8-14 来訪者
朝を迎えた。いつもの長閑な雰囲気はなく、廃村のような寂寥感が漂っている。
空模様は曇、そして、無風。じっとりとして蒸し暑い。翆嶺村には濃霧を思わせる煙が焚かれており、何とも形容しがたい臭いが立ち込めていた。
六之介は、篝火の傍らに一人立っている瞼を降ろし、微動だにしない。全身の感覚をこれでもかと研ぎ澄ましていた。木々のざわめき、用水路を流れる水の音。動物の鳴き声はなく、異様な程静かだった。
時刻は七時を迎えようとしている。村民たちが行動を始めてから、二時間が経とうとしている。非戦闘員の避難は完了している。怪我人も然りだ。
全て準備は出来ている。脳内で何度もシミュレーションをし、抜かりはない。
――――からん。
「!」
音がした。猪脅しのぶつかる乾いた音。
――――からからから。
音が激しく、そして近付いてくる。村に迫っている。
篝火を松明に移す。油が染みたそれは一気に燃え上がる。この煙の中、炎の煌めきは目を惹きつける。
そして、姿を見せた。
「……ふん、随分とまあ、変化したじゃないか」
以前の姿がナメクジとすれば、これはダンゴムシとでも呼ぼうか。全身が黒ずんだ甲冑の如き『ひだ』で覆われている。その隙間から小さく目が見える。銃器に対する変化がこれというわけだ。なるほど、厄介だなと冷や汗を流す。ある程度は予想をしていたが、ここまで重厚になるとは思わなかった。近くに寄ってくると、分かる。二回りほど体躯が増している。これでは脳の位置が分からない。
さてどうしたものか、と思案すると同時に、六之介の隣で煙が不自然に動いた。
「そらきた!」
身をひるがえす。能力は使えなくとも、身体能力、反射神経は超人となるように設計されている。
不浄の能力は、衝撃を生み出すといったものである。この不浄はどういうわけか、特殊能力を有し、それによる魔力の変動が見られない。つまり、発動の事前現象がないのだ。そのため回避、防御は困難を極め、前回は逃亡するという選択肢しかなかった。
それを解消するための策が、この煙である。衝撃は目に見えない。そのため回避も防御も後手に回ってしまう。ならば、見える様にすればいい。煙の揺らぎが、敵の攻撃を教えてくれる。
右、躱す。
左、躱す。
笛を取り出し、大きく、村中に響くよう鳴らす。戦闘の合図だ。
大地を大きく蹴り、踵を返す。能力を用いる程でではないが、普段と同等に動ける程度には回復している。
「皆、今からそっちに向かうぞ! 用意しておけ!」
姿の見えない仲間たちに伝える。
跳ぶように走ると不浄は迷わずにその後を追う。全身を蠕動させ、その進んだ道には粘液がこびりつく。
疾走する。右手に上等な生け垣がある。そしてその隙間から除く、銀色の切っ先。
「第一射、準備! 来るぞ! 射ったら即逃げろ!」
あくまでも戦闘員は六之介と五樹であり、村民は半強制的な協力者にすぎない。万が一にも犠牲にするわけにはいかない。
不浄が身体をくねらせながら現れる。その動きは六之介のみを獲物と見ていた。わき目も見ない不浄が生け垣に迫り、そして。
ソレは放たれた。
「――――ッ!?」
不浄が真横に吹き飛ぶ。その胴体には深々と矢が突き刺さっていた。
矢と言っても小指の太さも無いようなものではない。人間の脛程もある竹をそのまま用いた極太の矢。その先端には六之介が鍬を自宅で加工して作った鏃が備え付けられている。そして、その矢は内部の節が砕かれている。ごぽりと音を立てて、不浄の血液が内部を伝い、外に零れ出る。
血液に触れると回復してしまうと言うのなら、その血液を全て抜いてやろうという判断だった。
しかし。
不浄は身体をくねらせ、矢を引き抜く、同時に傷が塞がる。想定していたよりも硬い。
横見で不浄の様子を見ながら六之介が舌打ちをする。
四射で確実に血液を抜いていく作戦であったが。このままでは更に硬化する恐れがある。ならば、早々に手を打つべきか。
「全員角度を修正、十五秒に発射準備!」
出来ることなら五秒ほどで放ちたいところであるが、急いで失敗しては元も子もない。慌てずに、それでいて正確に修正できるように指示を出さなくてはならない。
十五秒という時間は短い様だが、常日頃から銃器、もしくは弓矢を用いて狩猟をする彼らにとっては十分な時間だ。通常の数倍の大きさの弓矢を使わせているが、その命中力に変化はないと第一射目で分かった。
草むら、生け垣、暖簾の隙間から覗く鏃の角度がじわりと変わり、固定される。不浄の移動速度から十五秒後にどの辺りにいるのか、あたりを付けたようだ。さすが、手慣れている。
六之介の背後の煙が渦巻き、畦道の土が吹き飛ぶ。
速度では向こうに分があるようだ。このままでは追い付かれるのも時間の問題だ。
第二、三、四射が放たれた。大気を切り裂き、巨人の矢が確実に突き刺さる。あわよくば、これで脳が潰れてほしいと願ったが、そう上手くはいかないようだ。
紫色の血液がまき散らしながら、咆哮し、暴れる。無差別に衝撃を発生させ、家が、庭が、蔵が、畑が、田が、人間の住む証が押しつぶされていく。射手はもう逃げおおせただろうが、それでも心臓によくはない光景である。
落とし穴まではもう一息である。罠猟に長けているだけあって、その偽装は見事なものである。立ち込めている煙の影響もあるが、ただの道が伸びている様にしか見えない。
時間をかければこちらが不利になる。
懐から魔導兵装『雪風』を取り出し、放る。火打石を加工し、内部に収めてあり大きな振動が加われば着火、破裂するようになっている。
閃光と爆炎が上がる。大きさが大きさであるため、大きな損傷は期待できないが、知性があるのであれば。
「――ッ!!」
「ははっ、そらそら、こっちだ!」
激昂する。無差別に衝撃が巻き起こる。
その範囲を確認する。距離にすれば、不浄から三メートルほどだろうか。そこから先にも放つことは出来るだろうが、その威力は著しく低下している。
地響きと共に疾走する巨躯。これほどの速度が付けば簡単には止まれない。
先ほどの爆破は、敵の注意をこちらに向けるという意味合いもあるが、もう一つ。落とし穴を避けるときに、どうしても迂回しなくてはならない。それを視認されることをどうしても避けたかったのだ。
後方確認、不浄が近付いてくる。あと五メートル、三メートル、一メートル。
「――!?」
地割れの如き大穴が不浄を飲み込む。そしてその底部には、先端を焦がした竹槍が埋め込まれており、見事に貫通している。こうなれば簡単には抜け出せない。
「網!」
命じると同時に網が投げ込まれる。不浄の膂力でも簡単にはちぎれない程には強靭だ。そしてそれを、杭打つ。蜘蛛の巣に捕らわれたように、動けない。
村民の避難を確認したのち、胸元から燐寸を取り出す。
残されていた雪風は十三。それらを分解し、中から取り出した火薬を落とし穴の底部に敷き詰めてある一つ一つは微量でも十三ともなると、相当なものだ。そして、そこに金属片を混ぜてあった。
燐寸を放り、すぐさまにその場を離れる。こんな時に瞬間移動が出来たら楽なのだが、生憎使用不可能である。
一つの影が、六之介の前に躍り出た。
「盾はっとくぜ!」
「助かる!」
とどめとして控えていた五樹が、盾を形成する。同時に爆音、爆風、そして灼熱。不浄の悲鳴すらもかき消される。踏み固められた地盤に亀裂が走り、沈下する。
まともな生物であればすでに息絶えているだろう。しかし、これは不浄。生命力の高さは折り紙付きである。
衝撃が走った。
不浄が宙に浮かんでいる。衝撃波を下部から上部に向けて放ち、竹槍から解放される。しかし、それはあくまで一時的に吹き飛んだだけである。滑空でも跳躍でもない。
「篠宮、落下後、敵の甲殻を斬り落とせ。手当たり次第だ。脳を探す」
「頼んだぜ、こっちは暴れさせてもらう!」
ここからが本番である。敵の間合いで、弱点を探す。容易なことではない。
滞りなくことが進めばよいのだが、そう上手くはいかない、そんな予感が六之介の中にあった。




