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画面の向こう側 4



 夜道を走らせる。

 ネオンや電灯が途切れなく後ろへ駆け抜けていく。家路に急ぐ人や犬の散歩、ランニングに励む人々をオレンジや青白い灯りが照らしている。この光景が智里は好きだ。

 まるで物語やテレビドラマのように、人々の生活の一瞬を客観的に眺める。幸せそうなカップル、疲れたサラリーマン、コンビニ帰りの若い女性。そんなどこにでもある一瞬を、羨ましく思ったり、同情したり、幸せに思ったりする。

 街の灯りが無機質に人や道や建物を照らし出す。昼を思わせる明るい光、家の窓から零れる温かい光、タバコの熱い光、携帯電話の薄い光。それらを客観的に眺めることで、人の営みの温かさだったり理不尽さだったり、そういうものを再確認しているのかもしれない。

 ラジオもCDも付けていなかったので、車内は沈黙に包まれていた。イルバードが居心地悪そうに身体を動かす。

「図書館にはよく行かれるんですか」

 智里の運転をちらりと見ながらイルバードが話しかけてきた。智里は振り向かずに答える。

「そうですね。本を借りるのはもちろんですけど、考え事をしたいときとか、一人になりたいときとかによく行きます。9時まで開いているので、仕事のある日も行ったりしますよ」

 そうですかとイルバードは呟いた。また沈黙が訪れた。

 信号が赤に変わり、智里は車を止める。

 小さく、わからないくらい息を吐いた後、智里は呟いた。聞こえていないなら、それでいい。

「昔から本が好きなんです。本そのものも好きですけど、物語が好きなんですよね。その世界っていうんでしょうか、自分じゃない自分になれるような気がして。子供っぽいですけど」

 信号から目を離さずに笑う。イルバードの髪がさらりと揺れた。恐らく首を振ったのだろう。

「物語の主人公と一緒にいろんな感情や、問題をわかったつもりでいました。でも、それだけじゃだめなんですね。もっと周りに目を向けなくちゃいけない」

 歩行者が智里たちの前を横切っていく。女子高生たちが何人か楽しそうに喋っている。

「私、イルバードさんの話を聞いてきて、大体のことを理解してきたつもりでいたんです。でも、頭で理解していても、心で感じられなければ、それはただの知識なんですよね」

 そして知識に感情は付随しない。ただ彼らを憐れむことしかできない。智里はどうやっても部外者でしかいられない。

 優希の問題だけでなく、ウェルテスやラキアに好意を感じている今は、傍観者だけでいなければならないことが更に悔しい。

 それをイルバードに言うつもりはなかった。ただの言い訳にしかならないことをわかっていた。

 もうこれ以上は何も言うまいと口を噤んだ。

「チサト」

 さっきからこの人は名前しか呼んでいないなと頭の隅で笑った。

 後ろからクラクションが鳴った。前を見ると青信号になっている。慌ててアクセルを踏んで車を発進させた。勢いのままシートに体が押し付けられ息が詰まる。

「ごめんなさい」

 急発進をしたことに謝って、ハンドルを右に切った。



 図書館というものは静かで落ち着く場所だ。少なくとも智里にとってはそうだ。本という存在に囲まれた空間は、幼い頃から智里にとって幸せで大切な場所だった。

 字を読めるようになってから母に連れられて図書館に来たときは、まるで宝石箱の中にいるように輝いて見えた。あの感動はもう薄れてしまったけれど、それでも田舎の家に行ったときのような落ち着いた気分になる。

 夜の8時を過ぎて学生ばかりが目立つ図書館の中、共有スペースの端の一角で、智里とイルバードは向かい合っていた。

 重苦しい雰囲気が漂っている。今はそれを振り払う気もせず、智里はただ黙り込んでいた。

 その重い空気を感じ取ってか、同じテーブルに着いていた男子高校生は後から来た二人を何度か見て、居心地悪そうに帰っていった。申し訳ないなと思うけれど、今は許してねと自分勝手に心の中でお願いした。

 急発進をしてから今まで、会話らしい会話をしていない。イルバードも名前を呼んだきり、何も発しなかった。

 この人は何のためについてきたんだろう。窓ガラスに映った金色を盗み見る。

 私は慰めて欲しいのだろうか。自分から拒否したのに?

 放っておいて欲しいのだろうか。ついてくることを許可したのに?

 自分の気持ちがわからなくて苛々する。八つ当たりしてしまいそうになる。それは嫌だからと、言葉を飲み込んだ胃がムカムカする。

 焦点が窓ガラスに反射している自分の顔に合った。暗く澱んでいる。そのくせ明かりに照らされて瞳だけ光っている。なんてひどい顔だろう。まるで死に損ないの獣だ。痛くて痛くて楽になりたいのに、それでも生きている獣だ。

 全てを知りたいと願うのに、全て知ることはできないと諦めている。

 自分は部外者にしかなれないと決めて、知らないことに言い訳をしている。

 知りたくないことを知ってしまったとき、知ったことを投げ出して耳を塞いでしまいたかった。

 それでも獣が生きたいと渇望するように、智里も知ることを望んでいる。優希のためだけでなく、自分のために、あの世界に近づくことを望んでいるのだ。

 瞬きをした自分の目に写る光が、ほんの少し色を変えた気がした。

「イルバードさん」

 前に座っている人の名前を呼びながら顔を上げたとき、周りの音が聞こえないことに気がついた。イルバードが結界を張ってくれたのだ。ずっと考え込んでいる智里を気遣ってくれたのだろう。

 名を呼ばれた魔術師は微笑んでいながら瞳を不安げに揺らしている。きっと、ずっと智里が顔を上げるのを待っていたのだ。心配でも声をかけず、周りの音が邪魔をしないように遮断して、智里が顔を上げたとき安心できるようにただ笑顔を浮かべて待っていたのだ。

 その心遣いに胸の奥がふわりと温かくなった。

「落ち着きましたか」

 問われて頷いた。すると心配の色を払拭して、イルバードが嬉しそうに微笑む。

「やっと笑いましたね」

 どうやら気付いていなかったが笑えていたようだ。それに気付いて目を伏せた。

 胸の中の温かさが心地よい。人の気持ちはこんなにも温かいものだと思い出した。

 今日の智里はそれすらも受け取れないほど落ち込み、焦っていたのだ。そんな自分に苦笑すらでない。社会に出てもう何年も経つのに、まだまだだなと思う。

「やっぱりチサトは笑っているほうがいいと思います」

 少しも照れずイルバードは言う。その表情を見て、智里はイルバードがなぜついてきたのかわかった気がした。

 たぶんだけれどと、智里は思う。この人は私を本気で心配してくれていた。ウェルテスや、ラキア、優希たちのことと同じくらいに。もしかしたら、それ以上に。

「ずっと難しい顔をしていましたね。わたしもまだ話しきれてないことが…チサト?」

 惚けていた顔をしていたのだろう、イルバードは怪訝な顔をして名前を呼んだ。慌てて首を振り、愛想笑いを浮かべる。

 イルバードが不思議な顔をしたとき、気の抜けた音が響いた。優希からの着信だ。

 互いに目を合わせて頷いた。

 





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