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7-21 正義のミカタ おまけ

 八月中旬、うだるような熱気に第六十六魔導官署は包まれていた。多少の遮熱性ではどうこうできない強力無比な日差しに加え、無風、そしてそれらを盛り上げるような蝉の合唱。この国土特有の高い湿度。もはや蒸し風呂と言うべきであろう。

 水道水は温水へとなり果てているため、井戸水を桶に貯め、足を突っ込む。しかし、それも十分としないうちに冷気を失う。魔導官服などとうに脱ぎ捨てている。肌着だけになり、団扇で扇いでも、頬をかすめるのは温風だった。


 現在魔導官署にいるのは、六之介と五樹のみである。雲雀は遊撃魔導官として東北地方へ、仄は魔導兵装の定期整備に、華也と綴歌は休暇である。会話もなく、ぐったりと項垂れている。


「なあ、六之介」


「…ん」


 いつにも増して、声が重たい。六之介はほぼ仰け反る様に背もたれに体重をかけ、五樹はぐったりと机に突っ伏している。


「前々から気になっていたんだが、お前と鏡美って付き合ってるのか?」


「はい?」


 のそりと首を五樹の方へ向ける。顎を机にくっつけたまま器用に五樹は続ける。

 

「だって、ほら。お前らすげえ仲が良いだろ? どうなんだ?」


「どうもこうも……」


 呆れたと口にせず、大きく肩をすくめる。


「自分と華也ちゃんが仲良いのは……認めるが、それは御剣に来る時と後に世話になったからだ。今はその延長みたいなもんだ」


 とはいえ、断じて信頼をしてないということはない。それどころか、六之介の人生において、掛け値なしに全幅の信頼を置ける存在は彼女のみと言えるほどである。


「なんだ、そうなのか」


「ああ。大体、ほんの少し仲が良いくらいで男女の関係だと疑うなよ」


「そうは言ってもよ、お前わりと女子には優しいだろ? 特に鏡美にはかなり気を掛けてるみたいだったからさ」


「優しいというか、当たり障りのない対応をしているだけだよ。女性との関係では……うん、あまりいい思い出がないというか……前の世界でちょっとな」


 ほうほうと五樹が身を乗り出す。話をしろと言わんばかりである。


「気分のいい話ではないぞ?」


「いいよ。お前のこと知りたいし」


 そういうことは異性に言ってやれと内心思いながら、口を開く。本来なら話たくないと一蹴するところであるが、この熱のせいか、胸中にある毒を吐き出したい気分であった。


「うむ、そうだな……向こうにとんでもない兵器があった。その兵器は設定さえすれば、淡々と対象のみを殺戮するというものでな。それが恐ろしく高性能で、煮ようが焼こうがびくともしないし、一度の充電でひと月以上稼働するという代物だ。オートマトンっていうんだけど」


 円柱のような可愛らしい姿をした悪魔を思い出す。煮る、焼くどころか、沈めようが爆破しようが、平然と動き回るそれは、現象と戦っているような錯覚を受けたものだ。


「オートマトンが主武装、主兵力となる戦争が起こったんだ。結果、開発した研究班は大儲け。戦争特需みたいなものだな。研究班は各国を相手に商売を始めたんだが、当然、そんな蝙蝠みたいなやり方をよく思うわけがない。金銭で引き込もうとしたそうだが、金など腐る程あるわけで、なびくこともなかった。それで、どうなったかというと、研究資料だけをかっぱらって、工場を破壊、研究員を皆殺しにするっていうことになった」


「随分と極端な」


「戦争続きで沸点下がってたからな、そうもなるさ。ただ、それをやるには困ったことがあってな。工場を破壊するために空爆をしようにも光学兵器で囲まれていて不可能、砲撃をするにも岩盤並みの強度を持つ防壁に囲まれている上、地下にあって不可能。その班の人間以外に攻撃するようなっているオートマトンがわらわらいるため、研究施設に入ることがほぼ不可能ときた。ただ、一点、ちょっとした綻びがあった」


「ほころび?」


「ああ。研究員の一人に、なかなか歪んだ性癖の女がいたんだ。というのも、好みの男をコレクション……蒐集するというものでな。洗脳、四肢切断、半機械化なども趣味という狂人っぷりだ。んで、その男ってのが武器の売買の報酬の一部だったんだ。自分はそれに紛れ込み、施設の情報収集、破壊を命じられた」


 五樹の顔が引き攣っている。淡々と語るようで、六之介の顔も苦々し気だ。


「結果的にはうまくいったんだが……うん、大変だったよ。その女が美人や可愛らしいんならともかく、芋虫を擬人化したような化物だったからな。何が悲しくて、そんな化物に愛を囁きながら抱かにゃならんのだって話だ。しかも、内蔵を模した様な天蓋付きの寝床で、部屋中に飾られた標本化された人間の視線の中でだ」


「う、うわあ……お前、よく……よく勃ったな……」


「薬飲んだからな。まあ、うん、それ以来、女性に対する対応は……当たり障りのないようになったな」


 とはいえ、繰り返すが、華也に対して大きな信頼を寄せているのは事実である。自分の中で、確かな好意は存在していることは間違いないだろう。それが恋愛であるか否かは、未だに整理はついていない。


「なんか、すまんな。へんなことを聞いちまった」


「謝罪はいらんから、何か昼飯おごれよ」


「……俺に対しても当たり障りのない対応でもいいんだぞ?」


「お前にだけは辛辣に当たると決めている……何を嬉しそうな顔をしている」


 ふんと鼻をならすが、五樹の口元のにやつきが目に留まる。


「いや、俺『だけ』ってな。友達に特別扱いされるのは嬉しいだろ?」


「誰が友達だ」


「それでな、六之介、なんでこんな話を振ったかなんだが」


「気になっている人がいるんだろ?」


 五樹の考えていることなど手に取る様に分かる。この男の思考はシンプルかつ真っ直ぐであるため、行動に迷わず直結する。


「や、やっぱり分かるかあ」


 がりがり頭を掻く。


「一応言っておくが、色恋沙汰は分からんぞ」


「うん、さっきの話聞いて、だろうなって思った」


 この野郎。

 事実とはいえ、腹立たしい。


「んで、誰なんだ、副署長か?」


「なんで一発で分かった!?」


「いや、華也ちゃん、綴歌ちゃんを意識してる様子見られないし」


 寮で見られるやりとりはあくまで友人、同僚としてのものだ。異性として意識している風には見えない。


「まさか気付かれているとは……さすがだな、わが友よ」


「華也ちゃんも、綴歌ちゃんも気付いてるよ」


「うっそ!?」


 両頬を抑えながら、思わず立ち上がる。

 先日、五樹が不在であった日の晩、松雲寮食堂でのやりとりを思い出す。



「篠宮様って、副署長のことが好きなのでしょうか?」


 話の流れは覚えていない。ただ五樹と仄がいない晩、ぼんやりとした残暑の中で、蕎麦を啜りながらの一言であった。

 その『好き』がどういった種類のものなのか、六之介にはよくわからなかった。ただ、興味無さげに惣菜の天麩羅に手を伸ばす。


「ああ、やっぱりそう思いますの?」


「ですよね?」


「露骨でしょう。今日も鼻歌交じりで宿直に向かいましたわよ」


 宿直ほど退屈な仕事もない。基本的に夜間に人が駆け込んでくるということはない。何かしら揉め事があろうとも大半が警察によって処理される。現に宿直で緊急出動した例は一度としてない。とはいえ、念には念を。備えあれば患いなしである。魔導官署を留守にしておくわけにはいかない。

 薄暗い魔導官署内では読書もし辛く、眠気にも襲われる。複数人での宿直なら雑談でもしながら時間を潰せるが、それでもいつまでも会話が続くということはない。明け方付近には退屈に押しつぶされそうになる。

 そんな仕事に喜々としながら向かうなど、六之介からすれば考えられなかった。


「職場恋愛ですね。魔導官同士ですから珍しくはないとはいえ」


「身内がそんな状況になれば、こちらも緊張しますわよねぇ」


 二人とも頬が緩み、だらしのない顔つきとなっている。

 ああ、これがいわゆるガールズトークというものだろうか。


「色恋沙汰ねえ」


 まるで縁のない出来事だ。


「貴方のいた場所ではどういった感じなんですの?」


「え? うーん、自分のいたところか……伝聞でしか聞いたことないけれど」


 そもそも我々、生体兵器は恋愛感情というものを抱かない、あるいは抱き辛いように調整されている。

 二人は興味津々と目を輝かせている。


「とりあえず、学生から社会人までの間で色んな人と付き合ってみるらしい。それで、性格とか趣味とか収入とか、家族関係とかが理想的な人と結婚したりするそうだよ」


「色々な方と付き合うのですか?」


「うん」


 中には同時に複数の人間と関係を持ち、修羅場になったりもするというが、そういった事情を口にすれば面倒になるだろう。


「へえ、変わってますわねえ。私たちは基本的に一度恋仲になれば、そのまま婚姻ですから」


「そうなの? でもそれだと相性云々とかで入れ違いも」


「はい。ですから、恋仲になる時はあなたを意識しているという事を伝え、互いの事をよく観察し話し合うことになるんです。それから、どうするかを決めるといった具合でしょうか」


 つまりは、恋人を前提になんとやら、といった具合であろうか。


「そちらと比べると、こちらの恋愛は敷居が高いというか、重いもののようですわね」


「そうだね。それこそこっちは十にも満たないうちに恋仲になったりする人もいたそうだからね」


「おしゃまさんですねえ」


 華也がくすりと笑う。


「恋仲になるのは、基本的に異性と?」


「うん、そうだね。それが多いかな」


「重婚は認められてませんの?」


「うーん、先進国では認められてなかったような気がするな」


 へえと声を合わさる。異世界とは、この世界とは異なる世界だ。歴史、人種、生物、言語、思想、多くが異なる。こういった身近な部分での差異は、聞いていて興味深かった。





「とまあ、二人とも、お前を応援してるみたいだったよ」


 面白がっているという印象の方が強かったが、背中を押したいという気持ちは間違いないだろう。


「そ、そうか……なんか恥ずかしいな」


 顔が真っ赤である。


「どうしてだ? 何が恥ずかしいんだ?」


「はあ? いや、だって、ほら……なんとなく?」


「理由になっていないぞ。人を好きになることは恥ずかしいことなのか?」


 恥、恥じらい、羞恥心。これらは四つに大別されるという。五樹の場合、全体的自己非難ではないだろう。恋愛に対する回避、隠蔽反応でもない。応援をされているのだから孤立感でもない。人に見られている、嗤われているという被笑感、これが近いのかもしれないが、完全には合致しない。


「…………そっか、そうだよな。別に恥ずかしいことではないのか」


「少なくとも、自分は人を好きになることを恥だとは思わんぞ」


 嫌いだ苦手だと駄々をこねるならともかく、好意を抱くということは悪しきものではない。当然、恥じることもない。


「はは、そうだな。ありがとな」


「なぜ礼を言う? 自分は自分の考えを言っただけだ。別にお前を応援するなど一言も言っていないぞ」


「そこは素直に頑張れよとか応援するで済ませろよなー」


 苦言を呈しながらも、心底嬉しそうに破顔する。


 じりりとけたたましい音が走った。執務室の奥に置かれている電話機からだ。

 近くにいた五樹が慌てて受話器を手に取る。この世界では、電話機と言うものは一般に普及していない。魔導官署や警察署、あるいは公共施設に何台か設置されている程度だ。魔導官署内で電話が鳴るということは、基本的にはなく、上からの司令は書状によるもの、あるいは伝書鳩によるものである。


「はい、第六十六魔導官署……はい、はい、署長と副署長はおりません、はい……は?」


 五樹の声色が代わる。相槌を打ちながらも、驚愕と緊張の色が滲み出ている。


「……はい、わかりました……確実に伝えます。はい」


 電話を切る。乱暴に頭を掻きむしる。


「どうした」


 椅子に深く座り直し、真っ直ぐに六之介を見る。窓越しの夏の音がいやに耳をくすぐる。


「……『災禍』出現の可能性、だそうだ」


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