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逃げられない

 音楽室へと入ると梓は楽譜を探し始めた。机の上には無い。床にも落ちていない。


『何処に忘れたんだろ』


 梓は自分の行動を思い返しながら、教室を前の方へと移動していく。


『どかしてあった机や椅子を戻す時は持ってなかったし、その前は……あった!』


 楽譜は教壇の上に置いてあった。


「良かったー」


 梓は喜びの声をあげた。


『そうそう、机戻す時に邪魔だからここに置いたんだっけ』


 梓は自分の鞄に楽譜をしまった。


 その時ヴゥァンと音が聞こえて梓は振り返った。だが見たところ何も変わった所はない。


 今の音に梓は聞き覚えがあった。外の扉が閉まった時に、気圧の関係か何かで引き戸のガラスが震える音だ。つまり、誰か扉を開けて閉めたと言う事になる。


 梓は暫く引き戸を凝視する。


 閉められた引き戸のガラス越しに人の影は見えない。


『気のせいだよね。しっかり扉を閉めたわけじゃないから、元々開いてたのかも……。そうだよ。ここの扉、開けっ放しにしても勝手に閉まるもん』


 梓は唾を飲み込み、ゆっくりと引き戸に近付く。ガラス越しに覗き込むが、やはり誰も居ない。


『良かった。やっぱり気のせいか』


 そう梓は思って引き戸を開けようとする。だが途中で手を止めた。


『あれ? 私、引き戸閉めたっけ』


 勿論、引き戸を開けた記憶はある。でもここには楽譜を取りに来ただけ。すぐに帰るし、注意する先輩も居ない。


 家でも扉や引き出しを開けっ放しにして、良く母親にも注意される。そんな自分が本当に閉めたのか。


『きっと閉めたんだ。だってそれ以外考えられないもん』


 梓はそっと引き戸を開ける。その向こうにはやはり誰も居ない。楽器室にも南京錠が掛けられたまま変化はない。


 何もない空間を見渡しながら壁沿いに防音扉まで移動する。


『やっぱり考え過ぎ、早く帰ろ』


 梓はそっと扉を開けると電気を消して音楽室を出た。


 廊下は色褪せたまま、それでも梓は気にしない。今は一刻も早く帰りたかった。しかし梓は立ち止まる。


 廊下の角を曲がり、後は階段まで真っ直ぐ。だがその階段の所に影が立っていた。


 アレを人影と言って良いのか。人の形をしているが明らかに違う。影の輪郭が、と言うより影そのものが蠢いている。


 梓は何も考えられず立ち尽くすが、目の前を一匹のハエが飛び回るのを見付けて我に返った。


 ハエを手で追い払い、もう一度影に視線を戻す。


 影には二つの黄色い目があった。それが自分の視線とブツかっている事に気付くと梓の足は震えだした。


 影は歩くのではなく、すうっと進み出る。梓の方へ。


 梓は今来た道を走って戻った。音楽室を通り過ぎ、その先にあるもう一つの階段を駆け下りた。階段は真っ暗だが電気を点ける余裕はなかった。


 一階に辿り着くと梓は上を見上げる。何も動く気配はない。


 階段を下りた左側にグラウンドへと続く扉がある。梓はその扉のドアノブを回すがビクともしない。


『何で……あっ、鍵?』


 梓はドアノブに付いた鍵を回す。カチリと音が鳴った事を確認し、梓はもう一度ドアノブを回した。やはり動かない。


 もう一度鍵を回す。開かない。もう一度鍵を回す。開かない。


『何で……何で開かないのよ!』


 梓は目の前を飛ぶ数匹のハエを追い払いながら後退る。ふと階段が目に入る。


『とにかく逃げなきゃ』


 階段から向かって右、グラウンドへ向かう扉とは反対側へ走る。こちらは一階の運動部が使っている部室の前を通り、渡り廊下へと続いている。


 角を曲がった所で梓はまたしても立ち止まる。


 何の変わりもない廊下。梓の歩みを止めたのはただただ嫌な予感がしたから。得たいの知れないアレを見た時と同じ位の嫌な予感。


 梓は恐る恐る一歩前に出た。何も変化はなさそうだった。


 だが変化はあった。それがゆっくりだったので、すぐに気付かなかっただけ。梓は血の気が引くのを感じた。廊下の窓ガラスが膨れ上がって来ていた。


『きっと気のせい。光の加減でそう見えるだけ』


 梓は廊下の三分の一を占めるほど膨らんでも、蜘蛛の巣の様なヒビが入っても、目の前の光景が信じられなかった。


 一番手前の、梓の直ぐ横にある窓ガラス。その一部がパキッと軽い音をたてた。


 磁石に吸い寄せられる砂鉄の様に、ガラスの一部が独りでに立ち上がった。勿論、梓に向かって。


 嫌な予感が純粋な恐怖に変わり梓が後退るのと、ガラスの一部が飛び立つのは同時だった。


 ガラスは梓の頬をかすめ、壁にぶつかり粉々に砕け散った。尻餅を付いた梓に次々とガラスの欠片達が狙いを定める。


 梓は逃げようと手足を必死に動かした。廊下の角に隠れた時、梓の上履きにガラスのシャワーが降り注いだ。


 幸運な事に上履きの生地や、ゴム底を突き抜ける事は無かった。


 結局梓が居るのは階段の前。真っ暗な、そしてアレが居た三階に続く階段の前。


 廊下の向こうからはもうガラスの割れる音は聞こえない。だが改めて確認しに行くつもりにはなれない。目の前にあるグラウンドへ続く扉も開かなかい。


 ならば道は一つ。二階を通って渡り廊下へと向かう道。


 それには階段を上らなければ行けない。アレが降りて来る階段を。


 追って来ているか。梓の中でそれは疑いようのない事実になっていた。明らかにアレは自分に向かってきたのだから。


『だったら今は何処? そんなにうごきは速くなかった。それなら……』


 目の前のハエが梓の思考の邪魔をする。


 考えれば考えるほど、悩めば悩むほど時は過ぎる。そしてアレとの距離も縮まる。


 梓は恐怖で涙が流れた。涙を拭い、鼻をすすり、震える足を前に出す。


『行くしかない』


 梓は階段を駆け上がる事は出来なかった。 自分に鞭を打ち、梓は一段一段上る。今の梓にはそれが精一杯だった。

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