7-28 正義のミカタ おまけ
「よし、逃げよう」
すくりと立ち上がった六之介の口から放たれた言葉に、生き残りの魔導官たちは静止する。呆れたというよりは、理解できないといった様相である。
しかし、六之介は同意など求めていない。あっさりと踵を返し、小走りでその場を後にしようとした。
「ちょ、ちょっと待った!」
五樹が手を掴む。
「何?」
「いや、何じゃなくてだ。逃げるわけにはいかないだろう、俺たちは魔導官なんだぞ?」
五樹の言葉にはっとした様子で、何名かの魔導官が深く頷く。
魔導官とは、不浄と戦い、人々を守る存在である。それが敵前逃亡を図るなど、笑い話にもならない。
「何を言っているんだ、馬鹿かお前は。同調する連中も馬鹿だろ。その出来の悪い頭でよく考えてみろ、現状の戦力で何ができる?」
生存者は五十人に満たず、魔導兵装の破損はみられ、魔術具もない。そして敵はバンカーバスターですら殺し切れなかった相手だ。しかも、傷が再生すれば、さらに強固な甲殻を得るであろう。生身の人間がどうこう出来る相手ではない。
全ての魔導官は閉口する。楽観視など、誰も出来ない現実が目の前にある。無言は、六之介の判断の正を示していた。
「……何もできないだろう? だったら今は逃げることだ。逃げて、敵の情報を少しでも多く持ち帰る。そして、今後の戦いに活かすんだ。甲殻の硬さでもいい、動きでもいい、攻撃範囲なんか最高だ。それらを本部に伝え、必要な装備を整えて再戦する、それがベストだ」
「でも、そうすると潮来が……」
「壊滅する可能性はあるだろう。だが、そんなものはどうでもいい、たかが街なんだ。直すことが出来る。だが、自分なんかが言うのも気が引けるけれど、命というものは取り返しがつかない。失えば終わりだ。どちらを優先すべきかなど言うまでもない。だから」
「そうはいきません」
ふらりと右肩を押さえながら姿を見せたのは、本作戦の指揮官であり、潮来の担い手、宮藤由香里であった。
健康的に焼けた褐色の肌は、血が滲み、土や砂ぼこりで汚れている。耐久性に優れている魔導官服は所々が破れ、下着が顔を覗かせている部分すらある。
「……ご無事で」
「間一髪でしたけれど、仄に助けられました」
「副署長は無事なんですか?」
仄は魔導が使えないため、前線にはおらず、由香里のサポートに回っていた。本来ならば攻撃されるはずのない場所であるが、鎧嘯の振り下ろしの範囲は絶大であり、巻き込まれている可能性は大いに考えられた。
「ええ、土砂に呑まれましたが命に別条はありません。今は他の魔導官たちと休ませています」
華也、綴歌、五樹がほっと胸をなでおろす。口外はしていないが、やはり姿が見えなければ不安にもなる。
「そうですか、それはよかった。で、そうはいかないとはどういうことです?」
「そのままです。鎧嘯を見過ごすことは出来ません、なんとしてでもこの場で倒します」
その意思の強さの示すように、口調に淀みはなく、真っ直ぐに六之介を見据える。
「その気概は素晴らしいですが、どのようにですか? 自分にはもう手段が思いつかないのですが」
「感覚器官を狙います。その隙に塞がっていない傷痕に集中攻撃をしかけます」
「さきほど似たような策をした魔導官がどうなったかご存知ですか?」
無惨に横たわる肉塊を指さす。名前も知らない、所属も知らない、しかし同じ志を持ったまだ若い魔導官。瞳は華也の手によって閉じられていたが、それでもなお苦悶の発したまま硬直した風貌。
「無駄死にです」
「無駄死になどではない!」
由香里が激昂する。しかし、六之介は動じない。
「無駄死にです。この銛の危険性を示しましたが、それでも十人も死ぬ必要はなかった。一人二人でよかった。だというのに、ろくな損傷も与えられず、死んだ。無駄以外のなにものでもない」
こちらの頭数は無尽蔵ではない。一人欠けるだけでも大きな損失となる。それを考えず、向う見ずに吶喊した。それを勇気と称賛するか、無謀と中傷するか。六之介にとって、彼の振る舞いは、紛うことなき後者であった。
「貴様……!」
「睨もうが罵倒しようが勝手ですがね、貴女は自身がこの作戦の長であり、皆の命を背負ってると理解していますか?」
「当たり前だ! だから考えた、一人でも犠牲を出さないように、確実に敵を倒せるように! だが……っ」
作戦を伝達され、その重圧に何度潰されそうになったことか。眠れぬ日々を、長い夜を苦悩と共に乗り越え、訪れてしまった今日。この事件を皆で乗り越え、故郷の潮来で笑い合おうと、そう考えていたのだ。しかし、これが現実だ。魔導官署で同じ釜の飯を食べた者たちは皆死んだ。潮来に所属していた魔導官たちも、ほぼ全滅してしまった。
背負ったものが、重い。大地に縫い付けられているようだ。今にも膝が折れてしまいそうだった。しかし、それでも。
「逃げることなど、出来るか……! 故郷を滅ぼされることなど、許せるわけがないだろう! 我々は魔導官だ、不浄を戦わずして、どうするというのだ!」
由香里の言葉に動かされる者は多かった。元々、容姿や性格を始め、若手でありながら担い手として昇りつめた彼女は人気があった。そして現状でも諦めないという強い意志に感応し、多くの魔導官たちの失いかけていた戦意が灯り始める。
「我らの使命は、不浄を討ち倒すこと、そして、力なき人々とその故郷を守ることだ! その意思のあるものは、ここに残れ! そうで無ければ去るがいい!」
由香里の声は、良く通った。魔導官たちは地面に括りつけられたように動かない。そして、漣のように熱は伝播していく。
戦意は、咆哮となって外界に放たれた。奥底に沈殿していた鎧嘯への怒りが助長し、不安と恐怖は灰燼へと帰す。
その様を見ながら、六之介は小さく舌打ちをする。
ここは組織である。格下の者が何を口にしても、上の発言には決して勝てない。影響力が文字通り段違いである。
それは分かっていた。しかし、やはり解せない。生身の人間で対応できる状況はとうに脱している。努力や根性、精神論でどうにか出来る相手ではないというのに、彼女らはそれで抗おうとしている。
日ノ本にとって、潮来という存在がどれほど大きいかは理解している。都市の経済規模は勿論のこと、東北への鉄道の中継点であるため、ここが潰されれば双方向の輸送に甚大な被害が出るだろう。その上、十万人を超える市民の避難。当然、生じる食糧問題、居住区問題。さらに言えば、魔導機関への非難も起こり得る。
被害はどこまでも広がっていくだろう。だからこそ、止めなければならないという使命感は当然、魔導官として正論であろう。
しかし、それが常に正しいとは限らないのだ。正が、負を産むことなど珍しいことではない。
「六之介様?」
「六之介?」
踵を返す。無駄死にすると分かっていて挑むほど、馬鹿ではない。玉砕など、気の違えた連中が勝手にやればいい。
「帰るよ。去ってもいいって許可は出ているし」
「本当に帰りますの?」
「当たり前でしょ? 何、君らも特攻して死にたいの?」
それはと口ごもる。
「あのね、言っとくけど、この戦力で勝てる見込みは皆無だよ。そもそも生身の人間に長門の砲撃以上、あるいはバンカーバスター以上の攻撃が出来ると思う?」
結論は言うまでもなく、不可能だ。武器、兵器というものは、人間の限界を超えた力をもたらすためのものである。あのバンカーバスターなど、その最たる例である。あれほどの貫通力と破壊力は、生身の人間ではおおよそたどり着けない境地にある。それを用いても、殺し切れなかったのだ。
「これ以上何をしても無駄無駄。それよりも潮来の人間を避難させるよ、手伝って」
華也と五樹の手を取り、引っ張る。
「お、おい、引っ張るなよ!」
「やかましい。お前らは無理やりにでも動かさないと、あっちに参加しようとするだろ」
「ええっ! 私もですか!?」
「君こそお人好しの代表みたいなもんでしょうが」
「私は別枠ですのね」
「綴歌ちゃんは、良くも悪くもリアリスト……現実主義者でしょ。それとも、あの連中に付き合いたい?」
僅かな武装を整える魔導官の集団をちらりと見る。
「冗談じゃないですわ」
はんと鼻で笑う。彼女のこういう面が好ましく思う。
ここから潮来までは、走れば二十分とかからないだろう。市民の避難はあらかた済んでいると言うが、故郷を置いていけないという人間が少なからず存在するのは、さきほど目にしたばかりである。いったい何人がこちらの指示に従ってくれるかは疑問であるが、かといって見捨てるわけにはいくまい。
こんな思考になるなど、少し前の自分では考えられなかったと、自嘲する。
「とりあえず、潮来に着いたら分散しよう。深追いしすぎないように市民を船着き場まで誘導しぶっ!」
振り返りながら走っていたため何か巨大で、硬いものとぶつかる。大木かと思われたが、軟性を有していた。
それは思わず体制を崩す六之介の襟元を、乱暴につかみ持ち上げる。
「大丈夫か」
立っていたのは、ここにいるはずのない人物。金色の髪が、日差しの中煌々と輝いている。こんな状況下でも、いつも通り浮かぶ不敵な笑み。
「署長!?」
「おう、ちょうど着いたところだ。お前ら、現状を説明しろ」
掛坂雲雀は、ひょいと六之介を小脇に抱えた。




