感謝せねばなるまい。
「そうだな、貰う分は使わせてもらうか。首実検終わったら飯でも食べに行くか。何がいい?」
「んー、新しく出来た焼き鳥屋が美味いとか聞いたぜ」
「鶏か、いいな。そこにしよう。じゃあとっとと終わらせるか」
こちらの世界に来て、一番良かったことはやはり飲食の自由だと思う。粉末を押し固めただけのものや原形がわからない緑色のペースト、生臭い茶色いゼリーなど食べなくて済む。それだけで万々歳だというのに、多様で美味なのだ。
こちらに来て良かったとつくづく思う。




