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現実の向こう側 6

 その時のイルバードの顔は、きっと後で思い返しても笑えるだろうと思う。瞳が落ちそうなくらい目を見開いて、口はぱくぱくと開閉を繰り返している。対して智里は笑顔で言った。

「私は、早く弟を取り戻したいです。家族がいて、お互いの人生をゆっくりすごしていく。平凡な人生でいいんです。私たちの物語は本の上にあるわけではありませんから」

 そのためならあなただって利用させてもらいます。

 今度は眉を寄せて口をへの字にして、イルバードはとても困った顔をしている。智里はそれを見て、苦笑する。笑顔だけじゃなくて、色々な表情をする人だな。

「家族を一方的に連れて行かれて、起こらない人がいますか?いくら向こうでの仕事が終わったら帰ってくるといっても、前回は命の危険があったんでしょう。怒らないでいられますか」

 落ち着いて、冷静に。智里は自分に言い聞かせて口を開く。怒鳴り散らすなんてしたくなかった。イルバードは眉尻が下がりますます情けない顔になっていく。

「家族の記憶までいじられていて、それだって怒ってるんです。私の記憶がいじられていない理由はわからないけれど、もしいじられて普通にあなたに接していたら優希が帰ってきても、私たちは知らないままになるんでしょう。そんなのは不公平です」

 優希が何を思って、異世界にいたのかは本人に聞くまで想像しか出来ない。全て納得をしていたのかもしれないが、待っているしかできない方は何をされたって納得なんてできないのだ。

「それにあなたはまだ全て話していないでしょう。どうやって記憶を操っているのか。それを説く方法。さっきの、2年前のこと」

 智里はイルバードの色素の薄い瞳を覗き込んだ。最初に見たときと同じ、スカイブルー。最初に見たときでさえ恐怖と戦いながらも吸い込まれそうだと思った。

 イルバードは智里の瞳を見つめていたが、やがて苦笑した。スカイブルーの瞳が細まる。

「そうですね、許せませんよね。ですがそこから先はここでは話せません」

 ユウキの部屋でお話しましょう。

 そう言ってイルバードは席を立った。途端に空気の流れが変わった。

 窓際で泣いている赤ん坊の声が聞こえた。通路の向こうの女子高生らしきグループの話し声も聞こえた。その中の一人がこちらを向いて驚いた顔をしている。

「どうかしましたか、チサト」

 イルバードが智里を立たせようと手を差し出した。通路の向こうから黄色い声が上がった。

「あのヒト、ちょーカッコイイじゃん!」

「芸能人かなあ、見たことないよ!」

 わいわい盛り上がってる女子グループにため息をついて、イルバードの手を押し返した。イルバードは避けられた手を見て少し悲しそうな顔をする。

 きっと今まで話してたときはイルバードが何かしていたせいで、他の客の声が遮断されていたんだろう。あとで全部話してもらわないと。

「とにかく、薬局よって帰りましょう」

 女子グループの睨みをスルーして、智里は席を立つ。頭痛薬も買わなくちゃ、とため息を吐いた。



 家に帰ると、心配そうに母が待っていた。

「早く帰るって言ってたのに、遅いじゃない。風邪薬、救急箱に入ってたわよ」

 さっきは見当たらなかったのに、と適当なことを言って智里は2階へ上がった。

「薬飲んでしばらく横になってるからほっといてね」

 階段の中ほどで止まる。玄関の方を見ると母はイルバードと話をしていた。

 イルバードが母親にお辞儀をして、こちらへ向かってきた。

「ごめんね、出来るだけはやく元に戻すからね」

 智里は呟くと、階段を上がり始めた。

 その後姿をイルバードが見ていた。



「チサトの記憶に関しては私にも詳しいことはわかりません。あくまで推測です」

 それでもよろしいですか、と尋ねるイルバードに智里は頷いた。自分には全くわからないから、推測でもある程度理解できればいい。

「まずは記憶交換ですね」

 人には、縁という糸のようなものが張り巡らされているとイルバードは言った。

「縁なんて古い言葉を知ってるんですね」

「これは古い文献に載っていましたから、この世界にとっても古い言葉なんでしょうね」

「ということは、結構な頻度で召喚があるんですか」

「さあ、私が生まれてからはユウキが初めてでした」

 イルバードは軽い咳をし、話を戻した。

「その情報を一時的に差し替えます。差し替える情報は断片的なものですが、それで十分です。人はその断片的な情報を組み合わせ、自分の知識で補って一つの情報にしてしまいます。大抵の人は同じような筋道で情報を組み合わせるので、記憶の修正をする必要はほとんどありません」

 智里は頷いた。国語の問題という前提があり「猿」と「木」と「落下」というキーワードがあれば大抵は「猿も木から落ちる」ということわざが思い浮かぶだろう。理にかなっている。

 おそらく今回は優希の記憶を前提として「イルバード」「留学」「交換」辺りの情報で差し替えられたのだろう。

「これが記憶交換です。この差し替えの情報は召喚移転の魔方陣に組み込みます。魔方陣を発動すると同時にユウキの縁全てに自動的に差し替えが行われます。わたしがこの場で上書きすることはできません」

 二人はローテーブルを挟んで床に腰を下ろしていた。智里は薬局で買ってきたペットボトルを差し出す。イルバードは礼を言って受け取った。自分の分も蓋を開ける。

「召喚自体国家で認められた場合でしか使用できません。その魔方陣に組み込まれている記憶交換も同じです」

 そして、チサトの場合ですが。イルバードは水で唇を湿らせた。

「魔方陣が発動する場合、一定の範囲に結界が張られるようです。おそらく、発動時にその結界の内側に居たため、記憶交換が行われなかったのではないかと思います」

 智里はゆっくり頷いた。専門家の推測だ、否はない。

「2年前は私も記憶交換がされてたんですよね」

 イルバードは首肯して笑顔を浮かべた。それがどこか悲しそうだったのは一瞬のことで、智里は見間違えたのだと思った。

「2年前のチサトは優しかったですよ。いつも笑顔で、右も左もわからないわたしに、なんでも根気よく教えてくれました。その時から呼び捨てにさせてもらっています」

 今のチサトを思うと、あの時は猫を被っていたのでしょうね。そう語って苦笑した。

 確かに、智里は人見知りをする。だからこそ家族や気の置けない友人の前以外では猫を被ることは良くある。それをわざわざ言わなくてもいいのに。

 恥ずかしくて、なぜか少し苛立ってしまって顔を上げられない。きっと今顔が赤くなっている。記憶がない自分のことなんて聞かなければ良かった。

「優希が!」

 話題を変えようと出した声は思ったより大きくて、自分でびっくりしてしまった。首をかしげて促すイルバードをちらりと見て、智里は息を整えた。もう猫を被りなおす必要はない。あれだけ怖がったり、食って掛かったりして素の自分を見せてしまっている。

「優希があなたたちの世界にいる証拠があると、先ほど言っていました。それは一体」

「ああ!」

 どういうことでしょう、と続ける前にイルバードが声をあげた。ジーンズの後ろポケットから懐中時計を取り出す。ベルト通しにくくりつけていた鎖をはずして智里の前に置く。

「これです」

 明るい笑顔のイルバードを見上げ、自分の前に置かれた懐中時計を見下ろす。蓋に鷹の模様が彫ってある。見た目は普通の懐中時計のようだ。

「どうぞ、開いてください」

 促されて手にとってみる。裏にはI・R・Cと彫ってあった。その横には小さく花も彫ってある。何の花だろう。菊か、マーガレットか、コスモスのようにも見える。優希だったらわかるのかもしれない。花には案外詳しかったから。

「チサト?開きませんか?」

 考え込んでいたため、いきなり出てきた手に驚いて懐中時計を落としてしまった。

「ごめんなさい」

「いえ、どうぞ」

 膝元に転がってきた懐中時計を拾い、蓋を開けて再び智里の前に置く。なんだか挙動不審になっている自分にため息をついて、智里は文字盤を見下ろした。

「これ、真っ黒ですけど。文字盤は?」

「ユウキのことを考えて、盤面を見つめてください」

 不思議に思うが、今日は不思議なことだらけだ。考えることを諦めて智里は素直に黒い盤面を見つめながら、弟のことを考えた。

 今朝、消えた場面。昨日プリンを食べられて喧嘩をした事。プレゼントした目覚まし時計。子憎たらしい口の利き方。

 いくら考えても黒い盤面は変わらない。思わずイルバードを見ると、にっこり笑って懐中時計に手を伸ばし、避ける暇もない智里の手ごと懐中時計を包んだ。

「ラフマンさん」

「チサト、教えてください。ユウキはどんな子ですか」

 戸惑いの声を出した智里に、イルバードは尋ねた。


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