現実の向こう側 5
戻ってきたイルバードは、座るなり真剣な顔をして語りだした。
「チサトでしたら、ファンタジー小説は読んだことがおありでしょう。地球以外の世界へ、人々が入り込む物語です」
「異世界トリップ?」
読んだことのあるジャンルを思い出しながら、智里は聞き返した。イルバードは頷く。
「はい。わたしはこの世界と異なる世界から来ました。本当のことです。驚くのはわかりますが、そう頭から疑わないで下さい」
智里の怪訝な顔を見て、慌てて言葉を紡いだ。
「私の頭も正常です」
「とりあえずは聞きますので、どうぞ続けてください」
イルバードは不本意な顔をしていたが、説明を始めた。
「わたしは、わたしたちの世界のウェルテサザーラント、わたしたちはウェルテスと呼んでいます。そこからやってきました。イルバード・ラフマンは地球で使っている名前ですが、本名はイルバディード・」
「ラフマンさんには興味ないので、優希はどこに行ったんですか」
ああ、そうですよね。興味、ないですよね。イルバードは視線を落として悲しそうに呟いた。
「それで、優希は」
「ユウキは、わたしと入れ代わりにウェルテスにいます。本当に異世界にいます。あとで証拠を見せますから、今は聞いてください」
イルバードは気を取り直して語り始めた。
ウェルテサザーラント皇国は、2年前まで戦乱に包まれていた。大国ローゼンスの一方的支配から独立するために戦っていたのだ。ローゼンスは強く、ウェルテスは苦戦を強いられていた。兵糧も残り少なく、あと何ヶ月ももたないかもしれないという時まで追い込まれてしまった。
そこで皇は国秘兵器と呼ばれる武器を使うことを許可する。その兵器は、異世界から召喚した人間にしか動かせないと伝えられていた。
イルバードは当時、王宮魔術軍参謀であったが、極秘の任務を課せられた。異世界の人間を召喚する際、その呪文を唱え儀式を司る。大抜擢だった。しかし、それには大きな副作用がついていた。召喚する人間の代わりに、儀式を行うものが異世界へ召喚されてしまうのだ。
異世界の人間の使命が終了した暁には、元の世界へ戻れるが、いつになるかわからない。1ヶ月か、1年か。はたまた、使命を終了させることが出来ないかもしれない。途中で殺されてしまうかもしれない。
異世界の情報もまたあまりなかった。古い文献からして、危険は少ないとあるが、あまりにも古い情報で信憑性は乏しかった。
リスクは大きかった。しかし、皇も、イルバードもそれに賭けたのだ。
そして、儀式は行われた。選ばれし異世界の人間が、ユウキだった。
「ユウキは勇敢でした。初めは驚いて、逃げ出そうとしましたが、自らの使命を果たしてくれたのです」
イルバードは厳しい顔つきを一変して、笑顔になった。
「そしてユウキはこの世界に還ってきました。わたしもわたしの世界へ還れました」
本当に嬉しそうなイルバードを見て、智里も肩の力を少し抜いた。まさか、既に異世界に行ったことがあるなんて知らなかった。ふと、あることに気付いてイルバードに視線を向けた。
「ちょっと待って、そのときもあなたは家にいたんですか?2年前って言いましたよね」
「そのことについては、後でお話します。まずは一連の流れを説明させてください」
笑顔で押しとどめられ、智里は口を閉じた。この人の笑顔は、人を操る力があるのかもしれない。そんなことをぼんやりと思った。
「話を戻しますが、ウェルテスは、無事大国ローゼンスより独立することが出来ました。他の国々も追随し、今ではローゼンスの領土はかつての10分の1ほどになりました」
2年足らずで国土が10分の1になるとは凄いことだ。日本で言えば県と市の大きさの違いを思えばいいか。
「われわれは特に領土を広げることを望んではいませんでしたから、後から独立した国々とわがウェルテスは同盟を結び、ウェルテスの脅威は外にはなくなりました。それから2年、ウェルテスは順調に国を豊かにしていったのです」
「でも、また優希は召喚された」
イルバードは重々しく頷いた。その顔から笑顔が消えた。
「またユウキの力を借りなければいけない事態に陥りました。皇位継承問題です」
ウェルテスの皇は、先の戦乱の後亡くなった。人々の噂では暗殺されたと言われている。
前皇には娘が一人いた。皇女ラキアージュ。心優しい聖女である。
彼女は民衆に好かれ、貴族たちも多くがラキアージュに忠誠を誓っている。
しかし、やはりというかなんというか、反発する者は必ず出てくる。その者たちは忠誠を誓った振りをし、皇女暗殺を企んでいるのだという。
「ラキアージュ様はユウキを呼ぶことに反対しておりました」
イルバードは背筋を伸ばし、口調を改めた。
『わが国の問題はわれらのもの。異世界の者を頼りにしてばかりでは、わたしたちはこの先の平和を守ることが出来るのでしょうか』
ラキアージュ皇女の言葉なのだろう。イルバードは誇らしげに言葉を口にした。
「そう仰っていました。しかし、ラキアージュ様では抑えきれない意見もあります。重鎮はラキアージュ様を軽んじています。女は、ただ座っていればいいのだ、と」
同じ女として、人を貶める言葉は気分が悪いものだ。智里は思わず顔に出してしまったのだろう。イルバードが苦笑した。
「そう怖い顔をしないでください。上に立つものというのは得てしてそういうものです。互いが自分の都合のいいことを押し付けあう。反発すれば蹴落としあう。民衆にはなんら関わりのないところで全てが決定されてしまう。民衆が否を唱えれば捕らえられる」
智里は頷いた。姿かたち、役職は違えど、現代日本にもそういう輩はいなくならない。イルバードも頷き、口調を輝かせた。
「ラキア様はそれをなくそうとしてらっしゃいます。民衆の意見を取り入れ、より良い国を作りたい。それがラキア様の夢です。私はそれをお助けしたい」
イルバードの皇女の呼び方が略称になった。親しい人なのかもしれない。智里はそこまで考え、そんなことを考えた自分に驚いた。イルバードはそんな智里に構わず話し続けている。
「ラキア様には信頼の置ける味方がとても少ない。忠誠を誓っている貴族たちは腹の中で何を考えているかわかりません。ユウキが行った今でも両手に余るほどしかいないでしょう」
「ええと、ラフマンさんが残っているんじゃダメだったんですか」
「ええ、私では力が及ばず。ラキア様の身辺を守ることしか出来ません。首謀者を捕まえることは到底出来ないでしょう」
そんなに残念な様子ではないイルバードに、智里はどんな表情をしていいのか困ってしまった。とりあえず首を傾げてみた。それをみてイルバードは安心させるように笑顔を作る。
「ユウキはわが国では英雄とされています。独立の英雄です。そんな彼がラキアの傍にいてくれれば、反対派は沈静化するでしょう。民衆からの支持はもとより、ユウキは貴族からも支持されていますから」
とうとうラキアになった。もしかしたら恋人なのかもしれない。それなら自分で守りたいと思うのではないだろうか。よくわからない。
「優希にそんなカリスマはあるように思えないんですけど」
「まあお身内はそう仰るかも知れません。しかし、わが国では英雄なのです。国秘兵器を動かした、英雄です。その事実は誰にも覆せません」
これが、ユウキを召喚した理由とその背景です。
イルバードはそう言って話を終えた。智里を見つめて、その目に力をこめる。
「お願いです、チサト。わが国を救うため、ユウキの帰還を待っていただきたいのです。急いては事を仕損じます。どうか、お分かりいただけないでしょうか」
智里もその目を見つめ返す。そして答えた。
「お断りします」