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8-3 来訪者

 第二、第三の部屋へと進んでいくが、いずれの扉も硬く閉じられていた。

 残留魔力から足跡を追う。暗闇にも随分と目が慣れ、遺跡内部の状態が見えてくる。


 通路は七人並んでも余裕があるほど広く、天井も三メートル以上はある。壁の素材は、侵入口とほぼ同様である様だが、床を覆っている素材は異なる。長い年月のため変質していると考えられるが、歩くたびに表面がひび割れ剥がれる。しかし、所々は元の性質を保っているようで、心なしか柔らかく、摩擦係数が高く感じられる。厳密に分析をしてみなければ断定はできないが、ゴム質の素材が予想できた。


 先頭を歩いていた穴井の脚が止まり、指さす。地図で言うところ、コントロールルームと対極の位置にある部屋の前にたどり着く。滞りなく進んでいた三輪の脚が止まる。


「なあ、魔導官さん、ああ、稲峰殿、俺はこの仕事について何十年とやってきた」


「?」


 心なしかその口調は重い。


「色々なものを見てきたよ。内部で生態系が出来上がった遺跡、木乃伊になった古代人、不浄の寝床となっていた遺跡、盗掘のされた遺跡……で、だ。その中の、比較的大型の遺跡で、時折見かける模様があるんだ。意味は分からねえ。ただ、俺はそれを見ると、どうしても……こう、なにか背筋を悪寒が走るんだ」


 灯を高く掲げ、分厚く積もり切った埃を払う。うっすらと見えていたそれは、徐々に全貌をあらわにしていく。銀色の扉に刻まれた、禍禍しいほどにどす黒い模様。円を五つ組み合わせたような、それでいて何故か刺々しい。


 六之介が見上げる。描かれた模様は、くすんでいてもなお、異様な威圧感を放っている。三輪だけではなく、ここにいる皆がそれを知っている。しかし、意味が分かる者はただ一人だけであった。


「バ、バイオハザードマーク!?」


 思わず叫び、扉の隅を確認する。コントロールルーム同様にこじ開けられた形跡がある。マスクの上から、魔導官服を押し当て、叫ぶ。


「全員、いったん離れろ! 口元覆って出来るだけ呼吸を浅くしろ! それと、決して何にも触れるな! 埃も極力立てずに!」


 かつてないほどの剣幕に華也は一瞬固まる。しかし、魔導官としての経験が故に、その指示を忠実にこなす。鎹の人々も同様である。ただでさえ蒸し暑い遺跡の中で、極度の緊張が走る。震える身体を引きずりながら、六之介の元へ皆が揃うまで十分近い時間を要した。


「六之介様、あれは?」


「バイオハザードマークっていう、生物災害の危険があるっていう模様だよ」


「生物災害っていうと、不浄みたいなやつかい?」


「それもある意味正解ですが、もっと小さい生物である可能性が高いです。それこそ、縫い針の先端に何万と生息できる大きさですかね」


 鎹の皆が首を傾げる。堀井が口を開く。


「そんな小さいものが恐ろしいんですかい?」


「はい。小さいということは、簡単に広まると言うことです。風に乗って、水に流れて、食料にまぎれて、生体に侵入できます。小さいからと言って馬鹿にはできません。毒が強力な場合もありますが、体内で増殖することも可能なんです、微生物というものは」


 そこまで言ってようやく理解したのだろう。皆の顔が青ざめる。普段は飄々とした六之介も、今回ばかりは顔が強張っている。


「どうする、稲峰殿。ここは撤退するか?」


「……撤退したい気持ちもありますが、それ以上に気がかりなのは此世の連中があそこに入ったということです」


 魔導に依存した彼らが何を回収したか、病原性の高い最近であったとしたら不味いことになる。この世界の人間だけでは扱いきれないようなものでも、向こうにはメンゲレという狂人が存在している。専門は人体改造であるが、微生物に関しての知識を有していないとは考え難い。


「三輪さん、気密性の高い装備はありますか?」


「ああ、あるぜ。三着だけだが、水中でも動けるやつだ」


「十分です。自分と華也ちゃん、それと満さんで行きましょう。三輪さん達は焼却の準備をしておいてください」


「焼却?」


「微生物は燃やせば大体死にますからね。探索後、自分たちの服を燃やします」


 本来はご法度であるだろうが、今回ばかりは致し方あるまい。幸いにも、空間は相当広く、酸素不足に陥る可能性もない。


「華也ちゃん、魔力量は十分かい?」


「はい、全く使っていませんので」


「よし、じゃあ、着替えた後に自分たちの周りの温度を上げてほしい」


 簡単であるが上昇気流を発生させ、落下菌を防ぐ。効果があるかは分からないが、やらないよりはマシだろう。


「かしこまりました。何なりとお任せを」


「わ、私もですね! なんだかおっかない場所のようですが、ワクワクしまねえ!」


 満は両手をぐっと握る。恐怖心よりも知的好奇心が勝っているようだった。

 鬼が出るか蛇が出るか。できることならば、何事もなく片が付いてほしいと思いながら、三輪から気密服を受け取った。 



 灯を一定間隔で設置し、点灯する。ぼんやりとした明かりが徐々に強くなり、室内を照らす。

 ビニールやアクリルなどといった透明素材がないため、視界を覆っているのは分厚い硝子であり、視界は世辞にも良いとは言えない。全身を隙間なく、皮のような生地で覆っているため、ひどく重く、蒸し暑い。ただ立っているだけでも、汗が滴り落ちる。呼吸をするたびに硝子は曇り、水滴となる為、ただでさえ悪い視界がますますひどくなる。しかし、やむを得ない。


 壁面に近付き、灯を近付ける。


「これは……」


 浮かび上がってくるのは、陳列された大小様々な円柱状の容器であった。当然裸のままというわけはなく、巨大な硝子張りの陳列棚の向こうにある。全体を見通すが、破損している場所はないが、一か所のみ不自然に埃が残っていない。


 華也も気付いたのだろう。指さし、頷き合う。満は気密服のせいで三倍ほどに膨れ上がった指だと言うのに、まるで物ともせずに全容を描いている。むやみやたらに触れたりしないよう言い聞かせておいたため、放置してもいいだろう。


 華也の元に向かり、硝子の向こうを覗き見る。三つほど円柱の容器が抜き取られているようだった。硝子扉の取っ手を握り、横にスライドさせる。かなりの重量があったが、華也の助けもありようやく動かす。


「なんでしょうか、これは」


 気密服越しのため、ややくぐもった声。


「何かの標本かな……」


 適当なものを手に取り、埃を払う。貼り付けられていた紙は完全に変色、文字も脱色しており、読むことは出来なかった。内部には何らかの透明樹脂が詰まっているようだが、こちらも変色している。灯でそれを透かし、二人で覗きこむ。


「……昆虫、ですかね?」


「うん、そうみたいだね」


 ひし形の体躯に六本の脚、長い触覚。生憎昆虫には疎いため、名前は分からない。

 いくつか手に取り、同様に透かし見る。


「うん、ここいら一帯全部虫だね」


「そのようですね……でもどうしてこんな……?」


 生息していた動物を保存、ということだろうか。しかし、だとしたら何故バイオハザードマークをつけたのだろうか。ただの標本であるのなら、必要はないはずだ。

 

「ちょっともう少し標本を調べてみよう。魔力と体力は大丈夫かな?」


「はい……と言いたいですけれど、体力の方が辛いですね。この熱気はやはり……」


 体感にして五十度近いだろう。適当に切り上げなければ、倒れてしまう可能性もある。出来るだけ手早く済ませなければならない。




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