8-5 来訪者
「さて、では早速だけれど早々に始めましょうか」
魔導官としては子柄な、黒髪癖毛の青年が立ち上がり、黒板に文字を書く。決して流麗な書体ではないが一画が鋭く隣の文字と見事に隔絶し、読みやすい。
黒板には『法正二十二年、不浄頻出期対策会議』とある。御剣第六十魔導官署署長、川合均が手元にある資料を見ながら続ける。
「えー、内容に関しては……いつも通りですね、割愛してもいいっすか?」
「却下だ」
第六十五魔導官署署長、野田隆一が首を横に振る。相変わらず堅苦しいと小さくため息をこぼす。
「では、少々長くなりますが。神域が日ノ本上空に接近しつつあります。前回より一週間ほど遅くなりましたね。また今年は気象の影響か、南側、つまりは、関西方面へ流れているとのことです。ですが、高濃度魔力領域が関東地方にも無数に存在、ここ御剣付近にも多々見受けられ、およそ五十から八十の降臨現象が予想されるとのことっす」
「あら、去年より随分多いのねぇ」
濃緑色の髪に桃色の瞳、魔導官制服の下に着物を纏った女性、第六十一魔導官署署長、宮部美嘉が同一の資料を眺める。簡単な地図が描かれており、御剣周辺の降臨現象予想地点、および、動植物の生育分布を細く長い指で艶かしく撫でる。
「ですです。なので今年は前回の倍の魔術具、医療機器、食料品などが上から支給されてるっすね。各魔導官署で確認しておいてくださいっす」
九人が一同に頷く。
「また、明後日に民間人の避難訓練を行いますので、各署長は担当区域の時間帯になったらよろしくお願いしまっす。それと同時に避難指定場所の物資に何かしら不足があったら総司令部に連絡をとのことっす。野田さん、これで問題ないっすか?」
満足げに頷く。
「では、頻出期における指揮官についてなんすが……今年も掛坂先輩でいいっすか?」
「小生は賛成だ」
「同じくー」
「左にいるが、右に同じくである」
「いーんじゃない?」
「……反対する理由もない」
群青色の髪を高く括った第六十三魔導官署署長、皐月雫。
他の魔導官たちと比べると幼い印象のある鼠色のツインテールが特徴的な第六十四魔導官署署長、三熊愛理。
頭髪を五分刈りに制服にも一切の乱れの見られない第六十七魔導官署署長、厳島正。
机に突っ伏しながら力なく賛成の挙手をする中性的な第六十八魔導官署署長、泉梓。
瞼を降ろし腕を組む銀髪の女性は第六十九魔導官署署長、綾瀬燈花。
渋々といった風ではあったが、第六十五魔導官署署長、野田隆一も頷く。
満場一致だった。しかし。
「今年は無理だな」
雲雀は首を横に振った。
「え、まじですか? どうしてです?」
「今年は神域が関西方面に流れるからな。遊撃魔導官としてそっち方面の派遣が増える」
日ノ本の中心は、どうしても関西方面である。十分な戦力は整っているが、万が一ということがある。
各々が署長として指揮能力に自負はあるが、それでも長が肝心なときに不在というのは、混乱の原因となるだろう。
「なるほどです。となると……野田さんですかね?」
視線が一点に集まる。
「ふむ、野田殿なら指揮能力は問題ないだろう」
厳島正が頷きながら口にする。他の魔導官も同様であるらしく、反論はない。
一瞬、雲雀が強い目つきで野田隆一に視線をむける。その意味が分からないほど、この男は愚かではなく、ふんと鼻を鳴らす。
「いいだろう、私が指揮を取ろう。だが、あくまでそれは派遣先、署員を決めるだけだ。装備品の選出、現地の行動は各自で判断してもらう。また、その際に生じた諸問題について、責任は一切取らんぞ」
もしここにいる魔導官達が規律を重視し、指示がなければ動けないようであったのなら、野田の対応は不相応なものと言えるだろう。しかし、ここは御剣。日ノ本全土の中でも一際癖のある魔導官達が集まっている。誰もが確固たる我を持ち、組織という巨大な機械の中での歯車として有り余る。だからこその指示である。
皆が深く頷いた事を確認すると、川合均は解散を告げた。




