凛花☆ねいしょん
/1/
常に無機質な機械に繋がれていると、自分もその機械の一部なんじゃないか、と無駄な思考に耽って みるのにも飽きた。
生きているが生かされている感も否めないこの状況が決して快適な環境とまでは言えないが、生活必需品も空調もきちんと揃っているし、不快な環境とも言い難い。
入院生活なんて人生で初だったが、不思議な感じだ、というのが現在までの感想といったところか。
会社の同僚がたまにお見舞いに来る程度だったが、寂しいとは思わないし、夜が怖いとも思わない。
両親が生きていたら死ぬほど心配をかけているんだろうけれど、それも無いのが言い方が悪いが良かった。
死ぬことへの不安も殆どゼロという、なんとも切迫感も緊迫感も無い。
一昔前だったら、この技術が昔あったら両親は、と思わないことも無いが、過ぎたことをグチグチ言っても何か変わるわけでもない。残念ではあるけれど。
技術の進歩のおかげで病死というものが極端に減った今、不安を抱えつつ入院している人間のほうが希少なのかもしれないな。
医療が発達すれば少子化に多少でも歯止めが掛かるらしいが、年齢に拠る障害はどうしようもないらしいのが今後の課題らしい。
100年も200年も生きたいとは思わないけれど。
自分が何なのかわからなくなってまで生きるなら、潔く死にたいものだ。それが許可されるかどうかは別として。
―――13時ちょっとを回ったころか。
テレビは好きでもないけど、嫌いでもない。
番組をまわして適当な番組をつけて、BGMのように垂れ流すのが常になっている気がする。
今日は昼前に消して以来点けていないので、画面は真っ黒なまま。
テレビなんかより有意義な時間はそろそろか。
―――トントン
軽い2回のノック。確認しなくても誰かもうわかるようになってしまった。
ノックにもそれぞれクセがあるんだな、とこんなところで人間観察の面白さに気付いたりも出来た。
―――どうぞ。
「失礼します。相変わらず何ていうか、何ていうかな感じだね、キミは」
―――することも特に無いし、誰でもこんな感じになるよ、多分。
「そうかもしれないね。はい、コーヒー。どっちでも好きなほうどうぞ」
―――いただきます。今日は…………
「微糖、で合ってたかな? 銘柄違うけどどっちも微糖だけどね」
―――正解。さすがだね。どっちでもオッケー。
「じゃあ、はい、どうぞ。座るよ」
―――どうぞどうぞ、ごゆるりと。
彼女の名前は凛花。
毎日お見舞いと言うか、話し相手をしに来てくれる子だ。
話も良く合うし、たまにイラっとすることもあるが、正論と言うか自分の持論と一致することが多いし、怒る気になれない。
かわいいとかきれいとかそういう目で見たことは無いが、悪くは無いと思う。
別な形で出会っていたら、そんなことを考えてしまいそうな自分がたまに嫌にはなる。
「また何考えてるかわからない顔だね。考えてそうで考えてなくて、考えてなさそうで考えてるよね」
―――当たりのような、ハズレのような。
「割と頭が良い、回転が悪くない人ってそうかもね。仕事は?」
―――終わってるよ。気を遣ってか量減って退屈だね。居なくても職場回ってそうだし。
「そういうの好きだよね。居なくても回るんだろうけど、居たほうが良いに決まってる、だよね」
―――入院中でも少なからず仕事を持ってきてくれるし、そうなんだと思いたいもんだ。
「裏付け取りたい性格っていうのも面倒だねぇ。良いほうに自己完結できたらいいのにね」
―――それが出来たら大抵の人間は精神的に無敵だよ。
「それもそうだね。まあ、少しでも内面を変えていけるなら変えていこうね」
―――年も年だし、出来る範囲でなら。
「それぐらいが一番だね。それぐらいなら地道にやってそうだけどさ」
―――そこは恥ずかしくて肯定できないな、普通。
「それもそっか。さて、何かして遊ぼうか。今日は負けない、かな」
―――お手柔らかにお願いします。
「10勝9敗、今日は私の勝ち越しだね。ちょっと嬉しいかも」
―――悔しいな、これは。もう1回やったらイーブンになりそうなのに。
「勝ち逃げさせてもらうよ。少し頭も疲れたしね」
―――明日は負けない、気がする。
「明日は負けそうな気がする、ね。読み合いは疲れるね、ホント」
他愛も無いカードゲームではあるけれど、真剣になればなるほど面白いもの。
勝っても負けても満足感しか得られないが、心地良い。
「これだけ実力伯仲するっていうのもないからね。そりゃ面白いさ」
―――お互い真剣にやるタイプだしな。
「そそ。結構時間経ったね。今日はこの辺でお暇しようか」
―――そっか。じゃあ、また明日。
「うん。また明日、ね」
西日が妙に寂しげに見える夕時。
振り返ることも無い凛花の背中を見送る。
毎日のことなので寂しさは無い。また明日会えるから。
ただ、それがいつまでも続くものじゃないと考えると寂しくなる。
寂しさなのか、空しさなのか、或いは別な何かなのか今の自分にはそれは分からない。
/2/
入院生活にも若干慣れ始めた。
管を常時繋がれている煩わしさは多少耐え難いものがあると思っていたが、慣れれば苦にならないもの。
今では寝返りもトイレも気にしなくても過ごせるようになってきた。
個室で他人の目を気にする必要も無く好きに過ごせる、制約のついた休暇のようなものと捉えれば良いか。
有給扱いらしいが、頼んで仕事は回してもらっているし、そこまで退屈することも無さそうではある。
動き回ることが出来なさそうなのが窮屈ではあるけれど、体が極端に鈍らないように軽くストレッチ程度ならしても問題なさそうだ。
お見舞いもなるべく来なくて良いと会社では言ってあるし、ゆっくりのんびり過ごすことにしよう。
―――コンコン
こんな時間に誰だろうか。13時をちょっと回ったあたり、誰かが尋ねてくる予定もないし、回診にはまだ早い。
入院していれば急な来客もあって然りか。
―――どうぞ。
「失礼します。×××号室、間違いないね。今日和」
―――こんにちわ。すみません、恐縮ですが、どちらさまでしょうか?
記憶の片隅にも引っかからない、全く面識のない人間がそこにいる。
面識は無いはずなのに、何故か雰囲気だけは知っているような不思議な感覚。
「凛花です。良かったらお話でもどうかな」
―――構いませんけど、人違いじゃないですよね?
「病室の番号も名前も確認してノックしたから、キミが偽者じゃなければ人違いは無いかな」
―――それなら別にいいですけど。どうぞ、そこらへんの椅子に適当にどうぞ。
「ありがとね。お見舞いってほどじゃないけれど、どうぞ」
―――ありがとうございます。ちょうどブラックって気分だったので嬉しいです。
「当たり、ね。とりあえず私の自己紹介から…………………」
名乗ったとおり、彼女の名前は凛花。変わった名前でも良く見かける名前でもない、響きが良い名前だと思った。
なぜ訪ねてきたのか、精神科か何かのサービスかとも思ったが話を鵜呑みにするとどうやら違うらしい。
とりあえず自分と話をしたり遊んだり一緒の時間を過ごしてみたい、ただそれだけ。
何か新手の宗教やら詐欺かとも一瞬疑ったが、貯蓄もそう多くない人間をわざわざ時間を割いてまで陥れる必要があるのかないのか。
時間も有り余っているし、目的も図りかねるし付き合ってみることにしようか。
―――自分は構いませんよ。誰か居たほうが有意義な時間になりますし。
「それは嬉しいね。たぶん断らないと思ったけど、快く了承してくれると嬉しいかな」
―――あはは。よくわかりませんけど、よろしくお願いしますね、凛花さん。
「よろしくね。とりあえず握手、しようか」
―――ええ、ではよろしく。
差し出されたその手は、見たことが無いような綺麗な手で、握るのが悪いような気がした。
傷ひとつ無く、白くてすらっと伸びた指、優しい流曲線。
「恥ずかしがる歳でもないだろうに。よろしく、ね」
―――あはは。女の人の手を握る機会なんてそう無いですから。
「らしいといえばらしいね。はい、これならいいよね」
僕の手を半ば強引に引っ張り掴む凛花。
久しぶりに他人の体温を感じた気がした。
「適当に何か話でもしようか。飽きたら言って。他に出来ることはありそうだしさ」
―――わかりました。じゃあ、とりあえず凛花さんの趣味とか………
そうして促される流されるまま、凛花と不思議な時間を過ごすことになった。
「なるほどね。あら、少し夢中になりすぎたかな。こんな時間だなんてさ」
―――もう4時ですか。早いですね。
「だね。今日はここらでお暇させてもらうよ。私の都合で悪いんだけどね」
―――いえいえ。僕こそ相手してもらって楽しかったですよ。
「私も楽しかったよ。また明日、来てもいい? 明日と言わずしばらくの間、さ」
―――構いませんけど、こちらこそ喜んで、ってところですね。
「ありがとね。じゃあ、また明日ね」
―――それでは、お気をつけて。
西日に押されて部屋を出る凛花を見送る。
振り返ってくれなかったのが少しだけ寂しいと感じた。
明日も来てくれると嬉しい、話したいこと、話してみたいことはまだまだいっぱいあるから。
/3/
少しだけ朝の日差しが瞼に強く感じるようになってきた。
気温自体は一定に管理されていて、このベッドの上ではちょっとしたことで季節の変化を知るしかない。
テレビや雑誌で知るのとは一味違う感覚。退院したらもう二度と味わうことが無い感覚かもしれない。
大よその事柄は慣れてきたころに変化が訪れるもの。
それは僕にとっても例外じゃない。この入院生活もそんなに長くは続かないと言うこと。
元気になって晴れて退院、そのはずが僕にはひとつだけ心に重いものが引っかかっている。
それは――――
―――コンコン
このノックの音を聞く回数も、もう数えるほどしかない。
寂しいでも悲しいでもない感情が湧く。
―――どうぞ。
「失礼するよ。今日は暖かいね。天気も良いしさ。はい、どうぞ」
―――ありがと。アイスのブラック、さすが凛花。
「どうも。しかしよく当たるね、さすが私と言ったところかな」
―――あはは。ま、当然と言えば当然だけどね。
「そうだけどさ。とりあえず席、借りるよ。日差しが強いね」
―――どうぞ。お構いできませんで、申し訳ありません。
「ほんとに、ね。1回くらいお茶菓子出しなよね。冗談だけどさ」
―――運よくお見舞いが来て、差し入れがあったら、な。
「期待しておくよ。とても、ね」
こうして凛花と話ができるのもそんなに日数が無い。
仲良く、といって良いのかどうかわからないが、関係は良好だと思える。
ただ本当に毎日、僕のところにやってくる意図は未だに図りかねる。
彼女にとって、何のプラスにもならないはずなのに。
「また何か考えてるね。他人にはわかりにくいだろうけど、若干視線落とすクセ」
―――よくわかるなぁ。自分でも言われるまで気付かなかったよ。
「クセなんてそんなもんだしね。もうすぐ退院だね。会えるのも数日、寂しいのか悲しいのか、わからないな」
―――そうだけど、会いに来た理由とか殆ど聞いてなかったなぁとふと思った。
「言ってないね。会いに来た理由、か。会ってみたかったから、に尽きるかな。純粋な好奇心ね」
―――鵜呑みにするけど、何か、ね。
「核心は言わない、人間社会なんてそんなもんだよ。おおよその理由は言ったとおりだからね」
―――深く突っ込んでも絶対言わないだろうし、納得。
「物分りが良くていいね。んじゃ、適当に遊びながら時間過ごそうか」
―――了解。適当と言いつつ本気を出すくせになあ。
「負けるのは嫌いだからね。今日はこれっと・・・」
「負けた、ね。裏を斯いたつもりだったんだけど、裏の裏を斯かれた感が強いね」
―――要するに正攻法だっただけ、かな。
「読み負けは悔しいよ。もう1戦と言いたいところだけど」
―――頭脳戦は何回も無理だなあ。
「言われると思ったよ。ま、次回、やることがあれば負けない、かな」
―――喜んで。次は負けそうだなあ。
「次は負けない、かな。さて、今日も充実していたよ。そろそろお暇しようか」
―――今日も楽しかったよ。もう数日しかないと思うと寂しいな。
「そう、だね。じゃあ、またね」
いつもの見慣れた背中を見送る。
西日も高く、彼女の背中は寂しそうに見えなくなった。
名前の通り凛としている彼女と、日に日に会話の量も増えた。
ただやはりここに来る意図が不鮮明すぎてどこか腑に落ちない。
深く勘ぐるだけ無駄なのは百も承知。ただ引っかかるものがある。
とりあえず数日しかないし、聞けるときに聞いてはみたいものだ。
少しだけ芽生えてきた感情を開花させる前に。
/4/
気付いたことがひとつ。病院食は注文を出せばそれに応じて栄養価の範囲内で変更してくれるということ。
うどんが食べたいな、と言ってみたらうどんを提供してくれた。
多少薄味だったが、薄味好きの僕にはちょうどいい。
さすがに毎回注文をつけるのは気が引けるし、たまに気分転換にしてもいいかもしれない。
変化を求めているわけではないが、少しぐらいの変化はやっぱり欲しいものだ。
それに毎回だとそれが当たり前になって有難さも楽しみさも感じなくなる。
―――コンコン
―――どうぞ。
毎日でも刺激になってくれる訪問者。決まってほぼ同じ時間に来てくれる彼女。
距離を取らずに話をしてくれる感じが好感を持てるが、たまに少しイラっとすることがある。
人間、図星を指されるとイラっとするのは本能か。
「おはよう。失礼するよ。はい、お見舞い。今日は迷ったよ」
―――迷ったなんて初めて聞いたね。今日は何だろう。
「カフェオレとブラック。何でも良さそうかな、と思ったからさ」
―――正解。余った方いただこうかな。
「じゃあカフェオレはもらおうかな。隣、失礼するよ」
―――どうぞどうぞ。
「はい、どうぞ。やっと最近表情が柔らかくなったね。何より」
―――ありがと。そうかな。さすがに最初のうちは多少緊張するよ。
「そう、だね。それはよくわかるからね。砕けてくれたのは嬉しいよ」
―――どういたしまして。こういう表現が正しいかはわからないけど。
「こちらこそ。今日は、何しようか。そこらに置いてあるゲームで遊んでみようか」
―――オッケー。どれでもルールはわかるから好きなのどうぞ。
「じゃあ適当に選ぶよ。これがいいかな」
―――よし、負けないよ、悪いけど。
「同じく、ね」
彼女、凛花との会話は楽しい、というか話が良く合う。
話していて苦にならないし、自然に会話が進む感じだ。
ただ、ニュースやら芸能の話題にはさして興味が無いらしくノリは悪い。
僕もそっち系の話が特に好きなわけでもないので好都合といえば好都合ではある。
ニュースは気になるから積極的に見るが、会話合わせくらいにしか話題に出すことはないし、わざわざ凛花とするような話でもない、はず。
今日は初めてゲームで遊ぶみたいだし、会話も弾むとハリが出るな。
「私の勝ち、ね。これは結構嬉しい、かな」
―――負けた。強いなぁ。
「そう、かな。僅差だと思うけどね。次やったら私が負けそうだね」
―――そうかな。もう1回やってみる?
「残念だけど、今日はこれくらいかな。頭使ったし、時間も、ね」
―――そっか。じゃあ次は負けない。
単純な陣取りを模したボードゲーム。
僕は結構強い自覚があったから、負けたのは口には出せないが、本当に悔しい。
次は絶対に負けない、というか負けたくないものだ。
「楽しみにしてるよ。あと、顔に出てるよ、一応、ね」
―――あはは。出ちゃってたか。負けず嫌いだからね。
「それは私も、かな。今日はこれでお暇するよ。それじゃあ、また、ね」
―――また明日。楽しみにしてるよ、いろいろ。
「私も、ね」
そういって振り返ることなく部屋をあとにする凛花。
最初は少し寂しいと思ったその光景も慣れてはきた。
また明日、その言葉がちゃんと実現されるから。
刺激があるといい、そうは思っても凛花が来ない1日、そんな刺激は嫌だな、そんなことを思うようになった。
/5/
現代医療で治らない病気は無い。
身体的なものはもちろん、精神的なものまでほぼ100に近い確率で治療できる。
ただそれはお世辞にも健康的ではなく、薬やら何やらで無理矢理完治させるらしい。
果たしてそれが良いことなのか悪いことなのか、少なくとも今入院中の僕にとっては良いことなんだろう。
凛花と話が出来るのもあと片手で数えられるくらいの日数。
凛花と別れる日が近付くにつれ、形容しがたい感覚が沸く時間が増えた。
なぜあんな風に振舞えるのか。
本当の目的は分からないが、彼女についての事実は彼女の口から聞くことが出来た。
知ってしばらくは特に考えることも無かったが、彼女を知るにつれ、彼女と話す時間が増えるにつれ僕は本当にこれでいいのか、思い悩む。
―――コンコン
このドアを叩く音を聞くことももう残り少ない。
凛花がここに顔を出すようになって少しした頃から、毎日この時間、ドアが叩かれるのを楽しみにしていたのが昔のようにさえ思える。
「おはよう。はい、いつものお見舞い。今日はいつもにまして何か考え事してるね?」
―――アイスココアなんて珍しい。ありがと。考え事もするさ、一応人間だし。
「それもそうだね。季節も移ろってきたね。外の景色、綺麗だね」
―――だな。少しずつだけど、季節も移ろいでるから。
アイスココアを僕の脇のテーブルに置き、凛花は窓のほうへ歩いてゆく。
珍しいというか、初めてのことかもしれない。
そういえば凛花との会話は、殆どが僕の話で外の話は全く触れていなかった気がする。
―――珍しいね、凛花がそういう話を自分からするなんて。
「そう、だね。たまにはいいんじゃないかな。ここから見る景色もあと少しだし、さ」
―――そう、だな。
言葉がそれ以上出てこなかった。
かけるべき言葉、かけたら良い言葉が頭の中を探しても出てこない。
「特に深い意味は無いからさ、そう考え込まない。ここから見る景色をちゃんと見ておきたかっただけだからね」
―――そう、か。僕は慣れたからそんなに感慨も無いけどな。
「キミは、ね。さて、隣、失礼するよ」
―――どうぞ。ごゆるりと。
凛花に渡されたアイスココアに口をつける。
甘すぎない甘みが口中に広がり、気分が和らぐ。
同じように、隣に腰を下ろした凛花もココアを口に含む。
「ふう。甘いものはいいね。気分が和らぐよ」
―――同じこと考えてた。たまには甘いものもいいな。毎日は嫌だけど。
「そう、だね。キミとこうして寛げるのもちょっとの時間、か。感慨深いって言うのかな」
―――考えるところはいろいろあるんだけど、何て言ったらいいかわからないな。
「そうだろうね。立場が逆だったら、私もきっとそうだよ」
―――逆だったら、僕はどうするかな。
「私と同じだと思うよ。私は見ての通り、甘受してるし、そうするのが一番だと思ってるね」
―――強い、って表現すればいいのか、わからないな。
「強い弱いじゃなく、そうするべきものだと思ってるだけさ。逆だったらキミもそうするよ」
―――自信無いな・・・そう言い切れない。
「そう? 立場が変われば変わるよ。変われ、といってるつもりは無いけどね」
―――そういうものか、と納得できるもんじゃないな、それは。
「特に納得する必要なんて無いよ。キミの苦悩もわかるし。私のエゴのせいなのも謝らなきゃとは思うよ」
―――謝られる必要なんて無いよ。僕は良かったと思ってる。
「そう? それなら良かったね。私も良かったと思ってるよ」
そういう彼女の目は嘘を言っているようには見えなかった。
本心からそう思っている目。彼女の目に映っている世界はどんなものなのか。
―――他にも選択肢はあるんじゃないか? ここに来れるくらいだし・・・
「十分可能だろうけれど、そんな選択肢は無かったよ。私には選ぶような道もないし、選べてもこっちを選ぶと思う」
―――そう、か。僕にはわからない、な。
「分かろうなんて思わなくていいさ。さて、何かやろうか。白黒付けよう、勝負の、ね」
―――オッケー。負けないよ、悪いけど。
「こちらこそ」
ここまでの全体の勝敗はほぼ5分。
集中力が十分に発揮できなさそうではあったけれど、僕はとりあえず凛花と他愛ないボードゲームに精を出すことにした。
残り少ない凛花との日々を噛み締めるように。
「まさに白黒ついたってところかな。途中まで勝てないと思ったね」
―――絶対勝てると思ったのに、詰めが甘かったな。
勝てると思っての気の緩みを見事に突かれた形での敗北。
かなり悔しさが残るが仕方ない。
多少会話をしながらだったが、それを理由には出来ない。
「さて、今日はお暇しようかな。いつにも増して有意義な時間だったよ」
―――僕もそう思った。また明日、な。
「また明日、ね」
凛花を見送るのも終わりに近い。
低くは無い西日の光が、なぜかとても寂しそうに見えた。
また明日、そう言ってくれる凛花を見送るのも・・・
/6/
今日も早々に仕事のノルマが片付いた、というか片付けた。
最近、凛花が来る時間までにすべて終わらせておくようになっている。
それだけ自覚がそんなに無いとはいえ、彼女の訪問を楽しみにしている自分に少し驚いた。
ただ、彼女が何者で何の目的があって、と言うのは未だに図りかねる。
そろそろだいぶ砕けてきたと思うし、聞いてみても良い頃合か。
―――コンコン
「失礼するよ。今日も良い天気だね。はい、お見舞いだよ」
―――ありがとう。相変わらず気分に合わせてくるね。ぴったりだよ。
「どういたしまして。なんとなく、だけどね。私にはわかるのさ」
―――そういうの、多いな。考え方も似てるし。
「そうだろう、ね」
―――珍しく歯切れが悪い物言いだな。何か理由でも?
「その前に、隣、失礼するよ。はい、微糖のコーヒー」
―――どうぞどうぞ。いただきます。
いつものように、僕の隣に腰を下ろす凛花。
今日は何か僕の疑問をぶつけてみても良い、そんな気がした。
すっきりした甘みと苦味が脳にそう語りかけている、なんてこともないだろうけれど。
―――凛花さんって、どう聞いたら良いかわからないけど、何者? 上手い聞き方見つからないから直球だけど。
「そろそろ聞かれるかな、と思っていたけどね。隠していたつもりも伏せていたわけでもないんだけどさ」
―――濁すね。答えられないなら無理には聞かないけど。
「でも気にはなる、よね。それを答える前に、キミの病気の治療方法は?」
―――クローン臓器を使った移植手術、のはず。今は普通だけどね。
「臓器だけを複製するより、丸々複製して使うほうが効率的、らしいよ」
―――それは初耳。でも色々難しい問題があったよね。人としての人格が出来る確率・・・
言いかけて答えに突き当たった。
凛花の目もそう言っている。
まさか彼女が僕の。
「そう、クローン。意識が芽生えたのはキミが入院してすぐ位かな。滅多に無いことだから管理室は簡単に出られるんだよね」
―――そう、なんだ。驚いたのもあるけど、逆に色々納得した。
意見の一致の多さ、どこかで見たような面影。
性別こそ違えど、僕との共通点は言われてみるとかなり多い。
性格も趣向も、よく一致している。
「目覚めてキミの名前を見つけてね。どんな人なのかな、と思って好奇心が出たのさ」
―――なるほどね。僕は貴重な体験してるわけだ。
「そうなるね。私もバレたら来られなくなりそうだから、秘密にしておいてくれると助かるよ」
―――了解。僕も興味があるし、言わないよ。
「ありがと。一応素性明かしたわけだけど、何か質問あれば受け付けるよ」
―――そうだなー、とりあえずは・・・
結構いろいろと聞くことが出来た。性別の差異は稀にある現象らしい。
急速に成長させて、患者の年齢に合わせて強制的に成長を留める、だから生後は僕が手術が決まった6ヶ月前後。
稀の稀なことで、管理も甘く、この時間なら抜け出してもバレない。
洋服は職員のものを拝借、コーヒーも同じ。
出入りが多い病院だし、検体の顔なんて知ってる人のほうが少ないから何も怪しまれないこと。
記憶はゼロに近いが、思考と性格は既に出来上がっているという話。
面白いと思った。
ただ、役目を終えると処分されるだろう、と言うのを聞いて胸が痛んだ。
なるべくなら苦しまないような方法で・・・
「そんなところかな。興味本位で来てるけどさ、良かったよ。本当にさ」
―――僕も何か良かった気がする。貴重な経験というか、形容しがたいけど。
「私も何が良かった、なんて形容できないけどね。良かったとは思うね」
―――あはは。やっぱり似てるなあ。そりゃゲームも五分なわけだ。
「だね。今日は遊べなくて残念だけどね。そろそろお暇するよ。少し長く居過ぎたし」
―――結構話し込んじゃったからね。時間があっという間だったよ。
「そう、だね。いつもより長く居たのにいつもより短い感覚。それじゃあまた明日、ね」
―――また明日、ね。
振り返らず部屋を出る凛花。
いろいろ話も聞けたし疑問も氷解した。
自分とほぼ同じ人間と話す、不思議な感覚だけれど面白い。
なんとなく、今日の凛花の背中と自分の背中が重なって見えた。
/7/
本当にこれで良いのか、暗い風景を眺めながら考える。
彼女を犠牲にしてまで、僕は生きて良いのだろうか。
そう思わせることが狙い、とは思えない。
彼女は純粋に興味で、僕のところを訪れていると思う。
興味、かそれ以上、何か思うところがあるのかもしれないが、悪意は無いと思う。
ちょっとその気になればこの部屋まで来られるくらいなら外にも出られるはず。
でも彼女はそれを実行しようともしていない。
僕の生は彼女の死。彼女を逃がして新しいクローンを、それは僕の病態的に無理だろう。
だったら僕はどうすればいいのか。
笑って彼女との時間を過ごせばいいのか。
色々と分からなくなった。
彼女はそれで良いと言うが、本心なのか、逆の立場なら僕は本当に甘受するのか。
彼女の分も僕が生きる、そんな言葉は意味を持たない。
もう明日しかない。
決断するには遅すぎる、けれど間に合う範囲内かもしれない。
僕はどうするべきか・・・
そんな堂々巡りの思考のなか闇はどんどんふけていった。
/8/
―――コンコン。
「失礼するよ。はい、お見舞い。今日はブラック。キミも私も一番好きなコーヒーだね」
―――そう、だな・・・
「隣、失礼するよ。はい、どうぞ」
―――ありがと。色も味も、今日にぴったりだな。
凛花はいつもと変わらない。
なぜそこまで強く居られるのか。
「目に見えて神妙だね。話、聞こうか。聞くだけになるだろうけどさ」
―――・・・分かってるんだよな、多分。なぜ悩んでいるか。
「おおよそ、ね。キミが生きていく意味が私の生きてきた意味だから」
―――今なら間に合う。僕は良い。逃げて凛花が生きてほしい。
「言われると思っていたよ。でも、私は逃げないよ。一番大きな意味を失ってまで生きる価値が無い」
―――生きていけば、価値なんていくらでも見つかる。
「そう、だろうね。正直さ、私ももっと生きたいし、外の景色とか見てみたいとは思うよ」
―――本心がそれなら、僕は構わない。
「だけどさ、一番大きいのは、キミに生きて欲しい。本当にこの身に代えても、ね」
―――そう、か。言い出したら曲げないよ、な。
「曲げないね。本当に楽しかったよ、キミと過ごした時間は。ありがとう」
―――それは僕もだけれど・・・だけど。
「ありがとう、本当にこの一言に尽きるかな。共有した時間は、絶対に忘れない」
―――忘れられるわけないだろ。忘れられるわけ・・・
「若干考え方に差異があるのは面白いよね。殆ど同じなのにさ」
飄々とした物言い、態度。
もう会えない寂しさ。
僕の為に終わる彼女の世界。
「それじゃあ、早いけど失礼するよ。長居すると、ね」
―――最後にもう1度だけ聞く。本当にいいのか?
「うん。次があったなら、違う人間に産まれて、キミとまた出会ってみたい、かな」
―――凛花・・・ごめんな。
「謝る必要なんて無いからさ。じゃあ、私はお暇するよ」
目を見ることが出来なかった。
立ち上がる彼女。かける言葉も見つからなかった。
「じゃあね、バイバイ。本当にありがとう」
僕にとって、そのドアの閉まる音が全ての終わりに聞こえた。
fin
最後までお読みいただき有難う御座いました。
サークルHP掲載版には挿絵なんかもついていたりしますので、
よろしければごらんになっていただければ幸いです。