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えすべるくへ

一話を読み直してみたら、4つの固有能力しか書いてないのに「5つの」になってたり数日前が数週間前だったり一ヶ月前が数日前だったり、修正していて笑いが出るくらい酷かった。

いろいろ整合性を考えるのって大変ですね。

  

 

 目を開けると魔王城ではなく、ユウジはどこか得体の知れない森の中に立っていた。



「あるぇ?」


 間の抜けた声を出して、いきなり変わった景色にたたらを踏む。

 返ってくる感触は先ほどまでの柔らかな絨毯ではなく、柔らかい草と土。


「ここ……どこだ?」


 彼の周囲には巨大な樹木。日本の屋久杉ほどではないにしろ、サイズ的には一回り小さい木々が乱立していた。

 赤い光が梢の間から降り注いでいるところを見ると、おそらく夕暮れなのだろう。

 

 怪しいメーターがあれば振り切れるような『ザ・魔の森』といった感じの場所であった。


「むぅ。ここはどこなのじゃ? あの転移陣の魔力からしても相当な距離を飛ばされたことは分かるが……」


 状況把握のために木々を見上げていたユウジは、ふと視線を下げる。

 目に映るは、薄暗い森に不自然なほど輝く銀色の髪と黒の装束。

 ゴシックロリータのドレスを着た少女が立っていた。


「なんかよく分からないけど、二人とも転移させられたらしいな」

「うむぅ。不覚をとったのじゃ……」


 ユウジが苦笑すると、マオはワイバーンのぬいぐるみをギュっと抱きしめる。

 魔の者として頂点に立つが故に、出し抜かれた事実が悔しいのだろう。

 彼女の口元は『へ』の字を描いていた。


「でも、特に危険があるようには見えないよな」


 ユウジは周囲を感知しながら眉をひそめる。

 その点についてはマオも同意見であった。


 勇者と魔王である二人を転移させるためには、想像もできないほどの魔力を使わねばならないだろう。それこそ、熟練魔導士千人の魔力を吸い尽くしても足りないほどの。

 そうしてまで二人を転移させる理由としては、魔王か勇者の抹殺以外に思い浮かぶことも無い。

 人間あるいは魔族の中にも王に不満を持つ者が出ることは当然で、同規模の戦力が消耗しあうといった展開は、片方もしくは双方を排除するに絶好の機会であるはずだ。

 なのに、何かあると思っていた転移先の森にいる生物は、鳥やイノシシにクマ、そして低級の魔物が少々であった。


「転移させて殺すにしても、火口や氷土、落とし穴とかにした方がいいだろうに。何で森?」

「さぁの。とりあえず帰るために……おや?」


 退屈そうに地面を蹴ろうとしたマオは、自身の足元に何かが転がっていることに気付く。

 ユウジは彼女の疑問符を聞くことで、少々遅れて何かに気付いた。


「手紙、じゃの」


 マオはぬいぐるみを虚空へ収納し、ロリータドレスのすそに土がつかないよう片手で捲り上げながら手紙を拾う。


(あっぶねっ!)


 ユウジも先んじて拾おうとしていたが、マオが裾を上げた時点で手を伸ばすことをやめていた。もし、ドレスの奥に潜む花園を見てしまえば、ハリセンどころか隕石を落とされかねない。


「ふむ。随分と綺麗にならされた包みじゃな」

「……たぶん、それは俺の世界の封筒だ」

「そういえば、お主は別の世界から召喚されたのじゃったな。開けてもらえるかの?」


 彼女が拾ったものは、エアメール用にふちが赤と青で修飾された封筒であった。

 ユウジは一目で分かったが、マオにとっては初めて見る代物。

 小さなお手々から手紙を受け取り、糊付けされていない口折りを開ける。


 中にはB5サイズの便箋びんせんが二枚ほど入っていた。

 紙面はかすかに光を帯びているため、薄暗い夕闇の中でも、覗き込んだ二人は文字が視認できていた。




=======================


 ユウジ殿、マオ殿。



 そなたらを転移させ、不躾な頼み事を行う非礼を先んじて謝罪する。


 私はそなたらの世界で神と呼ばれる者であり、数千の異なる世を把握する者である。


 証明に値する行動として、ユウジ殿の世界におけるふみをしたため、マオ殿の世界におけることわりを用いたのだ。


 前置きはこの程度で終えて本題に入ろう。


 この世界は、ユウジ殿がいた世界『アルス』ではなく、マオ殿がいた世界『ゼアリム』でもない。


 幾千ある世界の一つ、『ウォルテラ』である。


 この世界にも魔の技法があり、魔の者が生息する点に関しては『ゼアリム』と大差ないと言える。


 だが、安定している他の世界とは違い、この『ウォルテラ』は危機に瀕しておる。


 有り体に言えば、世界の崩壊と呼ばれるものである。


 要因としては負の感情、魔帝の存在など様々なものがあるが、もっとも大きな理由は生命力と魔力の枯渇である。


 そなたらには二人でこの世界を漫遊し、余りある力を各地に振り撒いてもらいたい。


 私は世界そのものに顕現して魔力を還元することができない。


 ゆえに、数多の冒険を望み、かつ膨大な力を持つそなたらに頼むしかなかったのだ。


 この世界が崩壊することになれば数億の魂が溢れ出し、他の世界にも影響を及ぼすことであろう。


 輪廻にないはずの魂が干渉し、生まれるはずの命が消え、消えるはずの命が永らえる。


 そうなれば連鎖的に事象が崩れ、無数の世界で崩壊を引き起こすことになる。


 数え切れぬ魂を救うため、協力してはくれないだろうか。


 そなたらを転移させるだけでかなりの力を使ったため、現時点で可能な私からの施しは【共通言語】の技能一つである。


 されど、金に困るそなたらでもあるまい。


 望みがあれば、もう一枚の白紙に向かって尋ねてほしい。


 魔力が回復次第、私の力で可能な限りの支援を行おう。



=======================




「ふむ。つまり、妾に旅をしろと言っておるのか」

「そういうことらしいが……」


 二人で読み進めるにつれてマオの口がニマニマと緩んでいることを、ユウジは見逃さなかった。

 彼は似たようなパターンが二度目であるため特に感動など無いが、少女にとっては望んでいた初めての体験である。

 それでも魔王としての矜持は残っており、逡巡の後に気を引き締めながら渋面を作った。


「じ、じゃが……妾とてゼアリムの民がおる。王が責務を投げて冒険などと……」


 そう言いながら一枚目を読み終え、もう一枚の白紙に視線を移す。

 すると、手紙に書かれた通り、何も書かれていない紙面から黒インクの文字が浮かび上がった。


『事が終わった暁にはゼアリムへ転移させることを約束する。そなたらが送られた瞬間にゼアリムの時間を凍結させてある。帰還時の誤差は一瞬にも満たないだろう』


 読み終わった瞬間にスゥッと消える文字を見ながら、顎に手を当てて考え込むマオ。

 返答を逆に考えれば、自身が戻らない限りゼアリムに住む生物は永遠に時間が進まないと言うことでもある。

 

 それでも、降って沸いて鴨がネギ背負って転がり込んできた現状は、マオにとって非常に魅力的であった。

 魔王の責務を忘れて遊び歩いても問題ないというのだ。

 それに、自身を倒せる生物がそこら辺に転がっているはずもないため、特に心配することもない。彼女に打ち勝てる魔力を持つ者がいれば、神はそいつに頼んだはずなのだ。


 マオが「むふふー♪」とニヤける光景を横目で見ながら、ユウジも紙面に言葉をかける。

 

「一つ頼みがあるんだが……このエアメール、他の世界の誰かに送ることはできるか?」

『全世界全時間軸において可能だ。ただし、時間凍結をしているゼアリムの未来へ送ることは不可能だ』

「なんじゃと!?」


 その返答で、マオが何かに気付いたように紙面を覗き込む。

 時間を問わないのであれば、もしかするかもしれない、と。


「日本に住んでいる両親へ手紙を送りたい」

「わ、妾も、全盛期の先代へ送りたいのじゃが……」

『白紙で話す形式にはできないが、通常の手紙であれば返信も問題ない。そなたらの虚空に文を収納すれば、私が転移させよう』


 その文字を見た瞬間、ルビーの瞳には涙が溢れ、黒髪の少年は安堵の息をついた。


「良かった。父さんと母さんに無事を知らせるくらいはしておかないとな」


 ユウジは突然異世界召喚された身であり、帰る手段に見当もつかない当初は混乱したものだった。

 しかし、いざ異世界で暮らしてみれば、自身に与えられた力を存分に発揮して生を満喫することができるため、地球よりもゼアリムで暮らしたほうが余程いいと思い始めていた。

 その中で唯一の心残りが親しい人々の事であり、それが保障されるともなれば無碍にする道理もない。


「父上……母上……」


 マオにしても、今はもう永劫の眠りについてしまった全盛期の先代と文を交わせるのだ。

 八百の年月に裏付けられた精神はあれど、両親への想いは幼い体躯に挟まれて揺れている。

 愛する者と再び話すことができるともなれば、断るどころか二つ返事で承諾するしかない。


「神とやら。お主の頼みで、結果的にゼアリムの民を救うことができるという。魔王として妾が断ることなどできるはずもない」

「この世界を放っておいたら地球にも影響が出るって言うんじゃ断れんよ」


 虚空から取り出したハンカチで雫のあとを拭き取り、王としての表情に戻ったマオ。

 それでも抑えきれない歓喜に震える彼女の隣で、優しい笑顔を浮かべるユウジ。

 二人の返答を聞いた文字は安心しているのか、筆圧が減って細くなっていた。


『助かる。それと、この便箋は虚空に入れて保存してもらいたい。魔力の足りない地があれば優先的に指示する』

「魔力を振り撒くってのは、その場所で魔術をぶっ放せばいいってことか?」


 本当に日本出身の少年なのかと疑うほどに物騒な質問をするユウジ。

 当然と言えば当然の質問なのだが、彼らが実行するともなれば地形が変わってしまうので、隣にいるマオは苦笑いだ。


『基本的には観光程度に歩くだけで構わない。魔術を行使すれば更に良い結果が望めるが、大きな破壊活動を無意味に起こすと支障が出る。身を守るためなど、必要なものであれば規模は問わない』


 要するに、適当に滞在して、戦闘になればある程度遠慮なしでもオーケーということだった。

 古今東西の技術が詰まっている二人にとって手加減は難しくないものの、やはり全力を出せないというものはストレスになる。


「ふむ。ならば、まずは何処へ向かえばよいか教えてもらえるかの。もう日が落ちる頃じゃ。野宿も乙じゃが、この服で寝る事態は遠慮願いたい」


 マオの虚空に収納されている衣服は、色とりどりのドレスやシースルーのネグリジェが大半だった。

 一着一着がゼアリムの貨幣価値で白金貨数枚。日本円にすれば数十万円の高級品なのだ。

 初の野宿は楽しみだったが、破れない程度の丈夫な衣服には着替えておきたい。


『二人を転移させる際、速度重視にしてしまったので少々位置がズレていたようだ。20キロほど南へ下った所にエスベルクの町が存在する。冒険者ギルドも設置されている。道中の魔物から魔石を採取し、数日は逗留とうりゅうしてみると良いだろう』


 返答の下に、インクで書かれた詳細な地図が浮かび上がる。

 現在地に加えて方位と縮尺もしっかり記載されており、少し離れた場所にある街道を南下すれば、迷うことなく到着できるようになっていた。

 

 ちなみに、『魔石』とは魔物の心臓にあたる部分であり、魔力が生み出される結晶でもあった。

 魔物の種類によって異なる色に光り輝く魔石は、その性質から魔導具マジックアイテムの動力源となるのだ。

 騎士や冒険者達にとって、魔石とは倒した魔物の証明であり、同時に売り物にもなる重要な品と言ってもいいだろう。

 当然、ゴブリンのような極々小さいものからドラゴンのような巨大なものまで千差万別だった。

 その点に関しては、マオのいた『ゼアリム』と変わらないシステムらしい。


「分かった。サンキューな、カミさん」

『カ…………まぁいい。困ったことがあれば、また呼び出せ』

「うむ。ひとまずは妾に任せるが良い」

『頼んだぞ』


 あらかた地形を覚えると、便箋を虚空に収納するマオ。

 幼少(数百年前)の頃から夢物語で憧れていた外の世界。それがついに現実のものとなったのだ。

 むふむふと緩む頬を見ていれば、彼女の歓喜がどれほどのものか分かるだろう。

 

 何はともあれ、とりあえず向かう先は決まった。

 二十キロ程度の道のりであれば、ユウジとマオにとってジョギング程度でも十分とかかるまい。

 どんな町が待っているのだろうかとユウジが楽しみに思っていると、ロリータドレスのまま屈伸をする少女が視界に入った。


「さて。勝負といくぞ!」

「……は?」


 怪訝な顔をするユウジを置いて、マオは妙なテンションで細っこい首をコキコキと鳴らす。


「闇魔術の使用あり。武器の使用あり。身体制御魔術の使用あり。その他魔術の使用禁止。早く着いた方が酒を奢る。……これでどうじゃ?」


 要するに、マオは競争しようと言っているのだ。

 しかし、その条件では何が起こるか分かったものではない。


「いや闇と武器の使用可だと森林破壊になるから駄目だろ」

「むぅ。では、薙ぎ倒せる木々は三本までの制限をつけよう」

「じゃあ、魔術と剣撃に衝撃波も含めて三本以上消し飛ばしたら負けってことで」

「それで良いじゃろうな」

「それと、地面を削って街道を破壊しても、敵対生物以外を巻き添えにしても負けな。倒した魔物の魔石一個につき0.02秒短縮できるってことでどうよ」

「ぐぬ。注文の多いやつじゃな」

「どうせ金を稼がないといけないんだ。逆に減るような事態になっちゃ困る」

「宝石なら虚空に十万ほど寝かせておるが……」

「魔物の気配からしてゼアリムと大して変わらない世界だろうけど、別世界の物を換金して冒険は無粋だろ?」

「なるほど。一理ある」


 第三者が聞けばコイツらは一体何を言っているのだろうと一笑に付すことだろうが、あいにくこの二人は大マジだった。


 話している間に準備が整ったのだろう。

 ユウジは大気が揺らぐほどの濃密な気合を迸らせ、マオは川の流れの如き静かな魔力を纏って前方を見据える。


「いくぞ……」

「うむ……」



 目指すはエスベルクの町。




「「よーい…………ドンッ!」」




 二人の姿が消えた。




----------------------------------------------------




 エルシャ・ルーデラインは一流の商人であった。


 ヒュマリア王国だけでなく、ベルデット帝国を含む他国にも名を知られている商人は、彼女を含めて数人ほどしかいない。

 ヒュマリア王国貴族の次女として生まれたエルシャは十五歳になったときに商売を始め、英才教育の成果を発揮。日用雑貨を売ることで一日に白金貨一枚(日本円換算で十万円)ほどの個人収入を得ていた。

 

 彼女が大成した理由としては、卓越した商才に加え、道を歩けば多くの男が振り返るほどの美貌にあった。

 この世界の人間としては珍しく、毎日洗うことでサラサラになった黄金の髪。優しげな印象の整った顔立ちと、性欲を刺激する豊満な肉体。

 しかし、中身は狐のようにしたたかであり、自身の造形すら商品と切り捨てることができる女丈夫であった。

 商談成立のために身体をも差し出すシビアさには、どれだけの商人が舌を巻いたのか数え切れない。


「くっ! こんな所で盗賊に囲まれるなんて……」

 

 そうなれば当然、彼女は商品を守ることに妥協をしない。

 多少の損失に目を瞑っても、全体的なマイナスだけは何とか回避することは商人として当たり前であった。

 ゆえに日が落ちる直前であろうとも時間を優先し、高い金を払って護衛に守られつつ、エスベルクから王都ヒュマリアに無事帰るはずだった。


「面目ない……我々が不甲斐ないばかりに」

「あなたの責ではありません。まさか護衛が盗賊と繋がっていようとは誰が気付けましょうか」


 商品が詰まった幌馬車の中で身を隠しながら、御者台から降りた初老の従者と小声で会話するエルシャ。

 

 彼女は商売を終え、王都へ帰るためにCランク冒険者のパーティーを二組ほど雇っていたのだ。

 普通なら、多少なり大きな盗賊団に襲われたとしても問題ないほどの磐石な布陣。


 しかし、ツェスベルクを出て街道を北上し、山間部に入ったところでCランクパーティーの片方が造反。

 あらかじめ伏せていたらしい盗賊に合流され、前後を挟まれる形で奇襲を受けることとなったのである。


 これに対して後れをとりながらもエルシャ側は応戦。

 キンッキンッと外から剣戟の音が響き渡り、布や肉を切り裂くような不快な音色も徐々に混じるようになる。


「ひひっ! お前ら、でけぇところの商人だろ? 稼いでんなら、俺達にもちったぁいい思いさせてくれよ」

「しかも女が上玉ときたもんだ。ここで抱いておかねぇと男が廃るってもんだよ、なっ!」

「ぎぃっ! ぐあああぁっ!!」


 エルシャの味方は従者二人とCランク冒険者四人に対し、確認された敵影は最低でも三十以上。

 従者二人がBランク冒険者に匹敵する実力といえど、絶望的な戦力差であった。


「くそっ! 卑怯だぞ! 冒険者としての矜持は無いのか!?」

「矜持? んなもん、お前らを全員殺すか攫っちまえばギルドにだってバレねぇんだから、別にいいだろ」

「なっ!? くそっ! 離せっ!」


 敵の冒険者と言い合いをしていたCランクパーティーのリーダーが、後ろから近づいてくる盗賊に気付かず、羽交い絞めに拘束される。

 剣は取り落としていなかったが、それでも無防備であることに違いはない。


「おーおー。いい格好だなぁ。いかにも刺してくれって言ってるようなもんだよなぁ?」


 そう言って、羽交い絞めにされるまで剣戟を交わしていた男が、相手の左肩に剣を突き立てた。


「ぐぅっ!」


 革の鎧を着ていても結合部には丈夫な素材が使われておらず、敵はそこを突いてきたのだ。

 しかし、さすがはCランク冒険者であり、傷を負うことに慣れているためか小さく悲鳴を上げるだけに留めていた。

 

「ほぉ。やるねぇ。んじゃ、これはどうだぃ?」


 だが、肩口に進入した鉄が力づくで滑り、骨を無理やり捻じ曲げ、肉を引き千切り、四肢の一つがわずかな肉片を残して断たれ、胸を通って肺ごと心臓を潰すとなれば話は別である。


「ぎゃあああああぁぁっ! ぐぶっ……ぐうううぅぅ! ごぼっ! ごぶっ! がああああぁあぁぁ!!」


 肺から溢れ出た自らの血に溺れるという、正常な人間には聞くに堪えない叫びが響き渡る。

 その絶叫に混じってビチャビチャと血の花を咲かせる音、そして何か肉の塊が勢いよく落ちる音が続き、馬車に隠れているエルシャの脳を揺さぶった。

 

(わ、私は、こんなところで、終わって……)


 ガチガチと歯を鳴らし、迫りくる死神の鎌にエルシャは震える。

 

 怖い。怖い。怖い。

 いやだ。いやだ。いやだ。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。


 彼女の心は恐怖に支配されていた。

 もう何も見たくないと、頭を抱えてしまっていた。


 馬車の幌を切り裂く剣に気付かなかった。


「えっ!? きゃあああぁっ!!」


 夕日が差し込むと同時に腕が引っ張られ、馬車の外に力づくで放り投げられる。

 突然のことに反応すらできず、


「あぐっ!」


 受身も取れないままに身体を強打した。

 えづきながら起き上がったエルシャの瞳に映るのは、一面の赤。

 

 夕暮れの赤、血の赤、欲情の赤。


 先ほど雇った四人の冒険者は地に伏せ、虚ろな目には何一つ映ってなどいない。

 その傍らではエルシャの従者が盗賊に押さえつけられて暴力を受けている。

 嬲り殺すためなのか手足に攻撃が集中しているが、剣の腹や棍棒で肉を潰されているところを見るに長く保つはずがない。


「きひひっ! ほら、また一本イったな! 次は何処が折れるかな?」

「こっちは中身まで見えてるってのに悲鳴すらあげねぇぞ! 嬲りがいがあるぜ!」


 あれが、これからの自分の末路なのだ。


「あ……あっ……ああっ……」


 いや、楽に死ぬことができればいい方だろう。

 女であるエルシャは四肢を潰され、盗賊どもに昼も夜も輪姦されてから娼館に売られることになるかもしれない。

 最後は野獣の餌か、悪趣味な肉人形か。


「いや……いやよ……いやああああああぁぁっ!!」


 自分のすぐ傍にいた、おそらくエルシャを放り投げたであろう盗賊に向かって、がむしゃらに手を振り回す。

 が、所詮は机仕事が主である女の細腕。

 数人の盗賊に囲まれ、うつぶせに四肢を押さえつけられてしまっては髪を振り乱す以外の動きが封じられる。


 それでもエルシャは拒絶の悲鳴を上げ続けた。

 それが自分にできる精一杯の拒絶であるがゆえに。


「チッ……うるせぇな。おい、誰かコイツの腕を落とせ。反応がねぇのはつまらねぇが、ひとまずはアジトに運ぶぞ」

「やだっ! やだああああああぁぁぁぁ!!」


 涙でにじむ目線を上げると、そこには斧を振り上げる大男の姿。

 右腕か、左腕か。

 痛みに備えてエルシャが目を瞑った瞬間。






 一陣の風が通り抜けた。






「…………え?」


 予想していた痛みが来ない。

 もしかして、あまりの痛みに痛覚が麻痺してしまっているのだろうか。

 いや、両の指を動かしてみるが確かに土の感触が返ってくる。


 恐る恐る目を開けてみると、視界に入ってきたのは草臥くたびれた灰色のブーツ。

 そのまま目線を上に向ければ、そこには依然として斧を振り上げる大男の姿。


「ひっ!」


 先ほどとは何も変わっていない恐怖に小さく悲鳴をあげたエルシャ。


 そう。先ほどとは何も変わっていない。


「? なに……が……」


 その言葉が合図だったのかは分からない。


 ボトボトボトッ


 エルシャが言葉を紡いだ瞬間、目の前にいた男が、まるで達磨落としのように六つに切断された。

 ご丁寧にも断面が見える肉塊となって彼女の前に積み上げられたのだ。


「うっ……うぶっ!」


 エルシャは咄嗟に起き上がると口を押さえ、喉からこみ上げてくる苦い液体を必死に押さえ込む。

 ゆうに一分は可憐な唇を押さえつけていると、次の異常にも気が付くこととなった。


「あ、あれっ? 腕が……動く……」


 先ほどまで押さえつけられていた四肢は何者にも阻害されていない。

 辺りを見回してみれば、押さえつけていた四人どころか、エルシャ達を襲っていた盗賊の半分ほどが肉塊になって転がされている。


 では、もう半分はどうなっていたか。


 エルシャは虎皮の絨毯じゅうたんを見たことがあった。

 ふわふわの皮は手触りが心地よく、赤い絹糸で囲まれたそれは白金貨三枚もの値段がついていたはずだ。


 だが、視線の先にある絨毯を買ってくれる客は少ないだろう。

 



 皮は人間のものであり、囲っている紅はその人間の血なのだから。





 街道には深紅の絨毯が数枚ほど敷かれ、脇の木々には何かに激突して手足が千切れ飛んだ死体、頭部だけが綺麗に消え去った死体も転がっている。


 目を背けたくなるほどの死体に共通していることは、先ほどまでエルシャ達を襲っていた者であるということだった。

 そして同時に、息がある者はエルシャと従者だけになっていた。



「た……助かった、の?」



 答える音は何もない。

 座り込みながら呆然とする美女の脇を、先ほどとは違う冷たい風が通り過ぎていった。




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