その八、チュートリアルで疲れきる。
前回のあらすじ
おとーさん! おかーさん! 行ってきます!
「うわぁ……」
目を開けると、そこは草原だった。
風が吹くとまるで海のように波打つ、一面の緑のまっただ中に優子は立っていた。一人で。
「あれ、みんなはどこだろ?」
斎の作った門をくぐる時までは一緒にいたはずだがなぜか優子だけ違う場所に出てしまったようだ。
「うー、どこー?」
そうして首を傾げていると、後ろでカチカチと硬い音が鳴った。
「ん? なんの音だろ……」
不思議に思い、振り返ろうとしたその瞬間。
「伏せろ!!」
「え? うわっ!!」
突然の大きな声に驚いた優子は振り向きざまに尻餅を着いてしまう。その視界にあるのは黄色い体と赤い液体、そしてそれの後ろに見えるあの顔は……
「剣也くん!!」
「なにぐずぐずしてんだ早く来い!!」
優子はすぐさま立ち上がり、剣也の方へ走った。
「どこ行ったかと思えば面倒くさいもん引っ掛けやがって」
「ふかこうりょく、だよぉ! 気づいたら居たんだもん!」
「あー、うっせえな……いいからさがってろ」
剣也は剣を構え、優子を守るようにして前に立つ。
「あれ、恐竜?」
「ただの鳥だろ」
優子達の視線の先には大きな鳥……と言うにはあまりにも大きな怪物が首元から血を流して立っていた。
「ダチョウだってあんなに大きくないよぉ……」
二メートルはゆうに超える巨体。それを支える太く強靭な足。硬いクチバシと鋭い鉤爪。優子が聞いた音はあのクチバシを鳴らす音だろう、現に今も剣也を鋭い目で睨みながらカチカチと音を立て威嚇している。
「チッ、浅かったみてえだな……まあいい。今に楽にしてやるよ」
「でもでも強そうだよ? あの爪でバリバリッ! ってされたら、痛いよ!」
やる気満々の剣也の後ろで優子が鳥を指さして騒ぐ。確かに、そこらのナイフよりも切れ味の良さそうだ。あの爪にちょっとでも引っかかれば人間の肌など簡単に裂けてしまうだろう。
しかし、それを聞いて剣也は、
「お前バカか? あの爪が怖いなら絶対に届かない所にいればいいだろ」
優子をばかにしたような目で見て、何てないことのないように言った。
優子達の居た元の世界に存在しないモンスターを相手にして、その顔には恐怖とか、不安とか、そういう風な感情は見て取れなかった。
優子はそんな剣也の表情に頼もしさを感じるも、やはり不安が拭えない。
「絶対に届かない所ってどこ?」
優子がそう言った刹那、怪鳥はクエエエと鳴いて土を蹴り上げ臨戦態勢を取る。
「下がってろ。絶対に近づくな」
優子の質問に答えている時間など無い。敵は殺意を剥き出しにして今にも鋭利なその爪で獲物を引き裂こうと狙っている。
剣也は後ろの優子をちらりと見ると、また前を向いて一つ息を吐き、フッと止めると強く地面を踏みしめ、駆け出した。
獣のように低い姿勢を保ち、重い剣をものともせず怪鳥との距離を瞬時に詰める。
対する怪鳥は真っ向から向かってくる外敵を踏みつぶそうと片足を上げる。しかし、その下に剣也の姿は既に無い。
どこに消えたと首を振る、その暇も無く、怪鳥の背中に大きな衝撃が走る。
「嘘でしょ剣也くん!?」
剣也は怪鳥の重い一撃を半身で避けた後、素早く背後に近寄り、そしてその背中に飛び乗ったのだ。
暴れる怪鳥のもう一つの武器、クチバシからの攻撃を警戒しながらも、握っている漆黒の大剣を大きく振りかぶり、その剣の腹で怪鳥の長い首を思い切り殴った。
筋肉の塊であろう怪鳥の体も、最も脆い部位に一点集中させた衝撃を与えれば、筋肉の壁も虚しく骨は粉々に砕け散ってしまう。
一瞬の後、怪鳥はゆっくり白目を剥きバタンと倒れ、息絶えた。
「ふー……」
剣也は横たわる怪鳥の傍らに立ち、長く息を吐いた。その手に握る大剣は黒い霧となって消える。
「すっごいね剣也くん。本当に倒しちゃった……」
優子が走り寄って来て言った。しかし、怪鳥のぐにゃりと折れ曲がった首を見た途端、すぐに青い顔をしてサッと目線を逸らしてしまった。
「なんだ、お前こういうのダメか」
「う、うん……なんか、かわいそうで……」
襲われたからとはいえ、生き物の命を奪ったという事実を直視することは優子にはできなかった。
「偽善だな」
剣也は小さく呟き、それ以上何も言わなかった。
優子も下を向き口を固く閉ざした。
「おおーい! 優子ー! 剣也ー!」
押し黙る二人の耳にどこかから馴染みのある声が聞こえてきた。顔を上げて見てみれば、前方から懐かしい二人が走ってくるのが見えた。
「アベルくん! 斎ちゃんも!」
「二人とも大丈夫だった!? 気付いたら居ないんだもの、ビックリしたよ!」
「門を通った時にはぐれてしまったのね。御免なさい、私の不手際だわ。……怪我は無い?」
斎は息を切らしながらも優子の手を取り気遣わしげな表情で顔を覗き込んできた。
「ううん、大丈夫だよ。ね、剣也くん」
ニコッと笑いかけるも剣也はそっぽを向いて目を合わせようとしなかった。
「あ、コレ剣也が倒したのかい? すごいね。エポルニスは結構強いはずなんだけど」
そんなことは露知らず、アベルは怪鳥に近寄って行く。触れるとバサバサとした羽の体から熱が失われつつあった。
「うん、みんな揃ったし近くの村に行こうか。コレを手土産にしてね!」
アベルは慣れた手つきで怪鳥をナイフで切り分けた。
「……おえっ」
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
草原を歩く一行の間を爽やかな風がすり拔ける。サワサワと揺れる若草がとても涼やかで、肌を焼く日差しの熱さを忘れさせてくれた。
初夏の雰囲気だ。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
歩を進める中、草原にポツリと淋しげな黒い山があった。
あれは何だと優子は聞いてみたが、アベルと斎は言葉を濁すばかりではっきりと応えない。もとよりあまり興味のなかった優子はふーんと鼻を鳴らし、最後にひと目ちらりと見て、もう振り返ることは無かった。
剣也だけが小さくなっていく山を何度も振り返っていた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
やがて日が落ちあたりが茜色に染まる頃、先頭を歩くアベルが立ち止まり前方を指差した。
「これから行く所は始まりの村、ノルルーグ。小さいけれど活気があって良い村だよ。ホラ、見えてきた」
細い指の先には可愛らしい形の家々が並ぶ集落があった。
近づくと、村の入り口に人が集まり手に手に旗を持って並んでいるのが見える。
「うわすっごい! 人がいっぱい!」
「優子、アレは君の為に集まった人達だよ。 アソコ見てみて!」
人々の頭上高く掲げられた一際大きな横断幕にはこんな言葉が。
〘 おかえりなさい勇者様! 〙
「おかえりなさい?」
優子達は既に村に入り旗を持った人々に囲まれていたが、皆口々におかえりなさい、帰りを待っていました、などと言う意味の言葉を優子に向かってかけてくる。
「ねぇ、どういうこと? 私はここに来たことなんてないよ?」
すれ違い様に小さな子供から紙で出来た馬のおもちゃを受け取る。その馬の体にも拙い字で『おかえりなさい』と書いてあった。
「どうなってるの?」
優子が頭の上に疑問符を沢山乗っけていると、斎が優子の肩をつつき、耳元で囁いた。
「優子、ここはあなたの中にいる先代勇者の生まれ故郷なの」
そして顔を離し、前を向きながら言う。
「だから胸を張って歩きなさい。皆、勇者を待っていたのよ。」
斎はそう言うと優子の後に回った。
人で出来た道を辿って行くと他の家より一回り大きな家があった。豪奢なつくりではないがよく手入れされていて、年代を感じさせる堂々とした印象を受ける。
家の前にはその家に負けず劣らず威厳を感じさせる佇まいの老人が立っていた。
「村長、ボクらの勇者様をお連れしました」
歓声の中にアベルの声が響く。村長と呼ばれた老人はゆっくりと優子に近づき、恭しく跪いて頭を垂れた。
「お待ちしておりました、我らが勇者よ。儂がこのノルルーグの長、ダニエル・ファーレンですじゃ」
「あっ、内原優子です。あのっ! 頭上げてください! そんなことしなくて良いですから!」
優子が慌てふためいていると村長は顔を上げて立ち上がり、豊満に蓄えた口髭を撫でながら茶目っ気のある笑顔を向けた。
「ほっほっほ。良い反応ですなぁ、歳相応で何というか、普通?」
「えぇっ!?」
「こらこらダニエルさん、皆の前でからかっては勇者様が可哀想でしょ!」
村長の背後の扉が開き、中から出てきた中年の女性が村長をたしなめる。
「あらまぁ、まぁ。可愛らしいお嬢さんですこと。ささ、ここでは何ですから皆さん中に入ってくださいまし」
女性は扉を大きく開けて優子を招き入れる。優子はどうしたらいいか分からず振り向いたところ、アベルが大きく頷いたので女性に導かれるまま家の中に入る。その後に三人が続く。
「さぁ、勇者様の帰還じゃ! 皆の者、今日と言う日を世界再興の日として盛大に祝おうではないか!!」
わあーっと人々から歓声が上がりあちこちで紙吹雪が舞い、ワイン樽を開ける音が響く。
久し振りに村人達の嬉しそうな様子を見た村長は満足気に扉を締めた。
家の中は薄暗く、壁を触るとひんやりとしていた。
「ちょっとお待ちくださいまし、今灯りをつけますからね」
女性――先程マグダと名乗った――はエプロンのポケットから何かを取り出し擦ると炎が燃え上がり壁に近付けると、その炎が壁に移る。どうやら壁に掛けてあったろうそくが消えてしまったのでマッチでつけたようだ。
「あっ何だこれは普通なんだね」
「あたしは魔法みたいなものは使えませんからね。さぁさ、こちらですよ」
茜色の廊下を進んでいくと一際立派なドアがあり、マグダはその前で止まった。
ドアノブに手をかけ重いオーク製のドアを開けると、薄暗闇の空間が目の前に広がる。
優子が暗闇の中へ一歩踏み出そうとしたその瞬間、小さな黄色い毛玉のようなものが飛び出してきた。
「なぁ!! 勇者さまってだれ!?」
「きゃああ!?」
突然のことで驚いた拍子に優子は尻もちをついてしまう。下から見上げるその毛玉は、よく見ると六歳くらいのやんちゃそうな男の子だった。
「び、びっくりしたあ」
謎の生物ではなかったことにほっとする優子。しかし、男の子は優子を無視して後ろの三人に近付く。
「あ! もしかしてそこのでっかいにぃちゃん!?」
と、剣也を指差し目を輝かせているが、すぐにマグダが割って入ってきて男の子を叱り始めた。
「こら! テオドーアぼっちゃん!! 見つからないと思ったらこんな所に居たんですか!? お行儀よくしてなくちゃだめでしょ、あと人を指差してはいけません!!」
ガミガミガミとあれやこれや普段の行いまで大勢の前で叱られてさっきの威勢はどこへやら、きらきら輝いていた瞳も今は涙を溜めるばかり。
「おお、テオドーアか。どうかしたのかね?」
後ろから来ていた村長がテオドーアの頭を優しく撫でる。
「お、おれ、勇者さまにあいさつしようと思って、ここで、待ってたんだ」
「そうかそうか、ではもう挨拶は済んだじゃろう? 勇者様はこれから大事な話があるから、自分達のお部屋で待っていなさい」
テオドーアはこくんと頷き涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いて廊下の奥へ走って行った。優子はその先にもこちらを覗く小さな女の子がいるのを見つけた。優子の視線に気付いた女の子はすっと隠れてテオドーアの後を追って行った。
「孫のテオドーアとパトリシアですじゃ。ご迷惑をおかけしましたのお」
「あ、いや。全然大丈夫ですよ」
差し伸べられたダニエルの手を取って立ち上がりスカートの裾をはたく。
「あ、マグダさん。コレさっき取れたエポルニスの肉です。良かったら使ってください」
「あらまぁこんなに。じゃあ今夜のお夕飯にでもしましょうかね。早速取り掛かりますから、何かあればお呼びくださいまし」
「ありがとう、マグダ」
マグダは肉を抱えながらキッチンへ向かっていった。
優子達一行は部屋に入り、村長に勧められるがままソファへ座った。その部屋は普段書斎として使われているようで、大きな本棚にはぎっしりと本が詰まっており、机の上には羊皮紙や立派な羽根ペン置かれていた。
「この家には応接間がありませんので、申し訳ないがここで」
村長はウォッホンと咳をすると先程とは打って変わった神妙な面持ちで語り出す。
「勇者様、今この世界は悲しみで満ち溢れております。魔物達が跋扈し、人々は震えながら夜が過ぎるのを待つばかり。それもこれもあの魔王が目覚めようとしているからです」
魔王。斎からもその話は聞いていたが、実際に当事者から吐かれる言葉は、より一層深刻さを増して心に深く突き刺さる。
「勇者様、我らは無力です。これまで多くの仲間が魔物に引き裂かれ死んでいくのただ見ていたのです。狂い死ぬ者、飢餓で死ぬ者、多々おりましたが、それらにも、何もしてやることができなかったのです」
顔に刻まれた深い皺が村長の苦悩を物語る。
「勇者様。我らを救ってください」
しんと静まり返る部屋。優子は拳を握り締め立ち上がる。
「任せてください。必ず悪を倒します。必ず……」
その目はいつもの優子のものではなく、その名に恥じない決意を秘めた、正に勇者そのものだった。
「……ありがとうございます」
村長は声を震わせながら深々と頭を下げる。それを見てハッと我に返ったように顔を赤らめて優子はソファに座る。
「え、えっと、私、なんにもできなくて、運動神経も悪いし、でも! 絶対に、魔王を倒します!」
「ホッホッホ、頼もしい限りですじゃ。よろしくお願いいたしますぞ、勇者様」
その後、マグダが作った夕飯を村長達と共に頂き、優子達は用意された部屋で休息をとることにした。
最近ニーア買いました。