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7-26 正義のミカタ おまけ

 気球は、予定通りの時間に離陸した。木材で繋がれ、その中央に錨をぶら下げている様は中々に異様であった。

 ゆっくりとだが、確実に高度を上げていくことを確認し、由香里は全魔導官への作戦開始を告げる。


 空気を切り裂く笛の音と共に、雄たけびの中、魔導官たちが吶喊していく。先陣を切る者は人間の手首程もある縄が三本握られている。彼らはいずれも潮来の魔導官であり、解けない結び方を熟知している。胴体をあらわにしてからの鎧嘯の動きはひどく緩慢だ。おそらくまだ陸上における自重に適応していないのだろう。一歩進むのに一分、これだけあれば、潮来の魔導官ならば十分に結ぶことが出来る。

 高台からその全容を見下ろす。

 一、二脚が完了する。遅れて、三、四脚が続く。

 拘束班の一人が、大きく赤旗を振る。準備は出来ているという合図だ。息を大きく吸い込み、笛を吹きならす。それに合わせて、縄のゆとりはなくなる。


「引けえええええ!」


 戦闘に立っている男の声と共に、強化の魔導を発動。縄を握りしめ、足腰に力を入れる。当然、砂地であるため、踏ん張りは効きづらいため、形成の魔導で杭を打ち込み、全力をそそぐ。およそ五十人、身体を鍛えることに余念のない者たちをもってしても脚は動かない。


「上がるぞ! 気を付けろ!」


 振動と共に、脚が持ち上がる。これが機会だ。海底に脚先が突き刺さっている状態では無理でも、浮いている状態であれば。

 がくんと、縄が動いた。青の光が強くなり、雄たけびが増していく。引け、走れ、全力をだせと叫ぶ者もいれば、歯をくいしばり血を滴らせている者もいる。一脚が動けば、ドミノ倒しのように続く。二、三、四脚が引っ張られる。そして、地響き、小さな津波が押し寄せる。


「拘束用魔術具、発動!」


 感魔力式の魔術具が、鎧嘯の膨大な魔力によって起動する。形成された緑の帯は、編み込まれるように複雑に絡みつく、鎧嘯を浜辺に押し付けていく。苦しんでいるのか、もがいているのか、ただ黒いだけの眼からは何も読み取れない。


「設置部隊行動開始! それ以外は、即刻退避!」


 高台から飛蝗のように跳躍し、鎧嘯の背に降り立つ。爆弾を設置した魔導官は、改めてその巨体と存在感に呑まれかける。足裏からの感触で分かる。これは人間によって破壊できる甲殻ではないと。だからこそ、道具を用いるのだ。一度に百もの爆弾は設置できない。まずは二十を一点に集中させる。時限式であり、爆発は十秒後。同時に設置し、同時にその場を離れる。一糸乱れぬ統率の取れた動きは、同魔導官署に所属する者たちであるが故である。

 

 十。


「総員、物陰に隠れ衝撃にそなえよ!」


 九、八、七。

 

 由香里の声が響く。木陰、岩陰、壕に身を隠し、魔導によって盾を形成する。

 

 六、五、四、三、二。


 身を強張らせ、衝撃に備える。ぶつりと音を立てながら、拘束の一部がちぎられるが、遅い。


 一、零。


 本日二度目。潮来を大気を揺るがす。轟音と爆炎が巻き上がり、熱が迸る。海面は圧され、鎧嘯を中心に波紋が広がる。遅れてきた衝撃波が砂塵を巻き上げる。

 手ごたえはあった。どれほど巨大であっても、所詮は海洋生物。熱に強いはずはない。甲殻が無事だとしても、内部はそうではない。甲羅を伝播し灼熱が駆け巡る。燻り、燃え上がる黒煙。引きずり倒された脚はピクリとも動かない。


 ――――勝った。


 誰もがそう思った時である。黒煙から二本の柱が伸びた。それは天を突くように真っすぐと、高々と掲げられる。それが何であるか、瞬時に理解できたものはごくわずかであった。


「っ! 退避ー!」


 由香里の叫びと同時に柱は、乱暴に振り落とされた。否、叩き付けられたというべきであろうか。拘束から逃れていた鋏は、大地に深くめり込む。高台は崩れ、松は小枝のように砕かれる。巻き込まれた魔導官は、一瞬で肉塊と化す。骨など盾など存在しないに等しい。絶対的かつ圧倒的な質量が、明確な殺意を持って牙をむいた。人の形など、残るはずもなかった。


 つづけて、鋏が横に大きく伸びる。百どころではない。おそらく二百メートル、あるいはそれ以上の超広範囲攻撃。

 

 薙ぎ払いがくる。そう直感した魔導官の動きは、三種類であった。その場から陸地方面に駆け出すもの。鎧嘯の足元に向かうもの、壕に身を屈めるもの。結論を言えば、陸地へと向かった魔導官の動きは愚策と呼ばざるを得なかった。ここは海岸であり、多少の高台はあれども基本は平地、しかも砂浜の広がる海岸である。十分な距離など、取れるはずもない。

 砂塵が巻き上がり、鮮血、肉片が中空を舞い、赤黒い血しぶきが飛散する。


 そして、鎧嘯の足元に向かったものも無事では済まなかった。不浄自体による攻撃ではない。もう一つの存在が、海中に潜んでいたのだ。

 一人の魔導官が悲鳴を上げ、しりもちをついた。海水が赤く染まり、右足が無くなっている。鎧嘯の進行によって巻き上げられた砂の奥で、何かが蠢いている。槍を手にしていた魔導官が気配を感じ突き刺す。手ごたえと共に姿を現したのは、巨大な節足動物。大王具足虫を思わせる銀色の虫であった。

 悲鳴が連鎖する。一匹ではない。十匹、二十匹、あるいはそれ以上が陸地に向かって行進していた。虫の思考は分からない。住処を奪われた怒りか、ただそこに餌となる生物がいるためか、それとも、これといった感情はないのか。

 唯一犠牲者が出なかったのは、最初の振り下ろしから離れた壕に避難した魔導官たちであった。砂をかぶる、瓦礫にぶつかるなどあったが、負傷にまで至ったものはいない。第六十六魔導官署所属の魔導官たちは、皆ここにいた。


「さて、どうします?」


 息を殺して口を開くのは、綴歌だった。仲間を助けるため今にも駆け出しそうな華也の五樹の肩を押さえながら、唯一冷静さを保っていた。外に出れ、ば薙ぎ払い、振り下ろしに襲われる可能性がある。あれは、防げない。回避も不可能だ。異能による疑似時間停止でも、重力によって引っ張られるため、止めることは出来ないだろう。

 

「……鎧嘯の状態は……駄目ですね。何も変わった様子がないです」


 激情が収まりつつある華也が敵を観察する。見た目に変化はない。拘束こそされているが、弱ったようには見えない。魔力も相変わらず高いままだ。


「くそが、どうすればいいんだよ、あんな……!」


 大きさとは、強さである。それをまざまざと見せつけられる。

 ピと機械的な音がした。視線が五樹に注がれる。腰にぶら下げられていた掌台の機械を取り出す。それは砲撃後、別行動をとる六之介から渡されていた通信機である。これは飯塚亜矢音から渡された通信機とは別物であり、短距離での通信しかできない。


「あー、あー、聞こえる? 生きてる?」


 間の抜けた声に、なんだか緊張が和らぐ。


「ああ、皆生きてるぞ。今隠れているが……お前はどこにいるんだ?」


 同じく壕の中であろうか。それともどこかの岩陰か。


「空」


「は?」


「空だよ。今飛んでる。鎧嘯の真上」


 正六角形を形作りながら、気球は錨をつるしたまま、鎧嘯の直上五百メートルほどの位置にいた。

 五樹の声を聴きながら、そっと冷や汗をぬぐう。先ほどの薙ぎ払いの恐ろしさは、上空から見れば一目瞭然である。あんなもの避けられるはずがない。


「宮藤礼将は生きてるかな?」


「いや、分からん。少なくともこの辺には見当たらない」


 かすれ、途切れ途切れの音声である。本来ならばさらなる長距離でも通信ができるとのことだが、鎧嘯の高魔力が影響しているのだろう。小さく舌打ちをする。


「そうか、ならお前らに一つ頼みがある」


「なんだ?」


「設置部隊の爆弾がどこにあるかは分かるか?」


「……ああ、それなら分かる。吹き飛ばされてなければだが」


「吹き飛ばされてててもいいから、可能な限り回収してくれ」


「分かった。だが、爆弾なんかじゃ……」


「ああ、だろうな。だから、あの甲殻を吹き飛ばすんだ」


 錨を見つめる。良い仕上がりだ。重心にぶれがない。これならば期待できる。


「……分かった。いつ回収しに行けばいい?」


「今から十分と『少し』したら敵の甲羅が吹き飛ぶ。それに間に合うようにしてくれ。あと爆弾は設置せずに放り投げた方がいい。上から見ると分かるが、甲殻が変形している。乗れば何かしてくるぞ」


 ただの蟹の形状だったのが、爆発の後から変化している。エアインテークを思わせる溝が整然と並んでいる。不定形と称されるほどの不浄特有の変化。それは甲殻であっても例外ではない。水で洗い流すのか、空気でも放出するのか、分からない。しかし、甲羅にのった存在に対する対抗策であることは分かる。


「分かった、信じるぞ」


 ぶつりと通信が切れる。

 信じるという言葉が、なんだかひどく重たい。だが、不思議と不快ではなく、何か胸の奥でたぎるものがあった。


「皆さん、自分の合図と共に投下しますので、準備を!」


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