俺は先生に感嘆する
「さて……、私が聞いていた状況と違うが? 径条?」
綴世先生は『俺と榊』対『阿澄』という構図のこの状況を認識した後、斜め後ろにいる先生を呼んできた男子生徒に声をかける。径条と呼ばれた、前髪の中心部分だけをかきあげた髪型をしている、男子生徒は品の良さを感じさせる挙動で、少しだけ困ったように笑みを浮かべ肩を竦める。
「さぁ?僕が先生を呼びにいったときは杯さんは入っていなかったんですけどね」
彼は榊の方を見て困ったような笑みから苦笑に切り替える。まるで、その行動は予想していなかったとでも言いたいかのようだ。そうした後、阿澄の方を見た彼は、薄暗い笑みを浮かべる。陰が差しているとでもいうべきだろうか、その笑みは友好的なものではなく、敵対的なものであった。そして、彼の視線は阿澄から、先生の登場によって完全に立ち上がるタイミングを逃した、腰に行き場のない力を蓄えている俺へと移る。彼は、再び笑顔を塗り替えて今度は穏和な笑みを浮かべる。
……お前の表情筋を俺に少し分けてくれないか? 今見ただけでも、笑顔のバリエーションが4つ。4つですよ。俺なんて、笑顔を浮かべようとしたら、どうしてそんなにひきつってるの?って聞かれるレベルでしか表情筋が仕事しないのに。
俺は彼を知らないが、彼は俺を知っているのかも知れない。なんせ、年がら年中榊と一緒だからな。学年有数の才女である榊の側にいる、男子にとって邪魔な存在。それが俺である。
「はぁ…。では、簪、何故こうなったのか二十文字文字以内で答えてもらえるか?」
「…阿澄が俺に喧嘩を売ってきたのを榊が庇って」
「漢字含めてピッタリ二十文字か。無駄に優秀だな」
一言余計ではあるが、事実俺はそれなりには優秀である。もっとも、本当に優秀な人間ならば、平仮名で二十文字以内に抑えるのだろうが。俺は後ろの人の良さそうな少年へと向けていた意識を、阿澄と榊の方へと向ける。阿澄は、先程から罰の悪そうな顔をしている。自分が風紀委員長の肩書きを使って、他人を粛清をしていたのがばれたから、だと思う。
綴世先生もまた俺から、阿澄の方へと顔を向ける。
「で、阿澄、今の言葉に嘘はあるか?」
「……先に光輝、いえ幸崎君を睨んでいたのは簪君の方です」
「……それは、本当か?簪」
「はい、阿澄の言ったことも全て真実です」
俺の言葉を聞いた先生は天を仰ぎ、目を手で覆い被し、心底めんどくさそうにため息をついた。
実際、高校生の喧嘩に教師が仲裁に入ることは余りない。酷ければ、そりゃ入るだろうが、今回のような場合は双方を注意、あるいは男子と女子であるということを省みて、俺だけに忠告を与えるとか――ま、色々あるだろうが、共通して言えることは、軽く流すということだ。しかしながら、綴世月夜はそれをしようとはしない。双方の言い分を聞いてから、処罰を言い渡す。いい加減な喧嘩の場合は、対応もおざなりであることも多いが、今回のような譲れない戦いのような雰囲気の場合、綴世月夜はそれを読み取り、真摯に対応する。ここだけを見れば非常にいい先生で、人気があるのも当然だと言える。先生が結婚できないのは、十中八九、先生の私生活が問題なのだろう。
「……ここで話す内容ではないな。三人とも、放課後に職員室に来なさい」
そういって、綴世先生は去って行った。恐らく、阿澄に気を使ってだろう。どちらが悪かろうと、両者の都合を考えて動くことが出来るのも、綴世先生の魅力であろう。
放課後。
俺は榊を連れて、職員室前に立っていた。
阿澄は、ここに来る前に幸崎と話しているのを見た。先に帰っていろとでも言ったのだろう。全く、自分の取り巻きぐらい、自分で面倒を観て欲しいものだ。因みに今日は部活は休むことにした。楔もなんか同情してくれたし。大丈夫だろう。
「……む、来たか。……ち」
阿澄が到着するのを待っていると、綴世先生は職員室から出てくる。榊は俺の右腕に抱きついている。しかもその表情が微妙に笑顔だから腹立たしい。明らかに、綴世先生を挑発しているとしか思えない。だって、先生の表情引き釣ってるもの。憤怒が見えるもの。下手したら俺、社会的に殺されてしまいそうなんだもの。
「……人目を憚ると言う言葉を知らないのか?君たちは……それとも、私に喧嘩を売っているのか?だとしたら買うぞ、簪?」
「い、嫌だなー先生?これはほら、生徒同士の他愛ないじゃれあいみたいなものですよ。決して不純異性交遊なんかではないですから」
「……まぁ、阿澄も来てしまった事だから今はそういうことにしておいてやろう」
それは、あとで覚えとけって意味ですか?
などと聞き返すこともできず、俺は黙るしかない。阿澄が遅れてきたのは、まぁ十中八九幸崎に話を通していたからだろう。別にどうでもいいけど。
「3人とも揃ったから聞こうか?まず簪、どうして君は幸崎を睨んでいた?」
「……そりゃ、俺は榊と一緒に登校してるだけなのに、風紀委員に言われのない罪を着せられて危うく反省文を書かせられるところだったのに、幸崎は風紀委員に一切非難されないからですよ」
「……阿澄。それが本当ならば、風紀委員長として、あるまじき行動だと思うが、本当か?」
綴世先生は、微かに口元に笑みを浮かべながら阿澄に尋ねる。というか、綴世先生が知らないなんてあり得るのだろうか。さっきもいったはずだし。それに、去年の三学期からそんな感じだったよ?今まで苦情とかが上がらなかったから対処しなかった――とか?それは学校側としてどうなんだと思うけど。その辺の事情を俺は知らないので、何も言えない。
「……本当です」
阿澄は顔を俯かせながら、小さな声で呟く。
まぁ、事実なのだから認めるしかない。俺としては、こいつがそれを黙認していることを認めるとは思わなかったが、さすがに先生の前で嘘をつくことは出来ないか。生徒に聞けば分かってしまうし。
「……そうか。なら、君は風紀委員長として、失格だろう」
綴世先生がそこまで言ったところで、阿澄は手を握りしめる。図星だから、反論はできないだろう。昔の愚かな自分を後悔しているのかもしれない。で、俺はもう帰っていいんですか?榊が見えないように欠伸してるんですが。
「――が、だからと言って、私の独断で処罰を与える訳にもいかないからな、とりあえず今は厳重注意だ。次にやったら生徒総会にかけさせてもらうが――まぁ、今は、君は風紀委員長を続けてもいい」
「……え?あ、あの…」
「ん?何か言いたいことでもあるのか?あぁ、そういえば朝の取り締まりはもうやめておいた方がいい。誰か一人に特例を作るぐらいなら壊してしまった方がいいからね」
そういって、阿澄にふんわりとした柔らかな笑みを浮かべる綴世先生。その姿は、娘を見守る母親のようである。阿澄は突然の展開に戸惑っているようだった。ま、ほとんどお咎めなしなのだから、その反応も頷けるというものだ。この人は本当に生徒に甘い…気がする。風紀委員長の件とか学校的に大丈夫なのだろうか。その辺、大丈夫なんですか。えらく話が簡単に終わってしまったが、阿澄はそのまま先生に帰ってもいいと言われ、その場に残ったのは俺と榊と先生だけとなった。
「さて、簪、何か言いたそうだな?」
「いや、別にこれと言って特に。別にあいつが風紀委員長をやめたところで、どうせ第2第3のあいつが出てきただけなんで。結局は変わらないかなと」
「君は、妙なところで冷めているな。純粋すぎるよりはましだがね。彼女も、元々は優秀なんだ。許してやってくれ」
綴世先生はそこで、疲れたような表情をとる。作った感じの一切見られない、純粋な疲れから出たのだろう。目の疲れをとるようにマッサージしているし。顧問の先生にそんなこといわれたら、感情はどうあれ許すしかないよな。正直、先生の登場から毒気が抜かれてしまった。
「榊がいいなら、俺はそれでいいです」
「そうか、杯。君はどうだ?」
「……神座に謝ってくれるんなら、許してもいいです」
「簪に謝らせるか…。まぁ、確かにそれも当然のことだな。私から言っておこうか?」
俺は、綴世先生に言われ考える。
言うほど罵倒された訳ではないし、俺も言い返したところがあるからな…。選択肢で言えば謝るよう言ってもらうか、そのままにするか。けど、綴世先生に言われて謝られても嬉しくないんだよな…。それどころか幸崎が勘違いして暴走する可能性もあるし。
「言わなくても大丈夫です。あいつから謝って来なかったんなら、それだけなんで」
「……君には、同族嫌悪という言葉が本当に良く似合うよ」
綴世先生の皮肉を背に受けながら、俺は俺の腕から離れようとしない榊を振り払いつつ帰路についた。
第38話。
次回の更新は未定。




