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8-18 来訪者


「くっ、このぉっ!」


 不浄の戦闘能力は、著しく向上していた。単純な破壊力だけではなく、衝撃波を放つ間隔を埋める様に腕を用いた攻撃を仕掛けてくる。それだけでも息つく暇がないというのに、さらに厄介なことは、敵の新たな武器が腕と手であるということだ。

 手は、万能だ。単体でも殴、突、握などが出来るが、加え、道具を用いることが出来る。土を掴み投げつけることも、丸太を取って武器にすることも出来る。


 敵は緩急をつけて攻めてくる。視認するのがやっとな程の速さもあれば、蝿が止まりそうなほど遅いときもある。こちらの動きを見て判断していることが分かる。今までに戦ってきた不浄とは一線を画する存在である。


 だが、それは人間も有する特徴である。


 こちらの身体を模したのか、腕の形状は人間と酷似している。つまりは。


「そこ!」


 可動域には限界がある、ということ。

 付け根が人体の物とは違い、自由度が高いが肘に当たる部分は同一である。ならば、対応は出来る。


 躱し、一太刀。掠めた程度であったが、十分に分かる。甲殻のような硬さはない。生えたばかりということもあるのだろう。つまり、今が攻め時。

 一時的に強化の魔導の出力を高める。戦闘が始まって絶やさずに発動しているため魔力量はすでに心もとないが、この機を逃すわけにはいかない。





 六之介は櫓を構成していた丸太が無数に転がる場所で応戦していた。本来であれば開けた場所の方が好ましいが、回避手段、防御手段の乏しい六之介にとってこの入り組んだ状態は最良と言えた。敵は視認し攻撃をしてくる。これほど障害物があれば身を隠すことも可能であるし、比較的小型の板材を盾にすることもできる。


 視界の隅で五樹が一太刀を入れる。口にすることはないが、彼の戦闘能力は大したものである。四方八方から迫る攻撃を捌き切れる技量は勿論の事、純粋な身体能力も高い。魔力の持続力も高い。突出している部分があるというわけではないが、全体のバランスが良く、完成されていると言えるだろう。


 五樹の一撃で鮮血が舞う。掠めた程度でも斬れるのならば、手を打つことは出来る。


「篠宮!」


「どうした!?」


「もう一度、少しだけ一人で応戦できるか?」


「またかよ! ま、しょうがねえな、任せな!」


 口ではそうは言うが、五樹も長くは保たないだろう。急がねばならない。

 不浄の死角を狙い走り出す。幸いなことに自宅までは近い。畦道を駆け抜け水路を飛び越え、扉を蹴破る。火薬を抜かれた苦無状魔導兵装『雪風』を手に取り、土間の隅に置かれていた壺の栓を取る。中にはどろりとした濃茶色の液体が入っている。それを先端に擦り付け、家を飛び出す。


 備えあれば患いなし、というわけではないが無駄に作りすぎたこれを使うときが来ようとは思いもしなかった。効果のほどは以前に使ったきりだが、折り紙付きだ。ただし不浄に大して効果があるか否かは分からない。賭けと言ってもいいだろう。


 だが今はそれを信じるしかない。


 五樹の元へ急ぎ戻る。

 戦闘は膠着状態であるようにみえるが、このまま時間が経てばこちらが不利になる。急がなくてはならない。

 五樹と目が合う。お互い小さく頷く。


 何か意図があったというわけではない。ただ同僚として、魔導官として、互いに確固たる信頼が生じた。


 六之介が動く。不浄の死角から飛び出し、粘液まみれの右腕の付け根に取り付く。可動範囲からして取り付いてしまえば右手が届くことはない。左腕に向かって五樹がより積極的な攻勢に転ずる。

 

 懐から苦無を取り出し、思い切り突き刺す。一つ、二つ、三つと広範囲に深く突き刺す。やはり硬度は高くない。人間の腹部に近いだろうか。刃の深さから骨は未発達であり、筋肉もしくは血液の圧力によって動かしていると予想できる。

 六本目を突き刺したところで、右端で煙が歪む。


「六之介!」


 五樹が声を荒げる。が、六之介は避けずにもう一本を止めとばかりに突き刺す。それとほぼ同時に衝撃波が生じ、水路まで吹き飛ばされた。

 受け身は間に合った。そして、ダメージはあるがそれほど大きくない。やはり、完全に密着されると如何に不浄であっても全力では攻撃できなかった様だ。


「……げほっ」


 とはいえ、何ともないと言えば嘘になる。立ち上がろうにも手足が痺れ、力は入らない。魔導官服が泥水を吸い重くなり、肌にへばりつく。不愉快なことこの上ないが、それを解消する余裕もなく、ただ水路の縁に背中を預けることしか出来ずにいる。 

 この状態で攻撃を喰らえば十中八九、死ぬだろう。


 うまく見逃してくれれば良いのだが、と、どこか他人事のように不浄を見据える。が、事はそう上手くはいかない。煙がゆっくりと眼前で渦を巻いている。

 回避をするだけ身体は動かない。防御手段はない。都合よく能力が使用できるようになる様子もない。


「……くそ」


 吐き捨てる。

 その時。


「うぅおおりゃああ!」


 雄たけびと共に、五樹が不浄を斬り付ける。その傷は深く、硬直し悲鳴を上げる。間をおかずに、流れるような太刀筋が左腕を襲う。ぐずりという粘着質な音と共に左腕が転がる。五樹を排除すべき敵とみなしたのか、残された右腕が伸びる。しかし、それは途中で動きが止まり、力なく垂れ下がる。そこからじわじわと変調が広がっていく。


「……効いた、か……」


 苦無に塗り付けておいたのは、この近辺に自生する靫鈴蘭から抽出した毒であった。誤って口にすれば三日と持たず全身が麻痺し死に至る毒草。元々大型の肉食獣が出た時のために作っておいたものであるが、不浄にも効果はあったようだ。本来矢の先端に微量付着させるだけで効果があるのだが、それの十倍以上の量を叩きこんだことも功を奏したのだろう。


 この隙を逃す五樹ではない。  

 脳の位置は左前面。もう何度も斬っている。場所も硬さも十分に分かっている。これだけ大きな隙があるのならば、断てぬはずもなく。


「獲った!」


 何万回と振り続けてきた。身体はおろか、魂にまで刻み込まれた動作。一部の曇りも歪みもない閃光の如き一太刀を以て、悪しき存在を屠る。血飛沫を頬に受けながら、断末魔を耳にしながら。   

 

 不浄の身体から力が抜ける。もう脳がありそうな場所は見られない。血を懐紙で拭い、鞘に納める。


「六之介、大丈夫か?」


「ん、まあ、死にはせんさ」


 全身が痛むのも、疲労困憊であることも事実であるが、致命傷は負っていない。

 その返事を聞き、ほっと五樹は胸をなでおろす。


「そいつは良かった……それにしても、お前、毒かよ」


 不浄に突き刺さったままの苦無を指さす。


「……ああ、効果あったろ?」


 にやりと不敵に笑うと、五樹もつられてくすりと零す。


「ああ、絶大だったな。これ上に出してみてもいいんじゃないか? 武器として使えるぜ?」

 

 上とは、魔導機関の上層部のことを指しているのだろう。


「抽出するのに手間暇が尋常じゃないんだぞ? しかも少量しか取れんしな」


 自宅にあるのはおよそ一リットル分。それだけでも千本近い靫鈴蘭が必要だったのだ。日本全土の魔導官署に配布となれば、どれほどの量が必要となるのか想像もできない。

 

「じゃあ量産は無理か……ほいよ、手」


 差し伸べられた手を握ろうと伸ばした―――刹那。


 丸太が大きく動いた。そして、切断された左腕『のみ』が飛蝗のように跳ねる。指先は真っ直ぐに伸びており、骨が変質したのか錐状となっている。

 

 速い。


 もはや回避運動は間に合わない。人間の運動に至るまでの時間を超えている。一瞬早かったのだ。血液が、十分な毒が廻るよりも早く腕が落ちた。断たれたのだ。だからまだ動ける。自我がなくとも敵のいる場所へ向かって。


 五樹は動けなかった。勝ったという気の緩みが全身にあった。戦闘態勢に移行する暇もない。ただ自身に迫る殺意を見ているだけしか出来なかった。世界が静止しているかのようにゆっくりで、気味が悪いほど静かだった。恐怖を、無念を感じる時間もない。


 ここで、俺は―――。


「『五樹』!」


 六之介が叫んだ。

 頭の中に浮かぶものは盾、鎧、甲冑、兜、籠手。堅牢、頑強、頑強、牢固。断固たる守護の意思。


 その意思に、魔力は呼応する。


 形が成されるのは『壁』。なんの変哲もなく、ただ簡素かつ単純な、緑色に輝く壁。しかし、それは確かな思いによって産まれた物。故に、死をもたらすはずであった一撃を拒むことが出来る。


「くっ!」


 慌てて抜刀し、斬り伏せる。今度こそ、ついに動かなくなる。念のためにと再度関節部分から切断し放る。


「六之介、お前……」


「……」


 自分でも信じられないと言った様子で、自身の手と未だに存在している壁を交互に見ている。

 そして、ぽつりとつぶやく。


「……使えちゃったよ、魔導」


「……っぷ、ふ、あははははははははは! そうだな、使えたな!」


 六之介の手を引き、立たせる。それと同時に壁は砕け、欠片も残らず消滅する。あまりにもあっけなく、まるで夢でも見ていたような錯覚すら受ける。 


「おめでとさん、鏡美たちに報告しないとな!」


「めでたい、のか? なんだかファンタジーの住人になってしまったようで複雑なんだが……」


「ふぁんた……? よく分かんねえけど、お前はここ住人だろ、とっくに」


「…………それもそうか」


「おうよ! あ、それとお前、俺の事『五樹』って呼んだな」


「む……いや、あれはそっちの方が文字数少ないからで」


「いやー、お前、その言い訳は苦しくね?」


「苦しくない」


「はいはい、そういうことにしといてやるよ」


 五樹が右の握りこぶしを差し出す。何を求められているのか、なんとなく分かる。

 なんだか気恥ずかしいと言うか、柄でもないような気がしたが、今日の功労者である五樹に恥をかかせるわけにもいかないだろう。


「……ふん」


 こつりと拳同士がぶつかり合う音がした。お互いの顔も見なければ会話もない。しかし、その口元に満足げな笑みが浮かんでいた。      

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