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現実の向こう側 4

 智里は憂鬱だった。残念ながら、今日はまだ始まったばかりだ。これから昼食と夕飯がある。家で食べるならあの母親のことだ、あと2回もあの男と顔を合わせなければならない。

「家にいたら顔を見る可能性は上がるよね」

 3度目は思わず手が出るかもしれない。何を口走るかわからない。

 外出することを決めた。財布の中身は1,500円とちょっと。通帳には入っているが、日曜日の手数料は薄給には辛い。いざとなったら下ろす覚悟を決めて、金曜日に下ろしておけばよかったと本日2度目の後悔をした。

「ファストフードで済ませるか」

 赤と黄色の有名ハンバーガー店なら2回食べても足りるだろう。

 開け放した窓の外は夏の空が広がっている。テレビニュースでも連日記録的な猛暑だと騒いでいる。

「今日も暑いよね」

 クローゼットを開けて、外出着を選ぶ。シンプルな七分袖のパーカーにジーンズを合わせる。セミロングの髪の毛は少し高めにお団子にした。

 日焼け止めを大目に、いつもの仕事用よりずっと軽めに化粧をして、そこではたと気付いた。

「あの男、まだ部屋にいるのかな」

 部屋を出るときに鉢合わせは困る。あと他に出口は一つ。

「窓…」

 ここは2階だ。この部屋の中で何かロープの変わりになるものは、と視線を動かす。

「シーツと、カーテン」

 窓に手をかけ下を覗き込んだ。高さに冷や汗が出る。

 ショルダーバックを肩にかけ、唾を飲み込んだ。

 智里は覚悟を決めた。



「あら智里、出かけるの?」

 智里は硬直した。ちょっとねと笑いながら玄関へと足を勧めようとする。

 リビングから母が出てくるところにばったりあったのだ。

 物語の中の自由奔放なお姫様のようにカーテンやシーツを繋いで窓からの脱走なんて、智里には出来なかった。学生のころから体育の成績は良くなかった。意地でも3は取ったが。

「抜き足差し足って、本当に朝から変よ、あなた。体調が悪いって言ってたじゃない。熱はないの」

 手をおでこに当てられた。少しかさついた、いつもと変わらない母の手に涙腺が緩みそうになる。

「大丈夫?熱はないようだけれど。今日は病院やってたかしら」

「さっき横になったから大丈夫!でもちょうど風邪薬切れてたみたいだから薬局行ってくるね!」

「あらそう、やっぱり風邪なのかしら。早く帰ってきて横になりなさいね」

「はーい!いってきます!」

 風邪を引いたにしては元気に手を振って、智里は玄関を飛び出した。下ろしたての黒いサンダルのヒールが音を立てる。

 智里がゆっくりドアを開けて様子を伺うと、幸いなことに優希の部屋は閉まっていた。イルバードに会わずにすんだが、とっさの嘘を言ったせいで風邪薬を買わなくてはならなくなった。母は細かいことを良く覚えている。買わないで帰ったら何を言われるか。本日3度目の後悔をした智里だった。



 とぼとぼと駅までの道のりを歩く。仕事場までの定期があるので、市立図書館で時間でもつぶそうかと思ったのだ。可能性は低いが、もしかしたら優希を助けるための手がかりがどこかに眠っているかもしれない。

 そして図書館に行ったら友人にでも会ったことにして母親に食事がいらないことを連絡すればいい。

「やっぱりお金下ろすか。今月使いすぎたかな」

「何に使ったんですか?」

「本買いすぎちゃったんですよね、読みたい新刊多すぎて」

 思わず答えを返して、智里は足を止めた。自分を追い越して足を止めた人物を見上げる。

「そうなんですね。相変わらずチサトは本好きですね」

 笑顔のイルバードがそこに立っていた。

「わたしもご一緒してよろしいでしょうか」



「これは美味しいですね。初めて食べました」

 イルバードは輝かしいばかりの笑顔で新発売のチキンタツタバーガーを頬張っている。色素の薄い顔にソースがついていた。

 ここは駅前の有名ハンパーガーショップ。日曜のお昼ということで、満席近くまで埋まっている。窓際のテーブル席から赤ん坊の泣き声が響いてきた。

「つい最近発売になったばかりですからね。高いですし。ラフマンさん、そこ、ソースが付いてますよ」

「どうぞイルと呼んでください、チサト」

「結構です、ラフマンさん」

 赤ん坊の母親は泣いている子に振り向きもしないでベビーカーを揺らし、友人と話に盛り上がっている。もちろん赤ん坊は泣き止まない。周りの客もちらちらと迷惑そうに見ているが、全く意に介せずだ。

 それをぼーっと見ながら智里はオレンジジュースを啜った。自分の分のチーズバーガーは既に食べ終えた。

 お金を銀行で下ろし、お昼だけは一緒に取るということでイルバードに納得させた智里は、ハンバーガー店へ入ってから本日4度目の後悔をした。イルバードは財布を持ってきていなかった。

「もう少し左です。もう少し、ああ、もういいです。後でトイレでも行ってください」

 ソースをふき取らせることを断念した智里は、座りなおした。少しくらいソースが付いていようが綺麗な顔だ。このくらい人間味があったほうが緊張せず話せる。単刀直入に切り出す。

「私についてきた理由はなんでしょうか」

「知りたいことがあるでしょうから。人の目があるほうがチサトが落ち着いていられるでしょうし」

 ハンバーガーを食べ終えて笑顔のイルバードに対し、智里は渋面を作る。

「呼び捨て、止めてくださいって言ったでしょう」

 あと、落ち着かないからソース落としてきて欲しいんですけど。

 更にソースがついて人間味以上に面白みが出てしまい、笑いをこらえるのに必死になってしまった智里を見て、イルバードは顔を赤くしてトイレへと駆けたのだった。


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