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やどや

「ふむ。これで仕舞いか。残念じゃな」


 斬りつけた姿のまま固まっているベルガの耳に、鈴を転がしたような可憐な声が飛び込んでくる。

 その音色は先ほどまでとは違い、ベルガの心中へ恐怖を植え付けていた。


(くそっ! なんでこんなガキが……)


 内心で毒づきながら、顔を歪ませるベルガ。

 その肌には玉のような汗が浮き出ており、明確に焦りを感じさせていた。


 決闘が始まる前まで、彼には勝算があった。

 マオが互いの身柄を賭けようと言い出したところで怯んだものの、その際に介添人であるティレルから伝えられた言葉によって勝利を確信していた。

 ティレル曰く、マオは魔法師である、と。

 その言葉が本当ならば、決闘のルールを伝えられた直後にマオが賭けを切り出したことも理解できた。

 魔法師は通常の武器にはない火力を叩き出すことが出来るが、呪文詠唱の事前準備を必要とする。

 よって、大多数の魔法師は仲間に守られている状態のまま力押しする作戦を採るため、いざ近接戦闘となれば苦手とする魔法師の数も多い。

 つまり、マオは決闘で魔法が使えないと分かったから、脅しに出て決闘自体を躊躇わせようとしたのだろう。そのようにベルガは予想した。


 しかし、いざ決闘が始まってみれば相手は化け物のように速い。

 ベルガが戦ったことのある中で一番速い敵はマッドネスウルフと呼ばれる魔物だったが、それとは比べ物にならないほどであった。

 加えて、ただ速いだけでなく、視界外でも攻撃の気配を感知して回避され、極めつけには攻撃が当たったとしても刃が通らない。

 

 事ここに至って初めて、ベルガはマオの実力を理解したのだ。


(どうすりゃいい。どうすりゃ……)


 必死に攻略の道を探すものの、マオに対しての有効手段は見つからない。

 見つかる気もしない。


(毒針だったらどうだ……いや、駄目だ。投げても避けられる。正攻法は……まず間違いなく次は奴も攻めてくるだろう。あの速度で殴られたら避けられるわけがねぇ。もう一回全力で斬りつけるか? だが、また服に……服……服っ!?)


 何か策でも見つかったのだろうか。

 ベルガは斬りつけた姿勢のまま微動だにしていなかったが、マオに気付かれないよう徐々に剣先だけを上へと滑らせていく。


「おい、ガキ。お前が俺の全力を防げた理由が分かったぜ」

「ほぅ。面白い。それはどのようなことかの?」


 肩に掛かる重みが変わったことにマオも気付くが、特に動きは見せない。

 それを好機と見て、ベルガは思い切り剣を振り上げた。


「てめぇの服が魔導具マジックアイテムだって事がなぁ!」


 ベルガは小さな肩に置いていた剣を跳ね上げさせ、そのままマオの顔を真っ二つにしようと斬り上げた。

 豪腕から繰り出される一撃は轟と音を立て、マオの銀髪を風圧だけで跳ね上げる。


(勝った! コイツは俺が気付いてないと思って油断していた!!)


 ベルガの中では再び、勝利の銅鑼が鳴り響こうとしていた。

 人間の身体が剣を防げるわけがなく、その効果は魔導具であるドレスの破壊耐性によるものだとベルガは悟ったのだ。

 そうでなくては、マオの着ているドレスが土埃で汚れていないことや剣を防げたことに説明がつかない。

 逆に言えば、ドレス以外の細い手足や頭部を斬った場合、刃は問題なく通るだろうと彼は考えた。


 ガキンッ!


 しかし、その思惑は外れ、ベルガは信じられないとばかりに手の中を覗き込む。

 無理もない。マオの頬に触れた瞬間、剣の腹が真っ二つに折れるなど誰が予想できようか。


「成程。お主の最後っ屁もこんなものじゃったか」


 カランカランと音を立てて落ちる青銅を、呆然と見ているベルガ。

 マオから発せられた落胆は既に聞こえていなかったが、続いた声はどこか底冷えするような威圧を放っており、瞬時にベルガの意識を覚醒させる。


「ふむ。お主は女子おなごの柔肌に傷をつけるということがどういうことか、分かっておらぬようじゃな」


 修練場の片隅から「お前みたいな女子じょしがいてたまるか! 歳を考えろ歳を!」と叫ぶ少年の声が聞こえたような気もしたが、マオとベルガは盛大にスルーする。

 ベルガはそれどころではなく、マオの場合は決闘が終わってからゆっくり問いただしてやればいいと考えていたのだ。


 ベルガの額に玉のような汗がびっしりと浮かんだ次の瞬間、マオの右手が動く。


「ッ!?」


 その動作が見えたのは幸いだったのだろうか。

 ベルガは頭で考えるよりも早く反射で応じ、半ばで折れた剣を持ったまま、一瞬にして後方数メートルの距離に跳躍していた。

 

「ぐっ! っく……フゥ、フゥ……」


 ガンッと音を立てて着地し、尻餅をつきながらも距離をとることに成功したベルガ。

 たったそれだけのことだったが、まるで肉食獣の檻から抜け出せたかのように彼は安心していた。

 が、マオの言葉によって安息の時間がいとも容易く覆される。


「やれやれ。お主と妾の実力差に、この程度の間合いなど関係あると思うてか?」


 どうやらマオが右手を動かしたのは、折れた刀身を拾うためらしい。

 ドレスに土がつかないよう軽く捲くりながら、華奢な手には余る巨大な青銅を掴む。


「ふむ。意外と良い材質を使っておるの。このままでは再利用も難しいじゃろうて、妾が少々手を加えてやるとしよう」


 マオはそう言うと、両腕を広げて剣を水平に掲げる。

 右の掌で折れた部分を持ち、左手に剣先を突き刺すようにして挟みこむ。

 何をしているのかと訝しむベルガの前で、それは起こった。


 クキッ。コクッ。ペキッ。


 まるで骨が幾重にも折れ続けているようにいびつな音を響かせて、大剣が縮み始めたのだ。

 ベルガが呆然と見ている前で、左右の掌に挟まれている剣の長さが大剣からショートソードへ、さらにはダガー程度へと急速に面積を縮めていく。

 あれは手品の類だろうか。

 いや、そうではないとベルガは分かっていた。だが、認めたくはなかった。


「嘘だろ、オイ……」


 くしゃりと紙を丸めるかのように。

 事も無げに人間の首を絞めるかのように。

 いとも容易くマオの手中に剣が収められ、その姿は野球ボールと言っても差し支えない球体にまで変容させられている。


「……ば、化け物め」


 想像を絶するほどの膂力で鉄塊を押し固めながら、彼女は嗤っていた。

 ベルガが内心で恐怖し、その表情に恐れが漏れ出してくるにつれ、マオの唇も三日月形に吊り上っていく。

 彼女の可憐な、されど残忍な笑顔は語っていた。

 次はお前がこうなる番だ、と。


「ふふ。流石に冗談じゃがな。人体を壊すと臓腑や血液が飛び散るゆえ、片付けが面倒なのじゃよ」


 その口調は、以前にも同じことをしたことがあると言わんばかりであった。

 そして、ベルガに対して『それ』を行わない理由は、面倒といった単なる感情であり、やろうと思えばいつでもベルガを壊すことができると示していた。


「そう怖がるでない。今から行うは殺戮ではない。教育じゃ」


 歪な形をした青銅をポンポンとお手玉しながら、妖しげに嗤うマオ。

 その表情を直視してしまった人間は、一人の例外を除いて身動きがとれない。

 まるで金縛りにあったかのように、指一本動かすことが出来なくなっていた。


「さて。まず一つ目じゃが、お主の右腕は女子の肌を傷つけようと動いた。そのような悪手は感心できぬな」


 マオが喋り終えた直後、誰かが「ひっ!」と小さく悲鳴を上げる。

 それは何故か。

 マオの掌で跳ねるモノが、いつの間にか変わっていたからだ。

 

 少女にいとも容易くお手玉されていたモノは、ベルガも良く見知っているもの。

 幾多の戦いで剣を振って、ねやで女を苛め抜き、美味い食事を口に運んでいた身体の一部。

 それを認識した瞬間、ベルガの右肩にずしりと重みが加わり、彼は体勢を立て直すことすら出来ずに倒れこむ。

 床で右肩をしたたかに打ちつけ、甲高い金属音を響かせて鈍い痛みが襲った。


 いや、待て。

 木製の床で身体を打ちつけて、金属音など立てるだろうか?

 そんなはずはない。彼が着ている防具は皮製であり、間違っても耳に響くような音ではない。


「あ……あぁ……アアアアァァアァアァ!!」


 ベルガの身体を灼熱の激痛が襲い、神経が焼き切れるような絶叫を響かせて転がりまわる。

 彼の右肩についていたモノは、青銅色の禍々しい球体。

 一瞬にして力ずくで引き千切られた右腕の断面に、青銅がこれまた力ずくで押し込まれ、体外に出てはならない赤色の肉をはみ出させている。

 青銅との隙間からグジュグジュと音を立てて血を染み出させる光景は、観客席にいた大多数の目を覆うには十分であった。

 木材に血のアートを描くたび、歪められた刃が血肉を傷つけて蠕動し、耐え難い痛みを増幅させながらベルガに伝えてきた。


「がっ、があああっぁああぁぁ!!」


 引き千切られたベルガの腕をお手玉しつつ、悲痛な叫びを耳にしたマオは満足げに頷く。

 彼の一部であった右腕も、投げ上げられた拍子に剣の残滓を落とし、断面からビチャビチャと盛大に血を噴き出させていた。


「うむ。お主は戦いが好きなようじゃからな。妾が与え賜うた腕なら剣を防げる。戦時でも存分に役立つであろうぞ」

 

 足元に紅い水溜りを作りながら、性質たちの悪い冗談を愉しそうに話すマオ。

 彼女の魔王たる片鱗に、その場にいた皆が凍りついていた。

 

「ふむ。そろそろ次の教育に移ろうか。……そうじゃな。お主の大層な口は、戯言を生むことしか考えられぬようじゃからな。二度と使えぬように舌を抜いてやるのが慈悲というものか」


 マオはお手玉していた右腕をゴミのように投げ捨て、落ちていた剣を拾う。

 半分になってしまったそれを利用し、ベルガの口を裂こうと一歩踏み出した瞬間。



「そ、そこまで! 勝者、マオ殿!」


 

 決闘責任者であるステルゲンの声が修練場へと響き、瞳を爛々と輝かせていたマオの動きがピタッと止まった。


「何じゃ。これからがお楽しみなのじゃぞ?」


 手に持った剣を所在無さげに揺らしながら、修練場の隅にいたステルゲンへ向かって文句をたれるマオ。

 お楽しみに水を差されて醒めたらしく、流麗な頬にあった朱も幾分か薄くなっていた。


「ベルガ殿は君に武器を奪われ、致命傷に近い傷を負った。これは君の勝利と言ってもいいだろう」


 マオに近寄りながら、ステルゲンが先ほどまでの動揺を感じさせない声で話す。

 彼の視線の先では、ギルドの治癒魔法師とティレルによって、どこかへと運ばれていくベルガの姿がある。

 マオの近くに落ちていた腕と一緒に担架へ乗せられ、激痛に呻きながら運ばれていくベルガの表情は、周囲の同情を禁じ得ないほど悲壮であった。


「私の判断で、彼を施術院に送らせてもらった。決闘の途中で不服だろうが、あのままでは失血死しかねないのでな」

「ふむ。奴は妾を殺そうとしていたのじゃが?」


 マオが口を尖らせながら言っている事は、至極正論であった。

 相手は殺意を持って剣を振り下ろしてきたのに、いざこちらが手を出せば審判によって助命される。

 決闘に立った者からしてみれば納得できないだろう。

 それをステルゲンも分かっているらしく、申し訳なさそうにしていた。


「分かっている。だが、決闘責任者として審判役を勤めた以上、過度の苦痛を与えかねないオーバーアタックは制止する義務がある」


 彼の主張は、一思いに殺すなら認めるが、苦痛を与えてじわじわといたぶる方法は認めないということであった。

 人体に過度の損傷と苦痛を与えるダムダム弾の使用が地球上で禁止されているように、異世界においても非人道的な行為は認められないらしい。

 戦争時や盗賊の所業は別として、名誉ある決闘の場でオーバーアタックが禁止されていることは、何となく納得できる理由ではある。

 冒険者は依頼を遂行する仕事人であって野獣ではないのだから、せめて誰かが見ている前では秩序や名誉を守れということなのだろう。


「途中で止めはしたが、この決闘の勝者は君だ。ベルガ殿の身柄は遠くないうちに奴隷商人へ引き渡されることになる。私が責任を持って最後まで監督するから、ここは納得してもらえないだろうか」


 ステルゲンは目の前の少女に向かって頭を下げる。

 たかが少女と思って礼を失する気持ちは微塵もない。

 見た目はどうあれ中身は化け物のように強いのだから、下手に機嫌を損ねてはどうなるか分かったものではないのだ。

 内心でビクビクしているであろうステルゲンの頭頂部を見ながら、マオは溜息をついて口を開く。


「仕方ない。おぬしに免じて引いてやるとしよう」

「……すまない。恩に着る」


 マオの返した言葉に、安堵の息を吐くステルゲン。

 彼の行動は告知されたルールに則っただけなので、マオも言葉尻はどうあれ心中では大して気にしていない。


「ベルガ殿を奴隷商人に引き渡した際の金銭についてだが、後日ギルドへ来た時に渡そう。それで良いな?」

「うむ。問題ない」


 おそらく腕の欠損は治らないから売却額は下がるだろうな、と続けるステルゲン。

 その言葉に苦笑するマオの隣へ、二人の人影が近づいてくる。

 誰であろう、ユウジとレティシアであった。


「おーっす。お疲れさん、マオ」


 惨劇が繰り広げられた後だというのに、まったく気にした風もなく歩いてくるユウジ。

 血溜りを避けながらマオの隣に来ると、ひらひらと手を挙げて少女を労う。 


たわけ。疲れるはずもなかろう。妾が苦戦する相手など、お主以外におらぬのじゃからな」

「こういうのは疲れてなくても言うもんだよ」

「ほう。そうじゃったか」


 フランクに接するユウジに、マオが小さい身体でジャンプしてハイタッチを交わす。

 その会話を聞いてステルゲンの身体が凍り付いていたが、二人は気付かない。




(Bランク冒険者を幼児のように捻り殺せるマオ殿と、マオ殿を苦戦させるらしいユウジ殿。逸材と喜ぶべきか、災厄と恐れるべきか……)


 このステルゲンという男。何を隠そう、このギルドにおける副所長であり、元Aランクの冒険者でもあった。

 そんな彼が何故ここで決闘責任者をしていたかと言われると、アイテムボックスを所有している二人組の情報を聞きつけたためである。


(しかし……アイテムボックスを抜きにしても、この二人の能力は逸脱している……)


 アイテムボックスの存在を知っている時点で、マオとユウジが魔法師であるといった情報も当然ながら彼の耳に入っていた。

 国宝クラスの魔道具を持ち、かつ巨大な戦力となりうる冒険者志望の兄妹。

 辺境のギルドとしてはぜひとも手に入れたい逸材だと思い、決闘で殺されないように出張でばってきたのである。

 もし、ベルガの攻撃に対してマオが手立てのない素振そぶりを見せていたら、ステルゲンは何の躊躇いもなく決闘に割り込んでいただろう。

 中立に徹しなければならない規則を無視しても余りあるほど、マオとユウジは重要度の高い人物になっていた。


 しかし、いざ決闘が始まってみれば、元Aランク冒険者のステルゲンでも動きが見えない。

 銀髪はおろか黒いドレスの軌跡すら追うことが出来ず、まるでその場にいなかったかの如く大気にも澱みがない。

 おまけに、中級魔法にも匹敵する一撃を生身で受けても無傷なのだ。


(加えて、彼らが魔法師であることが異常性に拍車をかけている……)


 体術戦ですら、この有様だ。

 魔法戦でこれ以上の技を見せつけられるかもしれないとなれば、正直に言ってギルドでも扱いに困る。


(だが、上手くこの二人を味方につけることが出来れば……このギルドにおいて、かつてないほど貴重な戦力になるだろう)


 ステルゲンはこのギルドのナンバーツーだ。

 冒険者のため、ひいてはエスベルクの町のため、多少の泥くらい飲んでやるといった気概が身体に満ち溢れていた。




 ステルゲンが何かしらを考えている傍で。

 ユウジの後ろからついてきたレティシアは、マオに向かって頭を下げていた。


「あの……私の為に、ありがとうございました」


 レティシアの動作は、どこかぎこちない。

 無理もないことだろう。

 儚げな魔法少女だと思ってたら、Bランクの冒険者を意にも介さないほどの強者だったのだ。

 隣のユウジはへらへらと笑っているが、レティシアは未だに先ほどの決闘が夢ではないのかと半信半疑である。


「な。大丈夫だっただろ?」

「え、ええ。お強いのですね……」


 強いとかそういうレベルじゃないと内心思っているレティシアだったが、恩人の手前、それは顔に出さないよう勤めていた。

 そこは流石と言うべきか、看板受付嬢の本領発揮である。

 彼女の世辞を聞いて、マオは満足そうに首を縦に振る。


「うむ。気にすることはないぞ。これから奴のような者が現れた時は、遠慮なく妾に伝えるが良い」


 マオが大声でそう言うと、観客席で撤収準備をしていた冒険者の動きが一瞬止まる。

 今回の決闘は、マオが気に入らないとしてベルガ側の吹っかけた喧嘩であり、そこにレティシアを守るといった意図が本来では存在していない。

 そのため、観客席で見ていた彼等の中には、次は自分がレティシアを……と考えていた輩も少なくないわけである。

 しかし、マオが明確に公言したことで迂闊にレティシアへ手が出せなくなった。

 もし、自身の勧誘がレティシアの気に障った場合、それはあの悪魔を差し向けられる可能性を示しているのだから。


「何から何まで。本当にありがとうございました」

 

 マオの脅しを理解し、最後に一度だけ礼をしてから顔を上げるレティシア。

 その瞬間、彼女の纏っていた怜悧な空気が和らぎ、ポニーテールが愛らしく跳ねる。

 

 レティシアの表情は、看板受付嬢の名に恥じないほど極上の笑顔であった。





 レティシアが滅多に見せない笑顔を披露してから数分後。

 再びピシリとした空気に戻ったレティシアと何か思案していそうなステルゲンに見送られ、ギルドを出る二人。

 そして大通りを少しばかり東に進み、ユウジとマオは泊まる予定である宿屋の前に来ていた。


「おお。これが宿場か。……して、入口には何の絵画も貼られておらぬぞ?」


 二人の前にある宿屋は、モダンな外見をしているレンガ造りの建物。

 五階建てになっているそれは年季を感じさせているためか、マオもお気に召しているようであった。


「入り口にパネルが貼られてんのは一部の例外だ。頭にラブがつく特殊な宿屋だけのな」


 ユウジが木の扉を空けて宿屋に入ると、温かさを感じさせるロビーがシャンデリアの光に照らされていた。

 魔石で彩られたシャンデリアを除けば、木の椅子と丸テーブルが数セットほどロビーの隅に置かれているだけで、その内装は華美よりも頑丈さを優先させた実用性重視のものであった。


(まぁ、ギラギラゴテゴテな宿屋よりかはマシか。レティシアに感謝だな)


 ギルドの看板受付嬢に謝辞を送りつつ、ユウジとマオはロビーを進む。

 突き当たりに設置されている、日本の銭湯にあった番台と似たカウンターに、一人の女性が座っていた。


「いらっしゃい。食事かい? それとも泊まりかい?」


 少々くすんだ金髪が目立ち、恰幅のいい身体に作業着と白いエプロンをつけている女性。

 まず間違いなく、彼女は宿屋の女将おかみだろう。

 その容姿を一言で表せば、肝っ玉母さんといったところだ。


「泊まりだ。個室にしたいんだが、いくらになる?」

「一泊二食付きで銀貨三枚だね。二人部屋なら銀貨五枚だよ」


 ユウジが尋ねると、女将が即座に答える。

 彼女が二人部屋だと言ったのは、おおかたユウジとマオを兄妹と見ているからか。


「ふむ。ならば二人部屋を借りるとしよう」


 ユウジが女将の反応にどう返していいものか思案していると、彼の横にいるマオが口を開いた。

 部屋割りをどうするかに関しては、宿屋に向かう道のりで既に決めてある。

 駆け出し冒険者であるため一人一部屋などとは金銭的に猶予がなく、かといって雑魚寝部屋にすれば他人の視線が面倒なのだ。

 その折衷案が二人部屋であった。

 ちなみに、ユウジがマオを性的にどうこうといった心配は皆無である。ユウジにはロリ+ババア+魔王の三重苦に手出しをする気などサラサラなく、マオはユウジが極度のヘタレであることを女の勘で見抜いているためであった。

 もっとも、互いにそれを口に出せば、両者揃って異を申し立てただろうが。


「お前が相部屋でいいって言うなら別にいいけど。んじゃ、とりあえず二日分ほど前払いしとってくれ」

「おお。そういえば、金子は妾が持っておったな」

 

 そう言って、マオが虚空から金貨を取り出す。

 すると、目の前で女将さんが目を見開いて驚いていた。 


「い、今の、どうやったんだい!?」


 女将のリアクションに、ユウジとマオは苦笑する。

 二人の前情報を聞いていた冒険者ギルドでさえアレだったのだから、彼女の驚嘆は無理からぬことであった。


「俺達、アイテムボックスを持っててな。こんな風に財布要らず予備武器いらずって訳だ」


 ユウジは左手で日本刀を、右手で銀貨を取り出して実演してみせる。

 マオから金貨を受け取りつつ横目で見ていた女将は、ユウジの手に握られた物に関心の声を漏らしていた。


「へぇー、こりゃまた凄い客が来たもんだ。アイテムボックスなんて魔導具、貴族ですら死ぬまでお目にかかれないってのに……」


 あ、やっぱ貴族っているんだ、と心の中で呟くユウジ。

 そして、貴族の存在が明らかになったことで嫌な予感が彼を襲う。 


(あー、これアレだわ。貴族に見つかって「そのアイテムボックスよこせ」って武力行使に来られるパターンだわ)


 そう遠くないであろう未来の光景を瞼裏に映し出していると、女将の方も台帳を開いてなにやら書き込んでいる。

 番台のようなカウンターなので、女将の方から手を伸ばす分には問題ないのだが、こちらからは女将の手元が見にくい構成になっていた。

 マオが「うんしょうんしょ」と背伸びをしているが、幼女の身では見えるものも見えないだろう。


「はい、まずは二日分ね。二人の名前は?」

「俺はユウジ。……んで、」

「妾の名はマオじゃ」


 さすがに三度目なので、マオも先んじてチビ扱いされないように名乗る。

 二人の言を聞いた女将は台帳に書き込んでから、ユウジに向かって一枚の金属プレートを手渡してきた。


「はい、これが部屋の鍵。部屋に入ってすぐ右にあるホルダーに入れれば魔石が起動して明かりがつく。ホルダーから外せば扉が閉まって防犯にもなるから、寝るときは外しておきなよ」


 カード大の金属プレートには、ギルドカードや通行証でお馴染みのバーコードが彫られてあった。

 その表面を撫でながら、ユウジはマオに【念話】を飛ばす。


『この世界、こういうところが無駄にハイテクだよな』

『むぅ。はいてく、が何かは分からぬが、魔導具の技術に関しては妾の世界を上回っておるな』


 カードキーをマオに手渡しながら、不思議そうな顔をするユウジ。

 この世界には二属性以上の適性を持った魔術士がいないため、魔力や魔術の類に関しては不得手ではないかとユウジは思っていたのだ。

 しかし、こうして宿屋のカードキーやギルドの魔力鑑定装置など、現代地球の魔力バージョンとも言えるシステムを見せられてしまえば、その予想も少々外れていたと言わざるを得ない。


『むしろ、魔術に不得手だったからこそ、魔力そのもので起動できる魔導具が発達したのじゃろうな』

『あー、それなら分かる。……魔力がない地球で科学が発達したようなもんか』


 魔術と違い、魔導具は適性がなくとも魔力を込めれば起動する。

 魔術式の構成といった、魔術において一番難しいプロセスを必要としないためである。

 数学でいえば、問題文から方程式を導く過程が省略され、後は代入法で解くだけの状態。

 その分、氷を生み出す魔導具では火を生み出せないなど応用が利かないものの、魔導具自体は誰でも扱うことが出来るのだ。


『それに、どうもこの世界の人間は魔力が薄く感じるのじゃよ。魔術士としての才能を開花できる者は……おそらく五十人に一人程度じゃろうな』 

『はぁー。なるほどねぇ』


 魔術に関してはサッパリなユウジは、マオの見立てに感心の声音を返す。

 マオの世界では十人に一人程度の割合だった魔術士だが、それでも必要な人材として魔導具と共に重宝されてきたのだ。

 それよりも少ないとなれば、魔法を捨てて魔力そのものを利用するすべを発達させたことは、至極当然の流れであった。


 内心で色々と思案している二人の前で、女将の説明は続いていく。


「二人の部屋は304号室だね。そこの階段を二つほど上がって四番目の部屋だよ。食事は朝夜と二回で、今日の食事時間は既に終わっちまったから、後でサンドイッチか何かを持って行ってあげる」

「むっ。それはよいな」


 女将の気遣いに、二人の顔に喜色が浮かぶ。

 レティシアの言ったとおり、ここはサービスもいいようであった。


「銀貨一枚だけど、風呂にも入れるからね。日が出ているときは女用で、日が沈んでいるときは男用だ。あたしがしっかり見張るから、わざとでも入るんじゃないよ」

「入らねぇよ」


 ユウジの頭に大きな手を乗せて叩きながら、女将が警告していた。

 その姿はからかい半分にも見えたが、目だけは笑っていない。

 おそらく宿屋から叩き出される程度にはなるのかもしれないと、ユウジは唾を飲まずにはいられなかった。


「女将よ、安心するがよい。こやつは極度のへたれじゃ。そんな度胸も逸物もありゃせんよ」


 マオのフォローになっていないフォローが、ユウジの心臓を爆撃する。

 言い返してもよかったが、女性二対男性一ではまず間違いなく言い負けると考え、ユウジは無言を貫いた。

 もし言い返したとしても、大人の女性(婉曲的表現)二人に股間を一瞥されて鼻で笑われることになってしまえば、彼は泣きながら浜辺を爆走することになるだろう。


「ふぅん。マオ嬢ちゃんがそう言うんなら、こっちは信用するしかないね。まぁ、とりあえず何か軽く作ってくるから、あんたらは部屋で休んどきな」


 そう言って、カウンターの奥へと引っ込んでいく女将さん。

 二人としても、女将がいなくなってロビーで突っ立っているのもなんなので、近くにあった階段を上って部屋へと歩いていった。


(二階は……大部屋か)


 三階に上がる際に少しだけ見えた二階には、これといった部屋のような区切りがなく、雑魚寝用の大部屋であった。

 ただただ広い木の床で、冒険者達や旅の商人らしき人々が寝袋に包まり、見張りを残して寝息を立てている。

 個室を使う者へ向けられる怪訝な視線をさえぎるためか、二階の入り口にはカーテンが掛かっていた。

 そのため、さすがのユウジでもチラッとしか見えなかったらしい。


(言われてみれば、二泊で金貨一枚って結構高いかもなぁ……)


 ギシギシと鳴る木の階段を登りながら、ユウジは思案にふける。

 金貨一枚は日本円換算で一万円なので、ユウジ達の場合だと一泊一人辺り二千五百円の計算になる。

 リンゴ一個が鉄貨三枚三十円で買える世界のため、リンゴ一個百円の日本にあわせて考えれば、物価はおよそ三分の一。

 そうすると、ユウジのように個室をとるといった行動は、七千円強のビジネスホテルを利用するようなものなのかもしれない。

 もっとも、それを高いと取るか安いと取るかは本人次第だろうが。


「何を考えておるのじゃ?」

「ん? ああ、なんでもないよ」


 マオの言葉に、ユウジが顔を上げる。

 いつの間にか、部屋の前まで着いていたらしい。

 ドアノブの上にあるホルダーに手を伸ばし、マオがカードを差し込むと、カシャッと小さい音が鳴った。


「ふむ。面白い仕掛けじゃな」


 扉が開錠されたのを確認し、カードキーを抜いて入室する。

 今度は扉を入ってすぐ隣にあったホルダーにカードを入れると、魔石のライトで部屋が明るく照らし出された。


「へぇ。結構いい感じだな」

「うむ。ちと狭いが、これも冒険者の醍醐味と言うものじゃ」


 文句を言いながらも、既にマオはベッドにダイブしてゴロゴロと寝転んでいる。

 部屋の内装は、白い壁に赤い絨毯。シングルベッドが二つ設置されていて、小さな丸テーブルと椅子も置いてあった。壁際には暖炉まであるので、冬を過ごすには最適な宿なのかもしれない。


「風呂は……今行くのはマズイか」


 丸テーブルに座って窓から外を見渡しながら、ユウジがぼそりと呟く。

 女将の話を聞く限り、ここの宿屋にある風呂は大浴場のようである。

 当然他の人も入浴しに来るので、もしかするとアイテムボックスのことを知っている人間がいるかもしれない。


(それなら、風呂は夜遅くがいいか)


 窓の外に見えるエスベルクの街中は、しんとした静寂に包まれている。

 魔導具が発達していると言っても、イコールで魔導具が安いと言うことではないだろう。

 そのため、高い魔導具を使って夜まで仕事をする人間は少数のようで、庶民は基本的に早寝早起きらしい。

 ならば、夜中であれば誰かが入浴していることもないだろうと、ユウジは考えたのである。


「とりあえず、今は女将さんが持ってくる夕食を待……ありゃ?」


 カーテンを閉めてベッドに向き直ると、そこにはスゥスゥと寝息を立てているマオの姿があった。


「……こいつはアレか。修学旅行の夜、恋バナを始めた割りには真っ先に寝るタイプか」


 その寝姿は、とても魔王には見えない程にあどけないものであった。

 衣服はドレスのままだが、多少の皺がよる程度なので、マオならどうとでも出来るだろう。



「ま、少しは寝かせといてやるか」



 銀髪が広がってシーツに新たな文様を生み出している光景を横目で見ながら、ユウジは椅子に腰掛けた。

 マオの安らかな寝顔は、女将がサンドイッチを持ってくるまで続くこととなった。


次の更新は30日の予定です。例によって一日遅れるかもしれませんが、そこはご容赦を。

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