朝野恵は思い出す ③
恵は今日もバスケ部の活動に参加していた。
水分補給をしながら、練習試合をしている部員達の様子を見ていた。
今日のあいつは調子がいいなとか、あの先輩はちょっと疲れているなとか。
その中でも、石黒杏奈は一年生ながら活躍していた。先輩達を圧倒して点数を取りまくっていた。聞いたところによると、杏奈は中学生の時も大活躍だったらしい。
練習試合が終わると、杏奈が恵に話しかけてきた。
「よう、朝野。わたしのプレーはどうだった?」
「最高だったよ。わたしなんかよりはるかに上手い」
「本当? ダメなところは何もなかった?」
「あえて言うとすれば、実力差があるから仕方ないかもだけど、石黒は個人プレーに走りがちだ。仲間のプレーをアシストするという視点が足りないかもしれない」
「やっぱりそうか。それは自分でもなんとなく感じているんだ。もっと周りを生かすプレーをしなくちゃいけないって。でも性格の問題なのか、わたしは試合に熱中するとつい自分だけで突っ走ってしまう。周りが見えなくなってしまう。それはチーム戦ではいつか致命的になると思っているんだ。でも、どうしたら直せるんだろう?」
「普段から意識づけをして修正していくしかないんじゃないか? それは一朝一夕で直るものではないだろう。わたしも他の部員と協力して、試合中に声掛けをするようにしてみるよ」
「ありがとう。ところで、綾乃とは最近どう? 今でも仲良くしている?」
「それは大丈夫だ。最近はよく一緒に昼ごはんを食べている」
「そうなんだ! わたしは他にも友達がいるから、どうしても放課後以外で綾乃と一緒にいることができなくて。それで綾乃にはずっと悪いなって思っていたんだ。でも、わたしにとって他の友達も大切だから、なかなか時間を作ることができなくて」
「気にすんな。綾乃だってそのことは理解してくれているさ。この前も綾乃は言っていたよ。杏奈にはわたしと過ごす以外の時間も大切にして欲しいって」
「綾乃がそんなことを……なんか嬉しいと同時に申し訳なくなっちゃうな。その分、放課後は綾乃のためにいっぱい時間を使うんだから」
「おう、そうしてやってくれ。綾乃は石黒との時間がいちばん楽しいみたいだから」
「朝野もありがとう。わたしたちのことをいつも気遣ってくれて」
「何を言っているんだ。わたしがやりたくて勝手にやっていることだ。それに、綾乃と一緒にいるのはわたしにとっても楽しいんだ。綾乃ってとても良いやつだからな」
「だよね! 綾乃っていいやつだよね。綾乃の自己肯定感が低いところ、わたしにはもったいないなって思うんだ。あんなに素敵な子なのにね……まぁ、綾乃のそういうところも可愛いんだけど」
「またノロケかよ。石黒と話す度に、綾乃のノロケ話を聞かされている気がするよ」
「そう? わたしはノロケているつもりなんてないけど。だって綾乃が可愛いのは単なる事実じゃん。わたしは厳正なる事実を言っているまでだよ」
「はいはい、分かったよ。そうしていつまでも仲良くしていろ。絶対に綾乃のことを手離すんじゃないよ。綾乃には石黒が必要なんだから」
「分かっているよ。わたしは綾乃の手を絶対に離さない。わたしにとっても、綾乃は不可欠な存在だからね」
「良いねぇ。あんたたちのラブラブ具合を見ていると、こっちもヨダレが垂れてくるよ」
「なんで朝野がそこで興奮するのよ」
「わたしは百合が大好物なんだ」
「ちょ、なんでそのことを!」そう言ってから、杏奈はあわてて口を塞ぐ。
「やっぱりな。あんたたちを見ているとバレバレだよ。頼むから末長く幸せでいろよ」
「もう」杏奈は顔を真っ赤にする。それを見て、恵は声を上げて笑う。
「石黒もなかなか可愛いじゃねえか」
「ちょっと、からかわないでよ」杏奈は頬をふくらます。
「ほら、可愛いじゃん」恵は意地悪そうな笑顔で言う。
「そういえば、今日は早く帰らないといけないんだった」杏奈が表情を変えて言う。
「どうしたんだ? なんか用事か?」
「今日はお母さんの誕生日なんだ。わたしの家族と綾乃で一緒に誕生日会をするんだよ」
「そうか、準備もあるだろう? 綾乃もどこかで待っているだろうし、早く帰りな」
「ありがとう。そうするね」そう言って杏奈は体育館の外に駆け出していく。
家族の誕生日会か……と恵は思う。
わたしにはその記憶がない。だから石黒のことがうらやましく思える。
恵は三歳の頃に両親を亡くした。だから両親との記憶がほとんどなかった。
その年、日本を大きな震災が襲った。
当時、東北の海辺に住んでいた恵の両親は津波に流されてしまったらしい。遺体が見つかるのにもずいぶん時間が掛かったと聞いている。
その日、たまたま神戸の祖母宅に預けられていた恵は助かった。
それから恵は祖母に育てられることになった。ちなみに祖父は恵が生まれてすぐに癌で亡くなっている。
祖母は恵のことを愛情深く育ててくれた。だからそのことに不満はない。あるはずがない。
でも時折、恵は寂しくなることがある。もし両親が今でも生きていたら。
子供の頃は「両親に会いたい」と言ってよく泣いていたという。今と違って、子供の頃の恵は泣き虫だったそうだ。自分ではその記憶はほとんどないけれど。
でもひとつだけ、恵にも覚えている記憶がある。それは五歳の誕生日だった。
祖母に誕生日プレゼントは何が欲しいかと言われて「お父さんとお母さん」と答えたことを覚えている。そして、それを聞いた祖母の悲しそうな表情も覚えている。
わたしは祖母に対してひどいことを言ったものだ。そう言われた時の祖母の気持ちを五歳のわたしは何も考えていなかった。
それから祖母が自分の部屋で泣いていたことを知っている。恵はその後ろ姿をたまたま見てしまったのだ。その時、恵は言葉にできない後悔と申し訳なさに襲われた。
体育館で杏奈と別れた恵は、祖母が待っている六甲の家に帰った。
「おかえり」と祖母はいつものように笑顔で言ってくれる。
「ただいま」といつものように返すけれど、この日の恵は五歳の記憶を思い出して、少しだけ気まずくなっていた。
「おばあちゃん、お腹へった」と恵が言う。
「はいはい、もうすぐ出来ますよ」と祖母は言う。
祖母が作る夕食を待ちながら、恵はリビングでくつろいでいる。
でも心の中では、両親がいない寂しさが久しぶりによみがえっている。
良いなぁ。お父さんとお母さんがいるなんて。
もし両親が生きていたら、どんな日常をわたしは送っていたのだろう。
不意に恵の目に涙が浮かぶ。そんなところを祖母に見せる訳にはいかない。
恵はティッシュペーパーを取って、鼻水をかむふりをして涙をぬぐう。
そして恵は、料理をしている祖母のところに行く。
「おばあちゃん、なんか手伝うことはない?」
「そうねぇ、じゃあご飯をよそってくれるかしら?」
「分かった。そうする」
恵はそう言ってご飯をお椀に入れると、出来上がった料理から食卓に運んでいく。
「いただきます!」と恵が言う。
「召し上がれ」と祖母は優しい笑顔を見せる。
今日のメニューは、ハンバーグとサラダとだし巻き卵とご飯と味噌汁だった。
温かい食事が湯気を上げている。恵は料理をおいしく頬張っていく。
ここにはわたしの幸せがある。それを忘れてはいけないと恵は思う。




