7-24 正義のミカタ おまけ
「無事、体組織の回収に成功したとのことです」
その報告に由香里は頷く。第一段階は達成である。これを調べ、敵が不浄であるか災禍であるかが明らかになる。
潮来の海は遠浅であるが、ある地点を境に急激に深くなっている。敵は真っ直ぐにこちらに向かってくるのなら、座礁するのは時間の問題である。
「それと、稲峰義将が宮藤礼将へ報告があるとのことです」
「そうですか、通してください」
一カ月ほど前、ほんの少しだけ会話を交わした程度だが顔は覚えている。
「失礼します、宮藤礼将。お時間を」
のんびりとした少年という印象があったが、かなり慌ててた様子である。乱れた呼吸を整えながら姿勢を正す。
「どうしましたか?」
大きく息を吐き出し、由香里を真っ直ぐに見つめる。
「敵の正体が分かりました」
「!」
「それに伴って、早急な攻撃をすべきだと提言します」
「それは」
どういうことか、問うよりも早く六之介は続ける。
「敵は、魚ではありません」
「え!?」
「敵は、甲殻類です。おそらく、蟹であると思われます」
指令書の隅に六之介が図を描く。それは異様に長い脚をもった蟹であり、その背には船舶が乗っている。
「これは高足蟹?」
「はい。空母の甲板に上陸したのですが、違和感が三つありました。一つは繊維状に伸びた組織です。一見すると生体の一部に見えましたが、あれは違います。船体を固定するために甲殻から伸びたものだと考えられます。第二に振動です。この穏やか気候、風もほぼない陽気だと言うのに立っていることすら不可能になる程の揺れがありました。しかも横方向ではなく、上下のみです。これは、本体である高足蟹が歩行しているためと考えられます。第三は、甲板上の魚の死骸です。太平洋をひたすら進み続けていたというのなら、甲板打ち上げられた魚は白骨化、腐敗は免れません。しかし、魚は原形を保っていた。これは、あの船が発見された日、つまり五日前まであの船体が海中にあり、水深が浅くなったことで海上に出たと考えられるのではないでしょうか。それと、はっきりとしたものではありませんが、海中に甲殻のようなものを視認出来ました」
「海底を、歩行……ということは」
「はい。上陸も考えられます」
本来なら、外骨格の生物がそれほどの巨体になることはあり得ない。しかし、敵は不浄、あるいは災禍である。常識など、通用しない。
外が騒々しくなった。こちらに駆け寄る足音がする。
「宮藤礼将! 敵が、敵が!」
「っ! 今行きます!」
魔導官服をはためかせ、由香里が急ごしらえの小屋から飛び出、海岸へと向かう。
潮風が舞う中、それはその姿をあらわにしていた。集合した魔導官たちはただ口を間抜けに開けるばかりである。しかし、それを咎めることなどできはしなかった。それほどまでに鎧嘯と名付けられた存在は巨大であった。
「嘘でしょう……」
由香里がぽろりとこぼす。
鎧嘯は空母を背負い、ゆっくりとだが確実にこちらへ歩む。海鳴りの中、地響きと共に進行する異形。八本の脚はどす黒く変色し、その巨体を支えている。二本の鋏は折り畳まれているが、その全長の推測すら困難な程長い。
一歩、また一歩。小さな海嘯を引き越しながら進む様は、さながら災害の化身である。
六之介を含む、全魔導官がその威圧感に呑まれる中、声を上げたのは由香里であった。
「全砲手に命じます。大至急、砲撃の準備を! 繰り返します、砲撃の準備を!」
跳ねる様に魔導官たちが動き出す。雄たけびと共に臨戦態勢へと移っていく。
一見頼りなく見える由香里であるが、潮来の担い手に任命されたカリスマ性は伊達ではない。
潮来の海岸、孤島には十五の大砲が設けられている。生憎だが、一つは地盤の不安定さから、設置のみとなったがそれでも十分な数である。
「準備完了次第、笛を鳴らせっ!」
一つ、二つ、三つ、と準備完了知らせる音が聞こえてくる。それに合わせ、射線から魔導官たちが離れ、あらかじめ用意していた壕に身を隠す。
そして、最後、十四つ目の笛が鳴り響く。
「よし……」
周囲を確認し、敵を見定める。いかなる異形であっても、どれほど巨大であろうとも、核持ちを屠ることが出来る威力をもつ砲撃。それを十四発浴びせるのだ。耐えられるはずがない。仮に災禍であっても、原形をとどめるのは困難であるはずだ。
「……放てぇっ!」
轟音と爆風、激震が周囲を支配した。
そのころ、八坂にて。
「飯塚亜矢人、飯塚亜矢人はいるかっ!」
魔導機関総司令部、司令室の扉が勢いよく開かれる。いつもは小さくまとめてある白髪を乱しながら現れたのは、瑠璃であった。
「ん? やあ、瑠璃ちゃん、どうしたの、慌ただしいね」
のんびりとした動きで、筆をおく。三十畳はあろうかという広さの和室は不自然な程に物が少なく、伽藍洞としている。亜矢人は中央に置かれた座卓の前に腰掛けていた。
「なんだ、その緊張感の無さは! 今日ノ本で何が起こっているのか分かっているのか!」
血液が沸騰しているのではないかという勢いで、亜矢人に詰め寄る。
「ああ、潮来で大掛かりな戦闘でしょ? 分かってるよ」
「分かっているのならっ!」
「大丈夫だって。もう手は打ってあるし」
亜矢人はきっちりと着こんだ魔導官服を崩し、窓から空を見上げる。真夏のからりとした陽気ではなく、湿度が多い。重苦しい曇天が広がる。
「鎧嘯が発見された日、五日前の時点でひばりんを向かわせているよ。まあ、彼のいる場所が九州だから時間はかかってるけど」
「九州って……十日以上はかかるじゃないか!」
本州であれば鉄道網が充実しつつあるが、他は別である。北海道、四国、九州はいまだに手付かずの土地も多い。
「普通ならね。でも、交通局に掛け合ってね、五日で間に合うようにしてあるんだよ」
もう少しで潮来に着くんじゃないかなと、壁掛け時計をちらりと見る。ちょうど昼時を示している。
「あいつが向かっているんなら戦力的には問題ないかもしれんが……だが、鎧嘯が災禍であったらどうするのだ?」
掛坂雲雀の戦闘能力は、疑いようもなく日ノ本最強である。しかし、それは相手を殺すことが出来る場合だ。
災禍は死なない。どうやっても、殺すことが出来ない。
「ああ、それはないから大丈夫」
あまりにもきっぱりと言ってのけるものだから、かえって瑠璃が閉口してしまう。魔導官学校からの付き合いである。亜矢人が断言するの、それが絶対に揺るがない時であると分かっていた。
「瑠璃ちゃん、災禍には二種類あるって知ってる?」
「はあ? 性別とかか?」
「ぶっぶー、残念でした。正解は、動型と静型でした」
「なんだそれは、聞いたことがないぞ」
「だろうね。僕が勝手に考えていることだし」
そんな問題分かるわけがない。という言葉を飲み込む。
「第一災禍『産守』、第二災禍『出廻』、これらは静型災禍だ。前者は植物ってのもあるけど、後者は蛇だ。動きがないのは不自然だね。第三災禍『旋風纏』、第四災禍『潜竜』、第五災禍『大海神』、これらは動型だ。さて、ここでさらに問題です。これらの災禍には、ある大きな違いがあります。何でしょうか?」
思考を巡らせる。年代、原形、地域、いずれもばらばらだ。封印方法は確かに動型、静型で異なるが、それは正解でないと判断できる。おそらくこれは、災禍という存在根本を問い掛ける問題だ。
動と静の分類、つまりは行動。おそらくこれが鍵となる。動きがあればどうなる、動かなかければどうなる。
「……そうか、人的被害だ」
「大正解! さすがだね、その通り人的被害、さらに細かく言うのなら、我々の文明と旧文明に与えた被害の大きさだ。静型による被害は皆無、それどころか恩恵すら受けている。我々の異能は産守から授かっているし、出廻の物理法則を無視した魔力生成回路のおかげで生活に必要な魔力を得ることができる。でも、動型は違う。旋風纏は旧文明の遺物であった航空機を破壊し、潜竜は旧文明の遺した食料生育土壌を破壊し、大海神は軍艦を沈めた」
「ん?」
動型の行動に違和感を覚える。
「動型は何かおかしいよね。いや、おかしいというより、行動理由が明確だ」
「旧文明の遺物を狙っている?」
「そう、そうなんだよ。大量の航空機発見の翌年に旋風纏出現。地下にある人工光を用いた食料生育土壌発見の二年後に潜竜出現、軍艦発見の翌年に大海神出現。これは偶然なんかじゃない。旋風纏が現れたのは二百年前、潜竜は百五十年前、大海神は百二十年前。時期はばらばらだけど、大規模な遺物の発見の直後の頻出期で災禍は産まれている。まるで、旧文明を恨んでいるように思えないかな?」
「旧文明滅亡の原因として、災禍の存在は有力だったな」
「うん。この災禍ではなかったかもしれないけど、僕は十中八九そうだと考えているよ。そして、以上を踏まえて、今回の鎧嘯のことをどう考える?」
「……動型ではあるな。しかし、大規模な遺物は見つかっていない。旧文明の艦を取り込んでいるらしいが、それが大規模遺物扱いだったら、日ノ本の各都市は壊滅しているな」
「だろう? つまり僕の考えでは」
扉をノックする音がする。入室を許可すると、黒ぶちメガネで小太りの三十台ほどの女性が立っていた。
「潮来より連絡がありました。敵、鎧嘯は災禍にあらず。極めて大型の不浄とのことです」




