平凡の向こう側 3
「ユウキ、あなたはいつもいつもタイミングというものを」
『姉ちゃん、イルのやつ何怒ってるんだ?』
開口一番文句を言い出したイルバードに、優希は困惑した。智里も困って首をかしげることで答えた。
それより、と口を開く。
「一体どうしたの、いつもは夜しか通信しないのに。何かあったの?」
智里が尋ねると、優希は泣きそうな顔をした。20歳になるのに、相変わらずこの弟は子供っぽさが抜けない。
優希はなぜか内緒話をするようにこそこそと話し出した。
『それなんだよ、姉ちゃん。助けてくれよ』
『ユウキ、そこにいらっしゃるの?』
画面の奥から女性の声が聞こえた。その声を聞いて不機嫌だったイルバードが反応した。優希の顔が強張った。
「ラキア!?」
『あら、イル兄様とお話してらしたの?お久しぶりですわ』
物陰から綺麗な金髪の美少女が画面に現れた。瞳は青みががった緑でまるで宝石のように輝いている。裾がふわりと広がったドレスには細かな刺繍が施されている。絵に描いたようなお姫様だった。
「イルバードさん、この方が…」
「ええ、紹介します。この方がラキアージュ皇女殿下です。ラキア、こちらがユウキの姉君のチサトです」
「智里です、お目にかかれて光栄です」
ソファーから床へ腰を下ろし、智里は一礼した。ラキアージュは優雅に微笑むと、どうぞおかけになってと可憐な手を差し伸べた。
『ラキアと呼んでください。わたくしもチサトと呼ばせていただきますわね。記憶が変わっていないとユウキから聞きましたわ。大変でしたわね。そして、わたくしはチサトに謝らなければいけません』
止める暇もなくラキアージュは床に膝をついた。隣でイルバードが息を呑んだ。画面の優希も驚いている。智里はただそれを見ていた。
『突然、弟君をお借りしました。この無礼を心からお詫び申し上げます』
「ラキア!いけません」
頭を下げたラキアージュに、イルバードが静止の声をかける。しかしラキアージュはそのまま頭を下げ続けた。智里はラキアージュの後頭部を見つめている。
「ラキアージュ様!」
ゆっくりと顔を上げ、名前を叫ぶイルバードを睨んだ。イルバードの眉間には皺が寄っている。二人の間で火花が飛び散ったように見えた。
口を開いたのはラキアージュだった。
『何をいけないことがあるのです、イルバード。あなたは皇女のわたくしが膝を付いてはいけない、頭を下げるのはいけないと仰いますの?事情があったにせよ、わたくしたちが原因で肉親が突然いなくなったのですわよ。ご家族の方はどんなに心を痛めているか、解らないわたくしではありません。記憶が変わっているかどうかなんて問題ではないのです。皇女として、次期ウェルテサザーラント皇としてだけではなく、わたくしは』
新緑が意志を携えて光る。その瞳が智里を見上げる。智里は視線を逸らさず、しっかりと受け止めた。それを受け取って、ラキアージュは再びイルバードに食って掛かった。
『わたくしは、人として誠実でありたいと思っています。心から謝りたいと思えば、自然と身体は折れるものでしょう?人の上に立つものだからこそ、仕方のないことだと諦めず、悪いことをしたらごめんなさいと言えることが大切であると信じているのです。そうでなければ民はついてこない。そう言ったのはそもそもイルバディード、あなたでしょう!』
イルバードは言い返せず、口を開いたり閉じたりしている。この表情どこかで見たと思いつつ、智里は視線をラキアージュに戻した。もう一度ラキアージュは頭を下げる。
画面の金髪を困ったように見下ろして、優希に目をやると、意外にも真面目な顔をして智里を見ていた。
それを少し寂しく感じて、だが少しほっとして智里の肩から力が抜けた。
ラキアージュ様、と呼びかけた声が小さく感じて、智里は腹に力を入れた。今度は満足できる声を出せた。
「ラキアージュ様、どうぞ腰を上げてください。お洋服が汚れてしまいます」
『イルの負けだな』
弾かれるようにラキアージュが顔を上げる。優希が嬉しそうに笑った。智里の隣では口をへの字にしたイルバードが肩を落とした。その様子をみて三者三様に笑う。
肩を揺らしながら、空になっていたイルバードのカップへ紅茶を注いだ。
目を伏せて智里は言う。
「正直を言えば、あなた方の行為はそうそう許せることではないと思います」
『チサト』
ラキアージュは眉尻を下げた。イルバードと優希は智里を見ている。
『そうですわよね。許してほしいなどとわたくし達が言うことがおこがましいですわ』
「でも私は、ラキアージュ様を信じます」
優希はほっとした顔をした。それを見て智里も笑顔になった。少し苦笑も混ざったが。
「私は、ウェルテスという国を知りません。誰がいて、どんな暮らしをしているか知りません」
ラキアージュは嬉しそうな、だが戸惑った表情をしている。智里が何を言うか心配しているのだろう。
「ですが、ラキアージュ様のお気持ちを知りました。あなたならきっと、ウェルテスという国の、よき指導者になれると思います。何より、優希がウェルテスを大切に思っています。あなたを守るため行動している。いくら協力しなければ帰れないと知っても、嫌なものは嫌という弟ですから。優希が協力すると決めているから、私にはもう口出し出来ません」
そう言うと、優希は頭を掻いた。照れくさいのだろう。イルバードもいつもの笑顔を取り戻した。
「二人には話していますが、私も精一杯お手伝いをさせていただきます。どうぞ、よろしくお願いします」
お辞儀をすると、画面の上から安堵の息が聞こえてきた。優希が笑っている。
『こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。チサト、ありがとう』
顔を上げるとラキアージュが笑いかけてきた。先の綺麗な笑顔より年相応に見える。
智里も嬉しくて笑った。
『チサトは笑うと本当に素敵ですわね、イル兄様』
紅茶を飲んでいたイルバードが咽る。気管に入ったのかとても苦しそうだ。慌てて背中を擦ってやる。
『いつもは暴力的だけどな』
優希がまた子憎たらしく口を開く。それに言い返そうと智里が口を開こうとした。
『まあ、ユウキのような方が弟では多少暴力的になったとしても仕方ないんじゃありませんの?そもそもいつもユウキがそのように喧嘩を売るのでしょう。自業自得というものではございませんか。わたくしもチサトのような姉上がいたらよかったのに。そうだ、わたくしもチサトお姉様とお呼びしてもよろしいかしら』
怒涛の喋りに度肝を抜かれた。思わずイルを見ると、咳き込みながら「このような方ですので」と涙目で言われた。
『いやいや、おかしいだろそれ』
『あら、ユウキに聞いていませんわよ。というかまずあなたは口の利き方がなっていませんわ。年上を敬いなさいと言われませんでしたの?イル兄様に対してもそうですわね。きっと教えてもユウキが聞いていなかったんでしょう。高が知れますわね』
『なんだと、黙って聞いていれば言いたい放題』
『あら反論できない方が何を仰います』
二人の口論を呆気に取られて見ていた智里にイルバードがいつものことです、と声をかけた。
「少しすれば二人とも落ち着きます。気にしないで待ちましょう」
「はあ、そうですか」
落ち着いてきたイルバードが紅茶を飲む。それを見て智里もカップを口へ運ぶと、結構冷めていた。申し訳ないと思いながら席を立ち、お湯を沸かす。改めて温かい紅茶を淹れなおすまで、ラキアージュと優希の言い争いは続いていた。