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空蝉、残像に映える

作者: 樋高





「話したい事あるって、言ったじゃない?」






下から覗くように俺を睨みつけるこの女は、俺の彼女というものに分類されるらしい。好きになった理由は


「顔がタイプなの」


だそうだ。




「あたしね、好きな人ができたの。貴方はね、もういいの。ごめんね?さよなら。」


お前がアイスを食べたいというからわざわざ買ってきた俺に対する開口一番がそれか。


「………そうか。」


「引き止めないのね、そういう所も嫌いよ。」


そういうと女はじゃらじゃらと携帯から垂れるストラップを揺らし、去っていった。


この状況、なるほど滑稽かもしれない。


このアイスの代金と労力を返せと、爽やかに言ってやろうかと思った。


特にあの女に好意を抱いていた訳ではなかった。ただ流れでそうなってしまった。それだけの関係だった。


不意にアイス屋の親父の気前の良さを思い出す。

ああいう親父の笑みは苦手だ。あの暑さの中、よく笑えると色々な意味で感心する。あの親父に悪いと思ったが、ミントのそれをごみ箱に向けて手を離した。食べた後にスーッとするものは少し好まない。




人差し指の第二関節あたりに付いていたアイスを舐めとる。あまりのまずさに眉間の皴が深くなり、ただでさえ人当たりの良くない三白眼が目立つようになった。







鉄板のように熱くなったベンチにトン、と腰掛ける。



上を向いても下を向いても何をしていても暑い。



骨張った頬を伝う汗が腹立たしくて舌打ちをした。










「水城くん?」




ぼんやりと浮かんだ意識が強制的に遮断される。首だけ動かして振り返る。


誰だこいつ。


右眉が眉間に皴を残しながら、くん、と上がる。



「やっぱりそうだ。覚えてるかなぁ、ほら、愛好会の佐崎よ。水城くんすぐやめちゃったけどね」


「……」





馴れ馴れしいな。こんな女は記憶にない。そう思ってなんとなく、佐崎とやらが履いている、昔テレビでやたら広告されていた元々白いはずの灰色のスニーカーを眺めた。ただなんとなく。


「座っていい?」


女は問うと、俺が答える前に座っていた。それじゃ座っていい?じゃなくてまるっきり座るね、だろ。


「すごく暑いね。砂漠みたいだ。」


「……へぇ。」



砂漠にいったことがあるのか。それは素晴らしい経験だ。


次のご旅行の際はぜひお土産をお願いしたいもんだ。心の中で目の前の女を馬鹿にしながら、無意味に自分が空しくなった。

あまりの暑さに、コンクリートが歪んで見える。


「あ、そういえばさ、自己紹介の時も水城くんあんまり喋らなかったよね。みんな怖がってたんだよ?そういうあたしもなんだけどねっていうか…」



この女は黙る事を知らないのかと思う。ただでさえ暑いのに暑苦しいったらない。


何が楽しいのか一人で笑ってその度に青に似た黒のボブの髪が揺れる。



あぁ。



ころころと笑う横顔には見覚えがあった。佐崎という女を俺は知っている。確か、初対面の時も今のように一人で話していたと思う。俺が答える間もない位に。よく初対面の人間に笑いかけられるもんだと、異質な人種だと思っていた。



そんな記憶も佐崎に会う今の今まで忘れていたのだけれど。










まだ終わらないのか。もう三十分は話しているんじゃないだろうか。


いい加減日影に入りたい。こんな女の為に皮膚癌になるのはまっぴらごめんだ。



どうせ相手もいつ別れを切り出すのか迷っている頃だ。俺という人間は会話のレパートリーが少ないからつまらないだろう。自覚はしてるんだ。責めないでくれよ。


さっさとこちらから別れを切り出してしまえば。



「あー…悪いけど…俺帰るわ」



なに、まさか、悪いだなんて、米粒ほどもだ。


佐崎は目を細めて下唇を噛んだかと思うとすぐに俯むき、あは、と言いながら額を伝う汗を手の甲で拭いながら言った。



「一緒だね。」



眉間に皴が増えた。


この女は主語を使って話せないのだろうか。


容赦無く照り付ける太陽にイラついて、指がピクリと動く。




「あたしが話してる時ももう帰っていいかって言われたの。」



佐崎は何を思って言ったのか、よくわからなかった。


流石の夏の風物詩ともいわれるひぐらしも暑さに負けたのか、鳴くことを休んでいるようで、その静寂がとても不快だった。







「あたしね、好きな人いるんだ」




青と紫にオレンジを加えたような太陽が、子供は帰る時間ですよ、と教えている。



「女心わかってないんだ、そいつ。あたしね、そいつと初めて話した時、今と同じ言葉言われたの。」


佐崎の頭は小さく震えてるように見えた。


「あたし、その人追い掛けて同じ愛好会にしたのに。もう、笑っちゃうよ。気付かないんだーそいつ。」



ポツリポツリと話す佐崎を尻目に、猫が狭い塀を伝うのをただ見つめていた。


少し涼しさを増した風が汗ばんだ服を撫でる。



まったく、面倒な生き物だな。



水城は、っしょ、と歯と歯の間で空気が擦れるような声をだすと、立ち上がって歩いていた。けだるそうに服の胸元辺りを掴んでハタハタと風を送りながら。






―それを見送った女は眉を八の字にして短い溜め息をついた。



「あーぁ。お前の事だぞー気付けよー…なんて、ね。…みんなのいうとおり、不思議くんなのかな。普通気付くだろー、ここまで言わせてさー…あたし、馬鹿みたい。」


ふふ、と意識的に口角を上げ、砂を足で削ってみる。黒い染みができる度に、ごまかすように。






「食うか。」







俯いたまま、眉がピクリとあがる。口元が、ほんの、ほんの少しだけ孤を描いた。



あぁもうあたしったら、髪短いから、泣いたところが見えてしまっただろうか?いや、そんな事はどうでもいい。また少し汗ばんだ気がする。



顔を上げると、バニラアイスを二つ持った彼がいて。




「あたし、ミントがよかったな。」



これじゃ、そっちのアイスも食べさせてって言えないじゃない。



「ミントは嫌いだ。」



けれど、口元が緩んでしまってしょうがない。



「やっぱり、不思議くんだ。」






水城はハッと鼻で笑った。




向かいの駄菓子屋で何を買うか迷っている兄弟を見つめながら、目を細めて笑う顔を、沈む太陽が赤く染めている。風はもう肌寒い程涼しくなっていた。



少しの間目を閉じてひぐらしが鳴くのを確かめる。







肩をすくめながら、女は小さく身震いをした。







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