その十、同行イベントには細心の注意を。
色々説明あったよー! 今日こそは冒険始まりだ!
未だ太陽がその身を隠す薄暗闇の中、柔らかな毛布の中で優子はふわりと目を覚ました。優しく、心地の良い感覚だった。眠気に目を擦ることもなく、すでに思考がハッキリとしている。
しかし、隣のベッドにはすぅすぅと寝息を立てている斎が、その少し先では衣擦れの音がする。アベルか剣也だろう、姿は見えないがぐっすりと眠っている気配がする。
もう一度寝てしまうか、と考えた優子だったが、暗闇に慣れた瞳は窓の外に蠢く影を見つけてしまった。
毛布に包まれた温かい体から血の気がすぅ〜、と引いていき、鮮明だった思考も暗闇の中の恐怖に色褪せてしまう。冷や汗が背中を伝った。
金縛りに会ったかの様に体が動かなくなってしまった。怖いものは見たくない、しかし、目線は優子の意志とは無関係に影の動きを追う。
窓の外、およそ三メートルの位置に影はいる。もしもこの影が魔物であるならば一番窓に近い優子にすぐにでも飛びかかれるだろう。そうなれば寝巻き姿の優子などひとたまりもない。ゴクリとつばを飲み込んでゆっくり後退りする。
その時、ベッドの脇に置いておいた髪飾りに手が触れてしまった。髪飾りは床に落ちて音を立てる。小さな音だった。それでも影に気付かれるのには十分だった。影の動きが止まり、こちらをじっと見つめる視線を感じた。もはや指の一つも動かせない。
「……おい、テメェ何じろじろ見てんだ」
十数秒の時間が過ぎた頃、影が声を発した。窓越しだが低く唸るようなその声は、はっきりと優子の耳に届いた。
「はわわわわわ! ……あ、あれ? 剣也くん?」
びっくりしてベッドから落ちた優子が頭上を見上げると、そこには窓に手をつき琥珀色の冷ややかな瞳で優子を見つめる剣也がいた。上着を脱ぎ、筋肉質の体にはうっすらと汗をかいている。どうやら運動をしていたようだ。
「あ、あの影って、剣也くん、だったのかぁ……」
ほっ、と胸を撫で下ろす優子。奥のベッドではアベルがムニャムニャと寝言を言っている。
「あ?……テメェ、いやにガンつけてくると思ったら魔物だと勘違いしてやがったな!?」
「ふぇえええ!! ごめんなさいー!」
徐々に差し込んできた朝日に照らされる部屋に、剣也の怒声と優子の泣き声が響く。
あまりの喧騒にとうとう斎が目を覚ました。朝日に目を細めて優子達を一瞥する。
「なんなの……朝から五月蠅いわ」
「斎ちゃぁあん!」
口元に手を当てあくびをする斎の胸に飛び付き、わんわんと大声を上げる優子。抱き付かれた斎は心底迷惑そうだ。
「離れなさい。鬱陶しいわ」
「だって、だってぇ」
優子の頭をぺしんと払い除けて、剣也の方を見る。
「貴方はこんな朝早くに起きて何をしていたの」
「るっせぇ、テメェには関係ねぇだろ」
剣也はそう言うとふい、と背を向けてしまう。相変わらず愛想がない、と思いながらその背を見て斎は驚きの声を上げる。
「貴方、その模様……」
剣也の背中には赤い刺青が走っていた。いや、背中のみではなく肩、腕、さらには服に隠れて見えないが恐らく足にも、それが入っていることだろう。
生物の様な印象を受ける模様はまるで、触手を伸ばして剣也の体を徐々に蝕もうとしているようにも見えた。
「関係ねぇ、つってんだろ」
ギロリと鋭く斎を睨んだ後、剣也はそのままどこかへ歩き出して行ってしまった。
「……まったくもって無愛想ね」
「ぶぁああん!」
「貴方はもう泣き止みなさい!」
アベルがグォぉぉといびきをかいた。
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「おはようですじゃ、皆さん」
支度を整えダイニングに向かうと、既に朝食の用意をしているマグダと村長がいた。子供達はまだ起きていない様だが、テーブルに広げられた料理の香りにつられてすぐにでも来るだろう。
「おはようございます、村長。いい朝ですね」
「おお、アベル殿。よく眠れましたかな?」
はい、とにこやかに返事するアベルの横で優子と斎はぐったりと肩を落としている。あの後、時間になっても起きないアベルに二人掛かりで奮闘するも、全く無反応でついには斎の精霊【キュミノーキャス】の電撃を浴びさせ無理やり起こした始末だ。
二人は小さくおはようございます、と呟いた。
「勇者様に斎殿はあまり疲れが取れてないようですな、じゃがまだお若いから問題ないでしょう、ほっほっほ!」
髭を撫でながら笑う村長と、項垂れる女子高生二人。その背後からガチャ、とドアの開く音がした。玄関から誰か入ってきたようだ。
「剣也殿、お帰りですか。朝からご苦労様ですじゃ」
朝の鍛錬から帰ってきた剣也が水浴びをしてきたのだろうか、タオルを首に掛けながら家に入り玄関を無頓着に閉めた。
「服のサイズはどうでしたかの? 少しゆったりとしたものを選んだんじゃが」
「ぎりぎりだ、余裕なんかねぇ。だが、ま、動くには丁度いい」
剣也は布地の薄い洋服を着ていた。それは昨晩からマグダが用意してくれた、この地方の気候に適した動きやすい服で、シンプルだが吸水性と速乾性が高く着心地の良いものだった。もちろん全員分用意されていて、優子と斎も同じような服を着ている。
「アベルくんはそのままでいいの?」
「ボクのは魔術式が織り込んである特別なのだから。気候や屋内外の状況にあわせて最適な温湿度を保てるんだ」
「ええっ! じゃあ私達の服にもそれやってくれれば……!」
「ゴメン、ボクじゃできないんだ。師匠が作ってくれたモノだから」
わいわいと喋り始める優子達を見て、気の短い剣也は二人の間を強引に通り抜け、朝食が所狭しと載ったテーブルの前にどかっと座る。
「剣也殿はお腹が空いているようじゃの。孫達も起きてきたようだし、皆さん席について。ささやかですが朝食にいたしましょうぞ」
テオドーアとパトリシアが階段を駆け下りて来て、元気に挨拶をしそれぞれの席へ座った。優子達もそれに続く。
座った所からマグダが黒いパンを切って皿に載せていき、コップに水が注がれた。
「それでは、素晴らしい一日のはじまりに。豊穣の神に祈りを捧げて、いただきましょう」
小さく祈りの言葉を口ずさみ、食べ始めるコルヴェトーリアの住民。数秒遅れて優子達もいただきます、と手を合わせた。
朝食にしてはその料理達はとても豪華だった。湯気を立てるスープに日を浴びて輝く鮮やかなサラダ、色とりどりのジャムとソーセージ、ハム、卵、そして昨日のエポルニスの照り焼きチキン。どれもが芳しい匂いを放ち胃を刺激する。
どれから食べようかなぁ、と迷っているとテオドーアがフォークを握りながら話しかけてきた。
「なぁ、ゆうしゃ様、もう王都に行っちゃうのか?」
「ふぇ? おうと?」
「王都って言うのはこの世界で最も栄えた国。偉大な王の治める所だよ。まぁ、後で諸々説明しようと思うんだけど、ボクはまずネーディフ洞窟に行こうかと思ってるんだ」
どうやらネーディフ洞窟と言う所に魔王の欠片は封印されていて、そこを守っていたのが例のサイクロプスだった。何故封印が解かれ、コルヴェトーリアと優子達の世界が繋がってしまったのかそこに行けば何か分かるかもしれないと、アベルはスープを飲みながら言った。
「場所がよく分からないんで地図か何かあれば……」
「それならおれらがあんないするよ!」
テオドーアが料理をひっくり返す勢いではーい、と手を上げた。
「おれらいつもあの辺りまであそびに行くからくわしいんだ!」
「お、おにいちゃん、それはひみつだってば……!」
パトリシアはおろおろと兄を静止しようとしたが、時既に遅し、マグダの喝が二人を襲う。
「ぼっちゃん達!? あそこには近寄ってはいけませんと言ったではないですか!! 約束したでしょう!?」
「えー、でもここいらであそんでも何にもなくてつまんないんだもん。あのさ! どうくつの中に入るとすっごくすずしいんだ!」
「中にまで……ああ……!」
卒倒しそうになるマグダの体をそっと村長が支える。
「テオドーア、約束は何のためにあると思う?」
村長はまっすぐにテオドーアの目を見つめる。
テオドーアはビクッと体を震わせ、どうにか答えを絞り出そうとするが思うように言葉が出ない。
「え、う、ん……」
「マグダはお前達が嫌いで虐めたくてそう言っている訳ではないのだ。約束は言わば鎧。多少身動きがしづらくとも、お前達を守り、成長させてくれる。分かるな?」
「……分かるよ。ごめんなさい……ありがとう、マグダ」
テオドーアはすっかり反省し、マグダに約束を破った謝罪と、叱ってくれたことへの御礼をした。パトリシアもペコリと頭を下げる。
「……坊っちゃん達が安全で、幸せならわたしはそれ以上望みません。さぁ、湿っぽくなってしまってごめんなさいねぇ、勇者様。存分にお召し上がりください!」
マグダは少しの涙を拭い、さぁさぁと優子達にスープのおかわりを注いでいく。
「……あの、村長、マグダさん……お願いがあるんですけど」
「うん? なんじゃね?」
アベルがパンを掴みながらおずおずと話し出す。
「さっきの話の後で、こう言うのは大変心苦しいんですが……やっぱり」
「うむ」
「子供達に、洞窟まで案内してもらいたいんです」
村長は驚き、食べていたチキンが喉に詰まったのか胸をドンドン叩きワインで流し込む。
「んむっ……! ぐふっ……なんじゃとぉ!?」
「地図を読むより早いだろうし……気になることが少しあって、よく洞窟に遊びに行ってるようだから、ここ何日かの変化もわかるかなって」
「で、でもっ! まだこの子達は六歳と四歳ですよ!? 危ない目には……」
「問題ないわ。あの洞窟に魔物はもう居ないだろうし、それに私達が守るもの」
斎は皿の上にあるパンに卵を載せ、ナイフで上手に切り分けて口へ運んだ。
「……たまには洋食もいいものね」
「……勇者殿、ちゃんと子供達を守ってくれるのですかな?」
「ん!? ふぁい、守るよ! ……え、何が?」
サラダをもりもり食べていた優子は状況が飲み込めず、何故アベルと斎がため息を吐いているのか理解できなかった。
剣也はそんな三人を横目に大きな肉にがぶりとかぶりついた。
久し振りの投稿です! 忘れてた訳じゃないけど色々なものに手を出しすぎてて疎かになってました。完結できるように頑張ります!