7-23 正義のミカタ おまけ
「それで、これで相手の組織を抉り取ればいいんですね?」
青竹を斜めに切ったような魔術具『靫葛』を握りながら、六之介が問う。
「はい。先端部分を押し付ければ、内蔵された刃が突出します。なので取り扱いには十分ご注意を」
最も沖合に近い離島、名前すらない孤島の浜辺に一隻の船があった。魔力駆動のエンジン部はあるが、四から五人乗るのがやっとな程の大きさである。そこに六之介のほか二人の魔導官がいた。一人は魔術具の説明をした色白の女性、茶色い髪と瞳、分厚い眼鏡、か細い手足。前線に出る人間ではないと一目でわかる。名を三木野という。もう一人は、風の流れや波の変調をじっと観察する赤髪の大男である。
「よし、頃合いだ。行くぞ」
野太い声で大男、秋谷が地平線を指さす。ぼんやりとだが艦影が見えている。
「わかりました。じゃ、行きましょう」
本来であれば、六之介のような新人に敵の生体組織回収などという重要な任務が回ってくることはない。しかし、今回は異例である。というのも、敵が海中におり、生体組織の回収が困難であることが原因である。
また六之介の能力であれば、こういった小舟で近付く必要はない。目視可能圏までの瞬間移動を繰り返せば、どれほどの距離であってもたどり着くことが出来る。しかし、それは『超能力』であるならば、である。六之介の能力は瞬間移動の『異能』ということになっている。異能とは魔力によって任意で引き起こされる現象である。それ故に、弱点がある。あまりにも過剰な魔力量の空間では正常に機能しなくなる恐れがあるのだ。そのため敵に近付きながら、膨大な魔力量に適応し、異能を制御する必要がある。
超能力という存在を隠さねばならないとは分かっているが、それでもやはりわずらわしい。
船は真っ直ぐに進んでいく。秋谷の異能は重心制御であり、三木野のものは速度制御である。当然だが、これは偶然ではなく最適な異能を持った魔導官を選んだ結果である。
「あの、ある程度まで近づいたらそこで止まって、撤退してください」
敵の進行速度は相当なものだ。このような小舟では波にのまれる危険性がある。しかし。
「断る」
「お断りします」
二人は間髪を置かずに首を横に振る。
「新人一人を置いていくわけにゃいかねえだろう」
「その通りです。我々の仕事は貴方を送り届け、連れて帰ることですから」
二人の意思はぶれを感じさせない。
「……わかりました」
任務に忠実と取るべきか、お人好しと取るべきか。
海上を進み続け、二十分。ようやく敵の姿が顕になった。
上空からの写真、報告から予想はしていたが、やはり鎧嘯の船に当たる部分は、空母であるようだ。ただ、その正確な艦名まではわからない。何故ならばほぼ全体が貝や海藻、泥、岩石で覆われている為である。またこの陽気の影響か、腐臭を放っている。また、時折船体が軋み、呻き声のような音が響き渡る。
「幽霊船、ですね」
三木野の呟きに、秋谷が小さく頷く。
返事をするように船体から海鳴りのような鈍い音が木霊する。
「じゃあ、行ってきます」
はっきりと目視できる距離。万が一にも事故はあり得ない。
「ご武運を」
二つの声が重なり、敬礼が帰ってくる。
それに背を押されるように、超能力を発動させ、一気に跳ぶ。
「これは……」
甲板に降り立つ。あまりの腐臭に防毒用魔術具を装備する。ガスマスクのような形状であるが、前の世界のものと比べると、重く、視界も悪い。
体組織から伸びた繊維状の肉が木の根のように走っている。所々魚類や甲殻類の死骸が転がっており、転べば目も当てられないなと苦笑しながら移動する。甲板の端に、瘤のような肉片がある。そこから根が出ているようだった。
甲板はかなりの広さがあった。間違いなくこの文明のものではない。おそらくは旧文明の遺物、それに取りついたのだろう。正体は、鯨か烏賊、蛸、それとも深海魚の類か。正体はいまだに分からない。海上に出ているのは船の部分のみである。
作戦前の予想では、船を兜のように被った魚ではないかという説が有力視されており、上陸の可能性は限りなく低いとされていた。浅瀬で座礁したところを一斉に迎え撃つというのが本作戦であるとのことだ。
歩き始めて、第一の違和感を覚えた。
これは生物である。だというのに、この静けさはなんであろうか。根のように張り巡らされている繊維に指を触れてみる。脈動をしていると思いきや、軟質的な見た目とは裏腹に、非常に硬い。鉱物のような印象を受ける。刃物を取り出し、押し付ける。容易に切断は出来なかったが、体重をかけることで可となる。
「……何だこれは」
断面には、神経も血管すらもない。年輪のような模様があるだけである。生物の身体にはとても見えなかった。
瘤に近付き、触れる。硬質的な感触はするが根ほどではない。高密度なゴムといったところであろうか。魔術具『靫葛』を押し当て、刃を突出させる。鋸状の刃が回転しながら肉を抉り取る。それを引き抜き、内部を確認する。根とは違い、確かな体組織を確保できていることを確認し、蓋をする。
「よし……?」
ここで第二の違和感。
船は水平に移動するものである。波、あるいは海洋生物の衝突によって揺れることはあるが、このように定期的に上下に振動することはあり得ない。エンジンがかかっているとも取れなくはないが、幽霊船とも言われる程傷んだ船がまだ活きているとは思えない。
「まあいい。今は早くっ!?」
ずんと一際大きな振動に襲われる。不安定であり、ぬめりのある足場では踏ん張りがきかない。受け身は取ったが、派手に転ぶ。
「く、最悪……」
目の前に魚の死骸が転がっている。
ここで第三の違和感。この船は五日前に確認されたものであるが、太平洋を航行していたと推測されている。だとすれば数週間、あるいは数か月は掛かっているだろう。その間に真夏の日差しを浴び続ければどうなるか。当然、甲板に打ち上げられた魚介類は息絶え、腐敗、あるいは白骨化しているはずだ。だが、これはどういうことだ。
魚が、『腐敗し切っていない』。甲板に打ち上げられたのが数日前のように、形を保っている。
よろりと起き上がり、体勢を崩す。振動が更に大きくなっている。
「ちっ」
舌打ちをし、並行して進む小舟の姿を捉える。三木野と秋谷が祈るようにこちらを見ている。
早々に戻らねば。任務は果たした、と起き上がった時である。
無造作に転がる岩石の隙間からの、ぎらりと鈍い光沢を捉える。反応が出来たのは、生体兵器として潜り抜けてきた経験が故である。上体を反らすと、ちょうど首のあった高さを刃が走る。
踏ん張りのきかない足場ではあるが、僅かな凹凸をしっかりと捉え跳躍、距離を取る。
それは隙間からゆっくりと姿を現した。
「……大王具足虫?」
無数の節のある銀色の胴体、生理的嫌悪感を誘発させる細く強靭な歩脚、長くゆらゆらと揺れる一対の触角、感情の感じられない漆黒の複眼。形態としては大きな変化はない。その大きさを除けば。大王具足虫といえど、大きさは最大でも五十センチほどだが、これは一メートルはゆうに超えている。
そして気になるのは、先ほどの攻撃。
鎌のような物を連想させられたが、そういった器官は見受けられない。
時が硬直する。お互いを凝視し、ピクリとも動かない。
どうしたものか、と六之介は思案する。此度の任務で戦闘は命じられていない。逃げるという事に関しては、自分の能力は相当なものであると自負している。だが、しかし。これは本来存在する生物であるのだろうか。ここは異世界、常識外の生物がいてもおかしくはない。当たり前に存在するのならそれに越したことはない。
しかし、もしこれが魔力の影響を受けて変質した生物だとしたら。この巨大な空母の残骸。この大王具足虫が一匹で済むはずがない。作戦ではこの空母ごと敵を吹き飛ばすことになっているが、それでこの具足虫を全滅させられるのだろうか。生き残りがいれば、日ノ本に上陸することも、この海域を荒らすこともあり得る。
先動きを見せたのは、具足虫であった。歩客を世話しなく動かし、節が蠕動する。足場の悪さなど無関係に吶喊する。
「くっ」
懐から小刀を取り出す。以前の投げナイフと同様に、ましろから購入したものだ。日本刀というよりは、分厚く、鉈に近い。左右対称で両刃となっており、刺突に特化している。
具足虫は、大きく跳ね上がり覆いかぶさろうとしてくる。それを躱す。が、やはり、海藻などでぬめりけのある足場は動きづらい。
具足虫は攻撃を外しても間髪を置かず、六之介へと向かってくる。このまま受け身では良くない。体力を奪われるばかりか、敵の増援がくる恐れがある。
ならば。
あえて、受ける。
とても昆虫のものとは思えない重量と勢いに押されるが、押し倒される程ではない。そして、具足虫の顔を見た瞬間に、察する。そして、とっさに顔を反らす。
「!」
頬の肉が抉られた。血が吹き上がる。
最初の攻撃の正体、それは顎であった。まるでヤゴのように折り畳まれた顎が伸縮したのだ。先端は虎ばさみのように鋭利である。挟まれれば骨ごと食いちぎられるだろう。
「ふっ!」
叩き付けると同時に、刃を振り下ろす。虫のもとのは思えぬ硬さだが、問題はない。甲殻を貫き、甲板にまで達する。具足虫は弱々しく脚をばたつかせた後、動きを止める。
回収せねばなるまい。仮に具足虫が上陸した時のために、対策を講じる材料となるだろう。
躯を抱え、甲板の隅へと向かう。眼下に小舟が見える。三木野と秋谷が心配そうにこちらを見ている。
急ぎ戻ろうとした、その時である。
偶然であった。意図せず、それは視界に入った。
見た。この艦がどうなっているのか。敵が何者であるのかを一瞬で理解する。そして、考えられる最悪の展開が六之介の頭をよぎった。




