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感情の向こう側 2


 家に帰ると、まだイルバードは帰っていなかった。

 台所の母にお帰りなさいと声を掛けると、食事の支度の手を止めてこちらを振り向いた。

「浩次ったら、いい年した男が泣きそうになってるんだもの、面白かったわよー。しかも、ぎっくり腰の原因なんだと思う?」

「わかんないけど、包丁向けないでよね」

 智里はティーポットに茶葉を入れながら呆れる。自分も部下に同じ事をしていたのは忘れたことにした。

 母親は包丁を置いて、手を拭いた。

「呆れちゃうわよー。あれの原因って、くしゃみだって」

 ちょっと休憩させてね。そう言ってダイニングの椅子に座った。

 お湯の中で茶葉が舞って芳醇な香りが花開く。カップを取り出して母親の向かいに座った。

「意外といるみたいよ、そういう人。本当に帰ってきちゃって大丈夫だったの?」

「大丈夫よ。おじいちゃんもまだ元気そうだし、おばあちゃんも浩次の世話ができて喜んでたわよ」

 そういうものなんだろうか、智里は少し考えたが母が言うんだから間違いではないだろう。

 琥珀色の液体をカップに注ぎ、母に手渡してやる。嬉しそうに受け取って、カップから立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込んでいた。

「やっと落ち着いたわ。智里の淹れる紅茶はやっぱりいいわね」

 褒められてすこし胸がくすぐったい。智里は照れを隠すように、カップに小さく口をつけた。

「そうそう、昨日は大丈夫だった?」

「あっつ!」

 熱湯が思い切り口に入ってしまった。舌がぴりぴりする。智里は相変わらず猫舌ね、と母は紅茶をすすった。

「大丈夫って…なにが?」

「ご飯とかは智里がいるから心配はしなかったんだけど、あなたちょっと前までイルさんを気にしてたでしょう。前は全然平気だったし、今もだいぶ平気になったみたいだけど」

 大丈夫かなって。微笑む母は小首を傾げた。

 その仕草は微笑ましいが、引っかかる言葉があった。

「まえ?」

「ええ、2年前だったかしら、前にイルさんが来たとき」

 どういうことだろう、前回の召喚の記憶も一緒に置換されるものなのか。イルバードに聞くことはまだまだたくさんありそうだ。

 内心焦りながらも、母の言葉に合わせて智里は苦笑した。

「ああそっか。うん、なんか久しぶり過ぎて忘れちゃったみたい。なんかごめんね」

「あら、謝るのはわたしじゃなくてイルさんにでしょう。あんなに懐いてたのに」

 衝撃的な言葉が聞こえて智里は持ち上げたカップを傾けずに下ろした。眉を寄せて母を見る。

「懐いてた?」

「懐いてたわよー。出掛けるときは付き合ってあげたり、観光に連れて行ってあげようってガイドマップ買ったり」

 そういえば、本棚にこの県の観光ガイドが挿してあった。なんで地元の観光ガイドがあるんだろうと不思議に思っていたが、そういうことだったのか。

 だが、問題はそこではない。

「智里はイルさんが好きなのね」

 思わず机に突っ伏しそうになった。母は他意なく言葉に出したのだろうけれど、今の智里にはダメージが大きすぎる。

 笑顔で紅茶を飲み干す母をなんとなく苦い思いで見やり、智里はため息をついた。



『手配ができたら、おれはローゼンスの王子さんに会いに行くつもり』

 定期報告では、いつもと違い優希は真面目な顔をしていた。隣に座るラキアージュも硬い顔をしている。

 事態が進展したのだ。


 優希は昼間、ふと思い立って独立戦争を勝利へと導いたあの「兵器」を一人で収納庫へ見に行った。

 そこで襲われたのだ。

 突然、天井の辺りから矢が放たれた。

 幸いにも優希に怪我はなかった。兵器のメンテナンスをしていて、バリアが発動していたためだ。

 バリアに跳ね返された矢は床に転がり、それを優希が目で追ったときにはもう侵入者の気配はなかったということだった。


『魔力充填、ちゃんとしてるんだな。助かったよ』

 優希は苦笑するが、顔色は悪かった。一歩間違えれば怪我どころか、命が危なかったのだ。

『ユウキが狙われるなんて、わたくしの落ち度ですわ。チサト、ごめんなさい』

 ラキアージュは悔しそうに唇を噛む。その彼女も顔色が悪い。

 智里は口を噤んだまま微笑んだ。今口を開けばきっと、嫌な言葉しか出てこない。

『姫さんが狙われた方にはなかったが、今日はその矢に毒が塗られていた。ローゼンスの暗殺者がよく使う毒だ』

 優希は常になく冷静だった。いや、いつもはわざとお茶らけているだけで、根は真面目なのだ。

 智里は胸がつぶれる思いだった。こんなとき優希の傍にいれば抱きしめてあげられるのに。

 今一番辛いのは確かに優希だが、危険な状況をただ見ているだけの智里もまた辛かった。

「一人で行くつもりですか」

 イルバードの問いに、優希は首肯した。ラキアージュは眉をぎゅっと寄せたが、何も言わなかった。

「できるだけ、定期報告はしてください」

『わかってる。子機を持ってくし、今充電してもらってる。だから大丈夫だって。姉ちゃんも、そんな顔するなよ。たった1週間かそこらで帰って来れるよ』

 ため息をついたイルバードに、優希は困ったように頭を掻いた。ラキアージュは少し笑顔を浮かべて、二人を見ている。

 それらを見て智里は思う。

 何が大丈夫だって言うのだろう。

 優希はウェルテスの勇者だ。しかし、ローゼンスにとっては敵だ。もっとも憎い相手のはずだ。そんな中を一人で行くなど、無事で済むはずがない。誰もがわかっている。

 しかし誰一人、優希を止める者はいない。誰も止められない。

 智里はぐっと手を握りこんだ。やっとの思いで口を開く。余計なことを言わないように。

「気をつけてね」

『行ってきます、姉ちゃん』

 優希はまだ青い顔に笑顔を浮かべて頷いた。

 智里も微笑んだが、笑えているかわからなかった。

 


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