佐野由佳は仲良くなりたい ③
由佳がバスケ部の部室の前に行くと、恵が後ろから声をかけた。
「お待たせ! じゃあ、一緒に帰ろうか」
「うん」と言った由佳は少しだけ顔を赤らめていた。
恵と二人きりで一緒に帰ることのドキドキがあった。
恵はブレザーの制服に着替えて、肩にはスポーツバッグを掛けている。
「あのさ……」と由佳は言う。「今日は一緒に帰ってくれてありがとうね」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。あれからずっと楽しみにしていたよ」
「ねぇ、恵は理系科目が得意って本当? わたしは苦手なんだよね」
「まぁな。どちらかというと得意な方だと思う。綾乃から聞いたのか?」
「うん。中学生の時は数学で一位になったことがあるって聞いたよ」
「そんなこともあったかもな。まぁ、文系科目の方は全然駄目なんだけどね。その点、綾乃はどの科目も優秀らしいじゃん」
「確かに綾乃はすごく勉強ができる。中学生の時は、総合成績で一位だったこともあるんじゃないかな」
「まじか。それはすごいな。綾乃、そんなこと全然言ってなかったぞ」
「綾乃は謙虚だから、そう言うことを隠したがるんだよ。それも綾乃の尊敬できるところなんだけどね。綾乃はすごいんだから、もっと自信を持てば良いのに」
「確かにそうだな。綾乃はもっと自分に自信を持つべきだ。ところで、由佳が得意なものって何だ? わたし、由佳のことが知りたいんだ」
「わたしの得意か……強いて言うなら、英語が話せるところかな。わたしアメリカで生まれたから。でもそのくらいで、わたしが誇れるものなんて何もないよ」
「おぉ、それはさすがだ! 英語が話せるなんてかっこいいじゃないか。それだけでも十分、誇れるところだぞ。わたしは国語が苦手だが、英語もあんまり得意じゃないんだ。何なら由佳に教えて欲しいくらいだよ」
「それくらいなら、いつでも教えてあげるよ。ちょうどこの前、杏奈にも教えてあげたんだ。杏奈も英語に苦労しているみたいだけど、経験あるのみって教えたら、わたしにもできるかもって言ってくれたよ。英語は経験さえ重ねれば、誰にだってできるようになる。なんせ人間が作った単なる言語だからね。難しい理論とかは必要ない」
「そうなのか。それは頼もしいな。今度さっそく教えてくれ」
「いつでもいいよ。じゃあ、恵が得意なものって何? わたしも恵のことが知りたい」
「わたしは数学の他には美術が得意かな。絵を描くのが好きなんだ」
「へぇ、そうなんだ! わたしも、絵を描くのは好きだよ。共通点を見つけられて嬉しいな。まぁ、わたしはあんまり上手ではないんだけどね」
「そうか。なら、今度一緒に絵を描きに行こう。二人で絵を描いたら楽しそうだ」
「ほんと? それはいいね! わたしも恵と一緒に絵を描きたい」
恵と一緒に何かをする。それを想像するだけでとても魅力的なことに思える。
「そういえば、由佳はどうして初対面のわたしを誘ってくれたんだ?」
「それは……」そこで由佳は顔が赤くなる。「恵がとても綺麗な人だと思ったんだ」
そう言われて恵も照れてしまう。「そうか……それはありがとう」
そこからぎこちない無言の時間が二人に流れる。由佳はどうすればいいのか困ってしまう。
何を話せばいいのだろう? 恵から何か話してくれたらいいのだけれど。
そこで恵が何の前触れもなく言い出す。
「手、つなぐか?」そう言った恵は、途端に顔が赤くなる。
「すまん、いきなり変なことを言って。いつも石黒と綾乃のことを見ていて思うんだ。一緒に手を繋いでいてうらやましいなって。いま言ったことは忘れてくれ」
そこで由佳は恵の手を握る。由佳は恵が言ってくれたことが嬉しくなる。
「わたしもこうしたいなって思っていたんだ。恵には一目惚れだったんだよ」
「そうか……それはとっても嬉しい」そう言って恵は由佳の手を握り返す。
由佳は胸がドキドキしている。恵はどう思ってくれているんだろう?
「何だか恥ずかしいね」と由佳が言う。
「そうだな。でも何だか嬉しい気持ちだ」
「そうだね。わたしも恵と手を繋げてすごく嬉しい」
そうして由佳と恵は手を繋いで歩いていく。しばらく二人は何も話さない。
やがて二人は夙川駅の改札口に着く。二人はどちらからともなく手を離す。
「き、今日はありがとう」と由佳は言う。
「こ、こちらこそありがとう」と恵が言う。
二人とも今日の急展開を思って、ぎこちなくなっている。
「また一緒に帰ろうね」と由佳が言う。
「もちろんだ、また一緒に帰ろう。じゃあね」
そう言って恵は反対側のホームに消えていく。由佳の家は甲東園にある。
由佳はドキドキしながら、今日の出来事を思い返す。恵と一緒に手を繋いで歩いた。
それは由佳にとってどれほど幸せな出来事だったか。由佳は心が温かくなる。
思えば、今までこんな幸せな気持ちになったことはなかった。
むしろ、今までたくさんのつらい経験を重ねてきた。
気がつくと由佳は過去の記憶を辿っていた。
中学生の頃、由佳はいじめに遭っていた。そこから助けてくれたのが、杏奈と綾乃だった。その時のことを由佳はよく思い出す。その度に感謝があふれてくる。
いじめが始まったのは中学一年生の二学期だった。
由佳はある男子生徒に告白された。それを由佳は断った。
「ごめんなさい。あなたのことは恋人としては見られないです」
そこから悪い噂を流されるようになった。男とよく遊んでいるという噂だった。
由佳は男子との関わりがほとんどなかった。だからそれは根も葉もない噂だった。
でもその噂は広まっていき、男子生徒たちからは性的なからかいの言葉をかけられるようになった。女子生徒たちからは蔑むような悪口を言われた。
それは由佳にとって、もちろんつらいことだった。本当のわたしはそんな人じゃないのに。今までわたしは誰かとお付き合いをしたこともないのに。
やがて由佳は一部の男子生徒たちから、性的ないじめを受けるようになった。
人目のない場所に連れて行かれて、体のいろいろな場所を触られた。それは乳房や性器にも及んだ。由佳に快感は一切なかった。そこには恐怖だけがあった。
あるいは、男子生徒の性器を無理やり触らせられた。それを由佳はひたすら苦痛と共にやり過ごした。
早くこの地獄のような時間が終わってほしい。それだけを由佳は考えていた。
中学二年生になって、いじめは終わりを迎えた。
それは同じクラスとなった杏奈が止めてくれたからだった。
ある日も由佳は体育倉庫で性的ないじめに遭っていた。由佳は心を無にしてされるがままになっていた。そうしなければ自分の心がもたないと思っていた。
そんな時、杏奈がいきなり体育倉庫に飛び込んできた。
由佳はその瞬間、安心して涙が流れた。由佳を見た杏奈は男子生徒たちに言った。
「あんたたち、何をしているの! 今すぐにその子から離れなさい」
そして彼女は男子生徒たちを次々と締め上げた。運動神経がいい彼女の制圧に男子生徒たちは歯が立たなかった。
「あんたたちのことは絶対に許さないから」
そう言って杏奈は由佳を連れ出してくれた。教室に戻るとそこには綾乃も待っていた。
そして綾乃は涙を流しながら由佳の体を労ってくれた。
「大丈夫? もう安心だからね」そう言いながら綾乃は泣いていた。
わたしのために泣いてくれる人がいるなんて。そのことが由佳には嬉しかった。
そうして由佳は、杏奈と綾乃に救われた。由佳は感謝の気持ちでいっぱいだった。
その気持ちをわたしはいつまでも忘れないだろう。由佳はそう思っていた。




