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9-2 友

「さて、どうしたものか」


 第六十五魔導官署署長、野田隆一は懐中時計を確認する。

 廃れた村に、彼以外に人間の気配はない。不浄による被害によるものか、過疎化によるものか、原因は分からない。ただ唐突に、一晩にして百名近い村民が姿を消えた。今回、此世の施設が発見されたのは、その調査の偶然の産物である。

 しかし、それは重要ではない。今は、部下が調査に向かい未だ帰ってこないこと。それが彼の頭を悩ませていた。


 部下である竜崎円は中堅の魔導官である。ややとぼけたところがあるが、仕事と時間には厳格であり、報告書の納期遅れすらしたことのない女性であった。その異能は、魔力の可視による一種の透視能力であり調査、偵察にはうってつけと言えた。

 そんな彼女がいつまで経っても戻らない。結果の有無によらず、十五分で戻るように伝えてあるにも拘わらずである。


 今回の任務は、いわゆる下見。本格的な調査は後日、適した人材と装備をもって行うことになっており、それに向けた調査隊の安全を確認するためのものだ。

 ここは既に反魔力団体である此世の手に落ちているとすれば、何か予期せぬ事態が起こっている可能性はある。


 小さく舌打ちをする。

 よりにもよって頻出期の間近に面倒をかけさせる此世に対し、強い苛立ちを覚えた。反魔力だの反魔導機関だのと謳っているが、反社会的のならず者に過ぎない。この世界は魔力と強く結びつき、構成されている。それを否定し、排斥しようなど愚の骨頂だ。

 無論、その成り立ちは知っている。同情すべき点もある。魔力という力の被害者かもしれない。しかし、それでも、かの存在を認めることは出来なかった。


 調査対象である施設は、おそらくは村長の住まいを基にしたものである。手入れこそされていないが、その敷地の大きさ、家造りは大層立派なものであり、大きな力を持っていたことが分かる。


 屋敷の裏手にある蔵が、施設の入り口である。

 一見すると何の変哲もないが、隠し戸があり、地下へ降りることが出来る。こんなものよくぞ見つけたものだと感心すら覚える。


 埃臭く、じめりとした湿気の中、石造りの階段を降りる。真新しい燈が壁面に張り付けられている。おそらくは竜崎円が設置したものだろう。等間隔で置かれたそれを頼りに下る。

 ようやく最下層にたどり着いたのか。勾配を感じなくなる。


 ふわりと、埃の臭いの中に混じるものがある。

 金属の、鉄の臭いだった。 


 懐の小太刀を掴む。実戦から遠ざかってどれほどになるかは分からないが、日々の鍛錬を怠ったことはない。右手にはもう取れることがないだろう胼胝があり、柄の凹凸に良くなじむ。


 鬼が出るか蛇が出るか。


 冷静を装うが、冷や汗が流れる。ここで戦闘となれば、分が悪い。足場は悪く、光量は無、音も反響が激しく位置の特定は難しい。戦える環境ではない。

 本来であれば撤退し、援軍を呼ぶことが望ましいだろう。しかし、ここは辺境であり、近隣の魔導官署に向かうにも時間がかかる。そうなればしばらく身内を放っておくこととなる。


 それはできない。


 男女の仲というわけではない。特別親しいという事もない。だが、部下を見捨てることは上司としてはできなかった。


「……誰だ?」


 人影が浮かび上がっていた。壁面でゆらゆらと揺れ動く影は、幽霊さながらであり、ひどく気味が悪い。

出来る限り強気な口調としたつもりだが、そうなっていたかは分からない。


 隆一の声にこたえる様にそれは動いた。そして、ゆっくりと姿を見せる。


 肩まである赤い髪は芯が通っているかのように真っ直ぐであるがその動きに合わせる様に舞い、細い切れ長の金色の目、凹凸の乏しい顔立ち、中性的である。が、首から下はそうではない。ゆとりの乏しい異装から伺える身体は逞しく鍛えられた男性のそれであり、ちぐはぐな印象を受けた。

 

「……朱石時也、か?」


 見覚えのある人物であった。


「これはこれは野田先輩、まさかこんなところで会おうとは……驚きですね」


 演劇じみた口調と動きは変わっていない。表情に変化は全くないが、驚いているのだろうか。


「それはこちらの台詞だ。どうして君がこんなところに?」


 朱石時也。七年前に魔導官候補生として、第六十五魔導官署に勤めていた男である。隆一が几帳面かつ神経質な性格をしていたため、ということも起因するが、朱石時也のことを覚えていた理由はそれでだけではない。


 優秀だったのだ。戦闘能力は勿論、事務処理、署内の備品管理、他者への振る舞いなど、上げればきりがない。生真面目で完璧主義な性格をしていたことも隆一が彼を気に入っていた理由の一つである。卒業後にここで勤めないかと声をかけており、当人もそれに対し肯定的な態度をしていた。


 しかし、それは叶わなかった。


 朱石時也は、魔導官にならなかったのだ。国家試験に落第した、魔導官学校を中退したのではない。試験に合格し、卒業までしたのにも関わらず、魔導官にならなかった。

 勿論、それが絶対にあり得ないということはない。魔導兵装職人になる者もいれば、教職に就く者もいる。警察官学校に入る者、政治家を志す者、作家、舞台俳優、と様々だ。だが、朱石時也は違った。彼は何かの職種に就くということはなかった。姿を消したのだ。いわゆる、行方不明者として新聞に名が記載されたことをよく覚えている。


 その朱石時也が目の前にいる。


「色々ありましてね」


「そうか。まあ、詮索はしないが……ところで、ここに一人魔導官が来なかったかね」


 ゆっくりと歩み寄る。

 顎に手を当て、暫し考え込む。


「さあ……見ていませんが」


「ふむ、そうか……ならこうするも止む無しだな」


 一瞬で強化を発動させ、人間の反応速度を遥かに凌駕した一太刀が走る。燈の明かりをわずかに受け、切っ先が線を描く。

 だが、それは対象を掠めるだけに終わる。


「まあ、そうなりますよね」


 朱石時也は背後に飛びずさり、ため息をつく。


「当たり前だ、馬鹿者め。貴様、私の部下をどうした?」


「向こうの方でお休みになられていますよ」


 血の臭いは消えない。おそらくは既に。


「ふう……どうして貴方がこんなところに来てしまうんですかね。運が悪いな、僕は」


「私としてもこんな寂びれて薄汚いところには来たくなかったが、ねっ!」  


 右下から突きあがる小太刀を時也が躱す。薄暗く狭い室内だと言うのに、その動きは軽やかである。

 時也は腰に吊り下げていた二つの柄を逆手に持つ。同時に、濃緑色の刃が形成される。半月状の刃にこれでもかと刺々しい装飾を施した禍禍しい形をしている。


「三文芝居の悪役が使いそうな、不格好な得物じゃないか」


「悪役が使うものなんて、このくらいでいいんですよ」


「ほう、自らを悪と認めるか」


「それはそうでしょう。調和のとれている世の中を乱そうとしているんですから」


 正面からぶつかり合い、刃越しに睨み合う。

 金色の瞳は、濁っているように見える。


「こんなところでお前は、否、此世は何をしている? 村民たちをどうした?」


「答えるとでも?」


「悪役であるなら、声高らかに傲慢ちきに宣言するものではないのかね」


「……ああ、確かにそうですね」


 隆一を腕力のみで押しのける。

 単純な膂力のみでは、時也の方が上であるようだ。


「此世が何をしていたか、そうですね、大したことはしていませんよ。ただ組織そのものを作り変えていただけです」


「作り変えていた?」


「ええ、なかなかに手間取りましたが最近ようやく落ち着きましてね。魔導機関との衝突、増えてきたでしょう?」


 たしかにここ数カ月、各地の魔導官署からの報告が増えている。


「此世は元々宗教団体でしたからね。平和的思考、事なかれ主義の人間が多かったんですよ。極力魔力とは触れずに静かに生きようという人間がね。一方でそれとは真逆、強硬派の人間もいた。魔力などというものに依存した現文明を、社会を破壊し創り直そうという方々です。その二つの派閥が此世内で争いだしまして、結果的に強硬派が勝利。宗教団体という名目は変わりませんが、中身は完全に別物となりました。これが近頃の動向です。もっとも近頃と言っても二年ほど前ですけど」


 二年という期間は、組織を作り変える上では決して十分なものではない。しかし、結果的にそれが出来ているのだ。よほど有能な人材がいたということだろう。加え、作り変えられたという話が本当であるのなら厄介だ。おそらくは組織そのものが未だに活気づいている。こういう時に何をしでかすか分からない。


「あとは、村民ですか。必要だったんですよね、『素材』として」


「素材?」


「まあ、その辺はおいおい。お楽しみにお待ちくだされば。さて、このあたりにしておきましょうかね。あまり話すと怒られるでしょうし」


 双刃を構える。

 つらつらと語ったのは、この場で始末すればいいという考えからだろう。


「楽しみに待たせてはくれないのかな?」


「生きて、とは言っていませんしね」

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