【第3話:僕は……今日から、カレーのために戦う暗黒の勇者だ!!】
【第3話:僕は……今日から、カレーのために戦う暗黒の勇者だ!!】
「……はぁ、はぁ……。正義は……正義は死なない……ッ!」
霧の立ち込める谷底で、アレスは一人、折れた木の枝を握りしめていた。
聖剣を失い、勇者の称号を奪われ、文字通り〝裸一貫〟で放り出された少年。
彼は自分に言い聞かせるように、夜の闇に向かって素振りを繰り返す。
「これは……試練なんだ。預言書にある〝勇者は一度全てを失い、無の境地から真の力を得る〟という、あれなんだ……!」
しかし、その直後。
ギュルルルル……と、情けない音が谷底に響く。
「……お腹が、空きすぎて……視界がセピア色だ。……そういえば、昨日の昼から何も食べていないな……」
彼は足元に生えた、不気味に青白く光るキノコを掴もうとしたが、あまりの毒々しさに思い留まった。
「……いや、落ち着け。勇者は、こんな道端の怪しいキノコで死んじゃいけない……」
勇者としての最後の理性が、彼の命を繋ぎ止めていた。
※※※
「なんだこの乗り心地は。戦う前に酔いそうだぜ」
過剰なまでに飾り立てられた〝勇者専用馬車〟。そのふかふかすぎるシートに深く沈み込み、テラは不機嫌を全身から垂れ流していた。
「……それに、沿道の男たちのあのツラを見ろ」
窓の外を睨みつけ、テラは舌打ちする。
「賞金首だった頃は石を投げてきたくせに、聖剣を持った途端に手の平を返してヘラヘラと……反吐が出るな」
御者台で手綱を握るセレネは、前方を向いたまま、その白銀の髪を風に揺らして淡々と応じる。
「……テラ様。不機嫌なのは結構ですが、あまり身を乗り出すと危ないですよ。それから、その〝反吐が出る〟という発言……勇者としての素行調査報告書に、後でしっかりと記載しておきますね」
「おい待て、セレネ!そんな余計なことまで書かなくていいんだよ!」
『ははは、いいじゃないか。今は〝英雄様〟としてチヤホヤされてるんだ。悪い気はしないだろ?』
テラが慌てて身を乗り出すと、鞘に収まった剣が愉快そうに震える。
『……だがテラ、気付いているか?政府の連中、お前が魔王に勝とうが負けようが、どっちでもいいって顔をしてるぞ』
「わかっている。あのいけ好かない大臣、私を魔王軍とぶつけて共倒れにさせ、漁夫の利をさらうつもりだろう。……けどな」
テラは窓の外、沿道で必死に手を振る数人の少女たちを見つけると、先ほどまでの不機嫌が嘘だったかのように、優しい微笑みを送った。
「魔王の城にさらわれた女の子たちがいる……。その話が本当なら、政府の薄汚い企みなど知ったことか。私がやるべきことは、ただ一つだ」
「……同意します。理由はどうあれ、泣いている女の子を見捨てるのは、私のポリシーに反しますから」
セレネは表情こそ変えなかったが、その青い瞳にわずかな信頼の光を宿し、手綱を握り直した。
「目的地まで加速します。テラ様、舌を噛まないようご注意を!」
「……ははっ、いいじゃないか。行くぞ、ガイア、セレネ!仕事の時間だ!」
※※※
――ズル……ズル……。
もはや一歩も歩けないほど消耗したアレスが、吸い寄せられるように辿り着いたのは、異様な魔力を放つ洞窟だった。
「……なんだ……。この、脳を直接揺さぶるような……暴力的なまでのスパイスの香りは……ッ!?」
闇の中から、一筋のスポットライトに照らされた〝究極の皿〟がせり上がってきた。
それは、大振りの具材が溶け込み、飴色になるまで煮込まれた、黄金のカツカレーであった。
「……ククク。よくぞ辿り着いた、運命に棄てられし仔羊よ」
謎の影が、闇の奥から低く不気味な声をかける。
「……カ、カレー……。……あ、熱々の、揚げたてのカツが二枚も……!」
アレスはよだれを垂らしながら、目の前の皿を凝視した。
「お食べ。これは〝闇の契約 (スパイシー・エディション)〟だ。……アレスよ。お前は光を信じたが、光はお前に一粒の米すら与えなかった。」
闇の中から、黒紫の魔剣――〝サタンブレイド〟が浮上する。
「……だが闇は違う。闇は、お前のその〝空腹〟も〝惨めさ〟も、すべてコクとして飲み込もう。この剣を握れ!そうすれば、お前に世界を平らげる力を与えよう」
「平らげる……世界を、このカレーのように……?」
「……ああ。そして、このカレーは、お前の〝闇の勇者就任祝い〟としてタダで提供してやろう。……福神漬けも、らっきょうも、使い放題だ」
「……本当ですか?……おかわり、してもいいんですか?」
アレスの濁った瞳に火が灯る。
「ああ。好きなだけ、皿を舐め尽くすがいい」
アレスは、震える手で魔剣サタンブレイドの柄を掴んだ。その瞬間……
――ドォォォォォォン!
雷鳴が轟き、アレスの鎧は漆黒に塗りつぶされ、トゲトゲのついた〝闇の勇者装備〟へと再定義される。
「……契約、完了だ。……さあ、カレーを!!」
猛烈な勢いでスプーンが皿を叩く音が鳴り響く。
「う、うまい……!!闇の力、スパイシーすぎる!!聖剣なんて最初からいらなかったんだ!!僕は……僕は今日から、カレーのために戦う暗黒の勇者だ!!」
(……史上初だな。カレーの匂いだけで闇に落ちた勇者は。……まぁいい、扱いやすそうだ)
こうして口の周りをカレーだらけにした、史上最も空腹な闇の勇者が誕生した。
彼は聖剣を持つテラへの復讐(と、おかわり)を誓い、闇の咆哮をあげるのであった。




