ぷろろーぐ
がんばります。
ヒュッと空気を切り裂く鋭い音が、薄暗い森に鳴り響く。
それは鬱蒼と生い茂る葉の囀りにかき消されず、数本の幹を二つに分かつほどに勢いをつけて木立の間を駆け巡った。
「ほっ!」
数瞬して気の抜けた声も過ぎ去った後は、ズズンッと音を立てて木々が倒れ、森の中に突如として開けた円形の広場が作られた。
その中心には一人の少年の姿。
年の程は十七か十八といったところだろうか。
黒髪に黒い瞳。華奢でも筋肉質でもない中背中肉。美形でなければ不細工でもない。
服装は、黄色のシャツと青いジーンズに茶色のブーツ。
日本であればどこにでもいそうな、極めて一般的な少年だった。
「相変わらずアホみたいに斬れるな、これ」
が、その手には平和な日本にまるで似合わないもの、抜き身の日本刀が携えられていた。
深紅の柄に黄金色の鍔、そして何よりも目立つは鈍色に光る刃。
刀を右手に握って残心をとる姿は、木々を刈り、円形の広場を作った者がその少年であることを何よりも物語っていたと言えよう。
しかも、その表面にはヌラヌラと緑色に光る液体が付着していた。
もしこの光景を見た日本人がいたならば、二進数で構成された番号へ早急に電話をかけ、公的権力ポリスメンの召喚を行っていたことだろう。
だが、この森に少年を除く人間はいない。
弱い人間の存在は許されない。
「ふぅ。何はともあれ、これで終わりかな?」
溜息に反して少年は息一つ乱れておらず、刀を振って液体を飛ばす。
彼の足元には数十人、いや数十体と表すべきだろうか。緑色の小人が横たわっていた。
小人は一切の例外なく胸が抉られており、刃物で斬られたような傷もいくつかあった。
ゲームをする人にはお馴染みであろう、そのモノを形容する言葉は一つ。
ゴブリン。
ここが日本ではない、有り体に表しても異世界と呼ぶべき場所であることは明白だった。
木々が倒れて見えるようになった夕暮れに太陽が二つ浮かんでいることも、異世界である信憑性に拍車をかけている。
「さて。マオを待たせないよう、早めに帰るか……」
腰に挿した漆塗りの鞘に日本刀を納めると、彼は少し前の出来事に思いをはせていた。
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薄暗い廊下に聳え立つ大きな石造りの扉。
その前に少年の姿はあった。
「ここが玉座の間、か」
彼がいる場所は魔境と言われる、魔族が暮らす地の最果て。
よく言えば年季の入った、悪く言えば風化して朽ちかけている西洋風の城にいた。
荘厳な雰囲気を放つ石造りの城内は所々に設置されている松明で照らされ、霊能力者が来ようものなら裸足で逃げ出すような空気を纏っている。
もっとも、その城には霊どころか悪の元締めである魔王が住んでいるのだが。
「勇者として異世界に召喚されて一ヶ月ちょっと。意外に短かったな……」
一ヶ月前、日本に住んでいた彼は高校から帰宅し、自室に戻って布団へ横になった途端、白い光に包まれた。
光が収まると、視界に入ってきた光景は石造りの壁に赤い絨毯と、ローブを着た数人。そして大きな玉座に座るハゲ王様。
超ファンタジー的王道展開の勇者召喚というやつだ。
悪い魔王がいるから倒してくれと懇願され、王宮で数週間ほど滞在した少年は魔王城に特攻した。
普通であれば、冒険者となって魔物討伐で実績を上げ、仲間を募り、魔法の修行をして、なんやかんやといった手間がかかるのがこのパターンの常である。
が、少年には4つの固有能力があった。いわゆるユニークスキルというやつだ。
【神域覇卿】:全次元におけるすべての武芸を扱うことができる
【救世真撃】:勇者専用の雷属性攻撃を扱うことができる
【究極地導】:無限の体力を得る
【魔撃無効】:自身に対する魔術攻撃すべてを無効化する
異世界召喚されたと思ったら、初っ端からチートじみた固有能力が備わっていたのである。
彼とて平凡な少年であり、厨二病卒業しかけのお年頃である。魔法ありモンスターありの世界に召喚され、どこぞの空母の如くさすがに気分が高揚しなかったわけではない。
新幹線並みの速度で地面や海面を削りながら大陸を駆けめぐって何本も街道を新設し、王様から譲り受けたどう見ても日本刀である剣を振り回してモンスターごと山脈を斬ってしまい、雷をぶっ放して魔物の大群ついでに湖を丸ごと蒸発させて魚の干物を大量生産したのである。
当然ながら王様その他関係各所からこっぴどく怒られることとなったが、意図して人間の死者は出さなかった為に「てへぺろ」で済んでいた。
そうして色々あった一ヶ月で手加減やサバイバル生活の基本を覚え、少年は人族の首都から魔族の首都にある魔王城までの数千キロを、文字通り直線距離で進んできたのである。
ちなみに仲間に関しては完全に足手まといであり、それどころか山脈切断事件を聞いた王様から「実はお前が魔王じゃね?」といった視線を飛ばされたこともあって、いろいろな意味で仲間はいない。
「人は第一印象で八割方決まってしまうという。迂闊なことは出来ないな……」
道中で大量に斬り捨てたモンスターの数に反して魔王城には敵の影もなく、王室の扉前で真剣に考え込む少年。
ゆうに三分は思案にふけり、ふと【虚空収納】の汎用スキルを発動する。いわゆるアイテムボックスである。
目の前に現れた掌大の白いモヤに腕を突っ込んで中をまさぐると、王様から渡された銀色の甲冑、薬を入れるための黒い印籠、白い皮の手袋を取り出す。
「うわ。重い」
甲冑を身につけ、黒い印籠を左手に持ち、右手に白い手袋を握る。
(前口上は「やあやあ我こそは控えおろう」で、手袋を思いっきり投げつける。……よし、これで行くか)
三分間考えた末に出る案としては極めてくだらないうえ和洋どころか時代すらチャンポンされた名乗りだが、本人は至って真剣である。
遠く離れた王宮にいる王様も、まさか自らが与えた伝来の甲冑が第一印象のためだけに使われるとは思いもよらないことだっただろう。
念入りに愛の字を掲げた兜まで着けると、準備が整った少年は鼻息を荒げる。
そして、扉を思い切り押し開けるために両手へ体重をかけた瞬間、
「遅いわ! 早く入って来ぬか!!」
扉が消えた。
「え?」
さすがに予想外だったらしく、いきなり支えを失った少年は前方に倒れこんで兜の中で鼻を強打し、印籠は鎧の下敷きになって潰れ、手袋はどこか彼方へ飛んで行った。この光景を王様が見ていたら、間違いなく「ざまぁ」とほくそ笑んでいたことだろう。
「ん? お主、どうかしたか?」
「い、いや、なんでもない。気にしないでくれ……」
うつぶせのまま、鼻の痛みに耐えながら顔だけを上げる。
風化してボロボロになった石造りの壁に、虫食いだらけで煤けた茶色の絨毯が扉から玉座まで続いていた。
人間の王宮と似たような構造ではあったが、当然ながら玉座に座っている者は……。
「お前が魔王か!」
「いかにも。わら……じゃなかった、ワシが魔王じゃ。お主は勇者じゃな?」
「あ、ああ。そうだ」
上半身裸に、筋骨隆々で紫色の肌。背丈は三メートルほどもありそうな大柄の男。後ろに撫でつけた、年齢を感じさせない若々しい赤色の髪。腰下に漆黒の具足をつけてマントを着た姿を見れば、十中八九で魔王だと分かる。
魔王以外が玉座にいてもそれはそれで問題なので、実質百パーセント魔王成分配合である。混ざってないじゃん。
「……お前一人か?」
「お主こそ」
少年は甲冑を【虚空収納】に放り込みながら立ち上がり、魔王に視線を向けたまま眉をひそめる。
玉座の間は魔王が一人だけで、よくありがちな側近の姿もない。
「部下がおったとしても、わら……ワシとお主の戦いでは邪魔にしかならんのでな。城の外に全員逃がしておるよ」
「なるほど、奇遇だな。俺もだ」
「ぼっちなのじゃな」
「お前も似たようなものだろ」
軽口を叩き合いながら、二人の気迫が膨れ上がっていく。
勇者と魔王の戦いが避けられない宿命であることは、両者とも本能的に分かっていた。
壁面からはパラパラと石の破片が降り注ぎ、地面からはびりびりと地鳴りが巻き起こる。
それが最高潮になった瞬間。
「でりゃあっ!」
少年が腰に添えた左手の【虚空収納】から右手を振り抜くと、居合いの要領で放たれた日本刀の衝撃波が迸る。
それは古の剣豪が編み出したとされる秘技で【飛燕】と呼ばれ、少年が数峰連なる山脈を斬った技でもあった。
キイイイイィィィィン!!
裂帛の気力を内包した燕は、人間としての限界点から生み出される身体制御術で風切り音を纏い、手加減なしで魔王へと飛翔する。もしも命中すれば込められた気力が爆発し、山を消し飛ばし森を更地に変えて地図を書き直させるほどの甚大な被害をもたらすものであった。
当然ながら魔王も黙って見ていたわけではない。
少年が【飛燕】を放つと同時に魔王も動いていた。
『ヘリオス・トルネード!』
神話級風属性魔術【ヘリオス・トルネード】を発動。
地球のアメリカでも滅多に発生しないF6クラス竜巻、数百メートル規模ですらトラックや家屋が引き千切られて舞い上がるほどの暴風を、これでもかと数メートルサイズにまで圧縮し、呪文詠唱なしで撃ち放つ。
ゴオオオオォォォォッ!!
さすがは魔王というべきか、風属性に加えて火属性も混じった極小竜巻が少年を襲う。もしも命中すれば込められた風の刃と炎の渦が荒れ狂い、対象を内部からズタズタに切り裂くどころか周囲一帯の建造物を倒壊させるほどの未曾有の事態を引き起こすものであった。
それら二つの災厄が互いへと迫り、
「嘘だろ……」
「嘘じゃろ……」
斬撃の燕と破壊の風は、相手へ触れた途端にあっけなく消失した。
だが、呆然としている暇は二人にはない。
このときになって初めて、勇者と魔王は気がついた。
実力で並ぶ者がいなかったため、二人には今までその自覚がなかった。
事も無げに魔物を狩ることができる勇者。
事も無げに人間を殺すことができる魔王。
山を斬り崩し湖を蒸発させる人間など他にいない勇者。
膨大な魔力の鎧で他の魔物では傷ひとつつかない魔王。
初めて出会う、お互いを殺すことのできる者。
「くそっ!」
「ぐぬっ!」
その自覚ができてしまえば、あとは最大戦力をぶつけ合うのみ。
今まで味わったことのない死の恐怖が互いを襲うのも無理からぬことであった。
『ディオネ・メテオフォールッ!』
屋内で見えない場所、上空から轟轟と音を立てて何かが接近していることに少年が気づく。
「やべっ!」
咄嗟に石造りの天井ヘ向かって左拳でアッパーカットを放つと、そこから発生した衝撃波が天井を破壊し、さらにはすぐ頭上へ迫っていた魔王城と同サイズの隕石を粉々に打ち砕いた。
赤熱して光を放つ隕石自体は魔力で構成されていたらしく、本体がないために星屑のような光となって霧散する。
もしも、近くにあった岩山を降らせるなどして本体のある巨岩を魔術で操っていれば、【魔撃無効】だけでは防ぎきれない。万が一のために破壊しておく必要があったのだ。
が、予想よりもはるかに巨大だった隕石を見た少年は顔を青くする。
「お前、化け物かよ……」
「素手で天井ごと割ったお主に言われたくはないんじゃが、なッ!」
言い終わると同時に魔王が立ち上がり、今しがた自身が座っていた巨大な玉座を投擲する。
片手で。
「いやそれ投げるもんじゃねぇからな!?」
大理石で作られた玉座が亜音速で当たってしまえば、常人なら即死。
かすったとしても風圧で四肢をもがれるほどの威力。
椅子から発生したソニックブームで地面が削り取られるともなれば、それは一目瞭然であった。
相手が常人なら、ではあるが。
『迅雷百条ッ!』
少年は雷属性攻撃【迅雷】を発動。
左の掌から幾重もの紫電が迸り、秒速三百四十メートルで飛翔した椅子をはるかに上回る秒速二百キロメートルという桁違いの速度でぶつかり合う。
ガアアアァンッ!
「アホみたいな威力の魔術に加えて片手で投げた椅子の衝撃波で地面が割れるとか冗談かよ!?」
「馬鹿げた威力の体術に加えて呪文詠唱無しで複数発動の雷撃魔術が使えるとか冗談じゃろ!?」
「誰がバカだコラァ!」
「お主こそ妾を阿呆と評したじゃろうにぃ!」
互いに怪獣大決戦のような技を繰り出しながらの死闘。
幼稚な舌戦も混じってきた戦いは、三日ほど続くことになった。
三日後の夕刻。
「ふはははは! 次の手番で、ちぇっくめいとは免れぬぞ?」
「残念。スリーフォールドレピテイションだ」
「ほあっ!?」
さらにボロボロになった城内の応接室。
向かい合わせに設置されたソファーの間には石造りのテーブル、そしてその上にはチェス盤が置かれている。
駒が並ぶ盤上では、スリーフォールドレピテイションと呼ばれる千日手、いわゆる引き分けの様相を呈していた。
「……また引き分けじゃな」
「食べ比べはゼロコンマ一秒単位で同時に完食。じゃんけんで百回連続あいこ。すごろくに至っては何故か同着一位になったからな。そういう呪いでも掛かってるんじゃないのか俺達」
「それは無い……と思いたいのじゃが、もしかしたらそうなのかもしれん」
「俺が唯一負けてんのは、このワインくらいだ。こんな高級なモンを敵に飲ませてやってもいいのか? 寝床も世話になったし……」
「良いぞ良いぞ。ワシもこの、だんしゃく、ちっぷす? とやらを分けてもらったのでな。おあいこじゃの」
最初の局地戦争はどこへやら。
殴り合いをしても互いが互いで決定打を与えられないまま丸一日が経過したあたりで、別なことで白黒つけようと両者共に提案したことがあった。
その結果、ワインを片手にポテチを摘みながらボードゲームをするといった、極めて平和な光景が繰り広げられていた。
「どうあがいても勝負がつきそうに無いぞコレ。帰ったら王様に何て言えばいいんだよ……」
少年はゲームをする際に塩分がつかないようポテチを箸で食べる派だったが、決着がついてしまえばちまちまと食べることも無い。
どうしたものかと頭を抱えながら、ポテチを数切れほど掴み取って口に放り込んだ。
魔王を倒すことができなければ勝つこともできず、かといって負けもしないのだ。
一応ながら数日間は王から世話してもらった身であるため、帰還時の報告に多少の罪悪感が無いわけでもない。
「むぅ……。もう帰ってしまうのか?」
そんな少年の姿に、魔王が寂しそうな顔をする。
それが少女や小動物なら心を揺さぶったであろうが、あいにく目の前にある姿は筋骨隆々の巨漢。
「男が目をウルウルさせても気色悪いだけだぞ」
「誰がっ! ……まぁ良いか。三日もこの格好は少々窮屈じゃったのでな」
そう言って、魔王はパチンッと指を鳴らす。
その瞬間、漆黒の鎧から紫色の煙が飛び出してきたのでギョッとしたが、特に悪意は感じられず、一応念のためにポテチの皿付近を適当に手で仰ぐ。
「警戒するな。元の姿に戻るだけじゃ」
「いや、敵意が無いのは知ってたけど、いき……な……り……」
手を振って紫の煙を追い払うと、筋肉達磨が存在したはずのソファーには一人の少女が座っていた。
外見は、どんなに多く見積もっても中学一年生と言ったところ。
病気ではないかと見紛うほどの白い肌に、腰まである輝くような銀髪。そして何よりも目立つルビーの瞳は、万物を魅了するほどの妖艶な光を放っている。
小さな鼻筋と薄い桜色の唇から視線を下に滑らせていけば、起伏の少ない身体を包み込むものはゴシックロリータ調の黒いドレスと黒い皮のブーツ。
モノクロのコントラストに彩られた少女がワイングラスを傾ける光景は、一流の画家であれば即座に描き残すほど、非常に様になっていてた。
辺りを漂う不思議な魅力に中てられて少年の動きが一瞬止まったことは無理からぬことだろう。
その整った容姿は、十人中十人が見惚れるほどの美少女、いや、
「美幼女か!」
「誰が幼女じゃ!」
十人中百人が幼女と評するだろう彼女は、いつの間にか手に持っていた紙製ハリセンでスパアアアァン!と対面の顎をカチ上げる。
ハリセンを見て脳天をガードした少年は、予想外の所から一撃を受け、そのままバク宙の要領で空中を一回転してから再びソファーへ沈み込む。
一応加減したのか、少年が着地した時には肉体的な衝撃よりも精神的な衝撃が勝っていた。が、加減したと言っても常人ではハリセンの衝撃だけで首が吹き飛び、瞬時に壁のシミと化すほどの即死級威力である。
「だ、だって、どう見てもロリ……」
「妾はこう見えて815歳じゃ!」
「マジで!?」
鈴を転がしたような可愛らしい声で、驚愕の事実を告げる幼女。
昔、友人から借りたお子様お断りゲームで、ヒロインの年齢を下二桁だけ常識的な数値にすることによって合法ロリババアといちゃいちゃするシーンがあったなぁと、少年はテーブルのワイングラスを取って遠い目をしていた。
ちなみに、彼がババアと思った辺りで野球バットスイングのハリセンが頬を張り飛ばし、鮮血ならぬ鮮酒の花が咲いた。
「じゃあ、何で今まではあの筋肉達磨だったんだよ」
「あれは妾の魔王一族に伝わる幻術でな。能力そのままに見た目を変化させ、下々の魔族から嘗められないようにするためのものじゃ。周囲一帯に魔族はおらぬし、お主は妾の実力を知ったゆえに解いても問題はない」
【虚空収納】から取り出した布でワインを拭き取りながら聞けば、幼女魔王がすぐに返答する。
幻術によって一定の威厳ある外見を保てば、代替わりの老衰や幼少でもつけいられることがなくなる。
加えて、自身の魔力を大きく上回る実力者相手でなければ見破ることもできず、この世界で魔王を越える者など存在しないため、実質的に最高の詐称魔術と言えよう。
「寿命が長すぎると成長が遅くての。妾のような見た目じゃと従わぬ配下もおる。内乱を防ぐために殺すことは簡単じゃが、威信に代用は利かぬのでな」
「苦労しているんだな、お前」
「マオでよいぞ、勇者。今は亡き先代から頂いた名じゃよ……」
「ユウジでいい、マオ。俺も、もう両親には会えない身だ……」
ユウジとマオ。
互いが互いに安直過ぎるだろうと思いはしたが、それを口に出すほど野暮ではない。
召喚されて帰るすべが無い勇者に、寿命が長いため孤独も長い魔王。
名付けた者が手の届かないところへ行ったともなれば、心中察するに余りあったのだ。
少しだけ重くなった空気を入れ替えるため、少年勇者改めユウジが話題の変換を図る。
「名前はいいとしても、幻術とか俺に教えてよかったのか? 仮にも勇者なんだが」
「これは異な事を聞くのじゃな。魔王の城で寛いでおる者の発言とは思えぬ」
「いや、まぁ、そうなんだが……」
ユウジは一ヶ月前まで一般人であったため、拳を交わせば相手の気持ちが分かるなどといった能力は特に無い。
しかし、矛を収めている理由には確信めいた直感があった。
マオは人間を滅ぼそうとは考えていない。
それどころか敵とすら認識していない。
魔族であるか人間であるかに関らず矛を向けた者を倒すだけで、それ以外は知ったことではない。
人間がやっている事とまったく同じなのだ。
ユウジ自身が地球で育ってきたこともあって、勇者伝説のセオリー『魔王は人間を滅ぼす者』といった先入観。王様から魔族や魔物の被害が相次いでいるとの報告。
この二つから判断されることで、ユウジの中で『魔王=悪』の図式が勝手に組みあがっていたのである。
それが、いざ親玉の居城に来てみれば、魔王は火力特化で勝負大好き魔法バカ(ただし銀髪のじゃロリババア)。
人間を襲う魔物について聞いてみても、
「人間も、豚や牛を食料にして生活するじゃろ。魔物や魔族も同じじゃ」
ごもっともな言葉が返ってきたのでぐうの音も出ず、ユウジはソファーに深く座り込む。
「力が無い者は殺されて食われる。自然の摂理以外の何物でもないからの。まさか、牛が食べないでくれと懇願すればお主らは屠殺を止めるのか? 魚を食べた同族を罰することができるのか?」
確かに、魔族や魔物の中には殺し自体を楽しむ者もいる。
ユウジが王様から見せられたものには、幾片もの肉に分かたれた死体、全身の皮膚だけを削ぎ落とされてなお生きている人体があった。
しかし、それは人間の犯罪者も同様で、過去には硫酸で溶かすなどと似たようなことを行っていたし、さらに上を見れば残虐性にキリが無い。
「人間も魔族も動物も、結局はそれぞれが個なのじゃ。意思疎通ができる者で集まり、健康で、文化的で、最低限度の生活を営むために互いが歩み寄らねば、食うも食われるも問題など無い。その理想を叶える為には、妾でも気の遠くなるような時が必要じゃろうな」
さすが八百歳。可憐な唇をワインで湿らせながら紡ぐ言葉には含蓄があった。
彼女は、人間最高戦力の勇者が魔王と互角である限り、この現状は変えられないことであると物語っていた。
そして同時に、勇者と魔王が歩み寄ればもしかして……とも。
だが、二人はソレを明示しない。
あえて二人は気付かない振りをする。
ソレが真の夢物語であると分かっている故に。
「とりあえず、マオを論破できないってことだけは分かったよ」
「ふふふ。これでも長いこと生きているからの」
「まぁ、そうだな。なんたって800歳のバ「つぇいっ!」ごぉっ!?」
再びどこからともなく、おそらくはマオ自身の汎用スキル【虚空収納】からだろう。銀髪を翻しながらハリセンを取り出すと、それを逆さに持ち、テープの代わりに革が巻かれた地味に硬い持ち手の部分で突く。
まさかハリセンで突き技が来るとは予想ができなかったのか、喉でモロに喰らったユウジはソファーごとひっくり返った。
「わ、悪かったって!」
「ふんっ。妾でも分からないことのほうが多いのじゃぞ」
「バ……長く生きててもか?」
腹筋を利用してソファーごと起き上がると、ユウジは疑問符を浮かべる。
魔王城ともなれば書庫のような施設が存在するだろうし、周辺国や金銀財宝の情報など腐るほどあると思っていたのだ。
「どこそこに迷宮が発生した、こんな魔導具を開発した、という報告は聞くのじゃ。でも、実際に現地に行かせてもらえたり、魔導具に触れるなどはさせてもらえないのじゃよ」
「そりゃそうだろうな……」
まさか魔王をパシらせたり実験に付き合わせるなどするはずもない。
さらに言えば、マオ自身は魔族でも他の追随を許さないほどの頂点に立っているので、いまさら魔導具を使って戦力を向上するといったことも不要であった。
「うむ。知識はあるが、実際に何かを行ったり触ったりといった経験則が皆無でな。妾がすることは、もっぱら書類に判子を押すだけなのじゃ」
マオはハリセンついでにチェス盤も収納し、代わりに香ばしい匂いを振りまくステーキプレートとパンのバスケットを虚空から引っ張り出してテーブルに並べる。
虚空に収納されている品は時間の流れが停止するため、厚めに切られた肉からは脂が滴ってジュウジュウと音を立て、バスケットに入った白パンは柔らかく焼き上げられて温かいままである。
「ふふ。ユウジが来てくれたおかげで、部下を退避させる口実ができたのでな。普段はできぬ料理や洗濯をさせてもらえて感謝しとるのじゃぞ?」
「え。あー。うん。どうも……」
まるで一人暮らしを始めた大学生のような魔王様であった。
部下の魔族から「魔王様! そんな下女の真似などおやめください!」と筋肉達磨が諌められる光景は予想できたが、まさか自身が殺しに来たことで礼を言われるとは思わず、ユウジは何ともいえない表情で苦笑いを浮かべる。
「もうそろそろ日も落ちる。夕餉にしようぞ」
「そうだな。……どのステーキソースにする?」
異世界召喚される前はユウジ自身が料理好きだったこともあり、異世界でも再現が難しくなかった各種調味料は魔王様に大好評であった。
ソースの小瓶をいくつか虚空から取り出し、ついでに産地(も含めて丸ごと)直葬の干物を食卓に並べる。
「ふむ。では、その、でみぐらす、とやらを頂こうかの」
「これだな。俺はオニオルで」
「むむっ。それも旨そうじゃな……」
「半分に切ってかければいいだろ」
「おおっ! ユウジは天才じゃな!」
玉ねぎのソースを射殺さんばかりに睨むマオへ一言物申せば、青天の霹靂であるが如くパァッと笑顔の花を咲かせた。
ユウジは知る由も無いことだったが、魔王としての普段の食事は、厨房担当によって味付けを完璧に統一したうえで供されていた。さらに、文明が地球ほど発達していない異世界では調味料の種類が少なく、好きなものは食べられるのだが味自体を好きにして食べるといった経験が皆無であり、それがマオの表情を明るくする要因だった。
小さなほっぺにソースをつけ、はぐはぐと幸せそうに料理を噛み締める姿は、もし見る者がいればその全てを微笑ませただろう。
ちなみに、数時間前まではガツガツといった表現が正しく、しかもソースを頬につけた筋肉達磨は可愛らしいではなくおぞましいと評すべきだったか。紅茶を飲む際に至っては「こくこく」ではなく「ゴッキュゴッキュ!」であったため、幻術というものは恐ろしいとユウジが認識するに相成った。
「美味い紅茶を淹れるものじゃな。…………ずっと、お主がいてくれればよいのに」
「いきなりどうした?」
ソファーで食後茶を飲んでいると、対面に座ったマオの口から寂しそうな声が滑り落ちる。
彼女は瞳を伏せ、ブーツを履いた脚を退屈そうにぷらぷらと揺すっていた。
ワイバーンのミニチュアぬいぐるみを腕の中で抱きしめる姿は、可愛らしくも儚げだ。
「……妾は長年生きておるが、どうしても精神が身体の方に引っ張られることが多くてな。外見相応の気持ちに揺り動かされることが多いのじゃ」
「ほぅ」
マオの言っている意味が良く分からず、ユウジは静かに紅茶を飲んで先を促す。
「自分で言うのも何じゃが、妾は能力的に並ぶ者がおらなんだ。ゆえに、先代以外と遊戯に興じたり、夕餉を供にしたり、本気で魔術を競い合ったりといった経験が無くての。その、あー、なんじゃ、うむむむ……」
雪のように白い肌のうち、耳だけをほんのりと赤く染めたマオ。
要するに、彼女は寂しかったのだ。
全力の魔術を放っても消し飛ばなかった。
全力で殴っても尽く雷に防がれた。
手加減されることなく遊ぶことができた。
ただ漫然と無駄話に興じることができた。
美味しいご飯を一緒に食べることができた。
やっと見つけた、自身に並び得る者だった。
両親が亡くなってから数百年で初めて、次の日が楽しみだった。
「ユウジ、妾の下に……いや、妾と共に暮らさぬか? 望むものは何でも渡そう。金子が欲しければ鉱山を贈ろう。住処が欲しければ城を建てよう。女が欲しければ淫魔を千ほど宛がおう。だから、だから……」
どうか妾の傍にいてくれ。
唇からこぼれなかった言葉は、あるはずのない懇願の色をにじませながら、しかし確かにユウジの耳へと届いた。
「…………」
ユウジは渋面を作り、その問いに答えない。
答えられない。
彼とて、マオの傍にいることで不快感を感じていたわけではない。
何者にも平等で寂しがりやの少女を見捨てておけるほど、彼は大人になりきれていなかった。
だが、ユウジは多少ながらも責任感の強い人間であり、人族の勇者としての役割を担っている。
共に暮らすと言っても、それは実質魔王のもとに下るということで、ユウジの行動が人々に与える影響力は計り知れないのだ。
迷宮を守護する兵士が怯え、国に属する騎士団の士気が軒並み低下するとあれば、魔族や魔物によって何人の死者が出るか分かったものではない。
それでも、彼女が提示した条件の中に対等な関係を結ぶ旨があれば、ユウジの表情がほんの少しだけ和らいだことだろう。
しかし、マオが挙げた贈り物に『同列の冠位』を含まなかったことは、彼女自身もまた、体面上だけでも魔の王として魔族を守るため、唯一無双の強者であろうとしたゆえであった。
「そう……か……」
マオの表情がさらに曇る。
色よい返事など貰えないであろうことは分かっていた。
それでも、ほんの少しでも期待が無かったわけではない。
(いや、ここで頷くような男が妾に比肩し得るはずもないか……)
紅茶から立ち上る湯気を見ながら、マオは溜息をついてソファーに身を沈める。
聡明な彼女にとり、これからユウジがとる行動は見当がつく。
魔王討伐は失敗なれど、国に帰って魔王と同等の力を持つことが周辺各国に知れ渡れば、ひとまず魔族と人族の衝突といった事態は回避できる。
各地で起こる小競り合いが魔族優勢だった事実はひとえに魔王という存在があり、比肩しうる勇者が認知されることによって五分五分の様相を呈することだろう。
そして、お互いの勢力が軍備増強を図るために一時の安らぎを得た後、種の存亡をかけた総力戦が巻き起こることになる。
それまでマオは側近に守られ、城で判を押すだけの退屈な日々。
今までと何も変わらない、鳥かごの雀。
片やユウジは世界を巡り、陸を駆け、海を渡り、空を仰ぎ、同族を助け、迷宮にもぐり、様々な出会いを生むことだろう。
マオとは正反対の、大空を飛び発つ鎖無き鷲。
それは、ほんの少しの不満。
それは、ほんの少しの嫉妬。
それは、ほんの少しの慟哭。
それは、ほんの少しの願望。
「妾も、冒険、したい……」
その時だった。
『その願い、叶えましょう』
二人しかいないはずの部屋に、第三者の音が響く。
姿無き声は昼よりも明るく、闇夜よりも暗く、火炎よりも熱く、氷雪よりも冷たく木霊する。
「「誰だっ!?」」
その気になれば半径数十キロメートルに渡って生物を感知できるユウジ。
その気になれば半径数十キロメートルに渡って魔力を感知できるマオ。
異世界最高クラスの戦力である二人ですら、毛ほども気付くことのできない気配。
足元にソレが発現した瞬間、彼らは近場から順々に感知範囲を広げ、今や遥か遠方を探査していたため気付くのが遅れた。
それでも、ソレへ先に気付いたのは魔力の扱いに秀でたマオであった。
「ユウジ! 転移魔法陣じゃ!」
「何だと!?」
すぐさま視線を落としたユウジが見たものは、複雑な幾何学模様で描かれた円形の魔法陣。
魔法陣を見た瞬間、マオは卓越した魔術知識で確信し、ユウジは確証が無いながらも直感する。
この魔法からは逃げ切れない。
ユウジの固有能力【魔撃無効】は攻撃魔術のみを無効化し、転移系などの補助術式までは作用しない。
マオにしても気付くのが遅れたため、足元に広がる魔法陣を術式解体するよりも発動のほうが数瞬ほど早い。
不覚をとった二人の視界が白く染め上げられていく。
白く――――――――――
白く――――――――
白く――――――
白く――――
白く――
白く
今日中にもう一つ投稿します。