岩本麗奈は悲しみを辿る ③
涼介が死んだ後、麗奈は自宅に引きこもっていた。
わたしは死んではいけない。その思いはあったけれど、だからと言って生きる気力は湧いてこなかった。何をするのも億劫だった。
自分の中から喜びや楽しみが無くなっていることに気づいた。
わたしは感情を失った。ただ絶望の中で命を消費しているだけだ。
麗奈は毎日、布団の中でうずくまって過ごした。何をすることもできなかった。
食事もろくに摂らなかったので、麗奈は徐々に痩せ細った。
ある日、連絡が取れなくなった麗奈を心配した清華たちが駆けつけた。
合鍵で中に入った清華たちは変わり果てた麗奈の姿に驚いた。
「大丈夫? 麗奈!」
清華がそう呼びかけたけれど、麗奈は反応する気力も残っていなかった。
「とりあえず病院に連れて行こう」
俊一の提案で麗奈は救急車に乗せられた。そして栄養失調の治療を受けた後、精神科に入院することになった。そこは涼介が勤めていた病院だった。
涼介の婚約者だったことを知った病院のスタッフは、麗奈を献身的に治療した。
涼介の同僚だった彼らは、麗奈に対する感情移入があった。
麗奈は重度のうつ病に罹患していた。薬剤治療を受けた麗奈は徐々に感情を取り戻していくのを実感した。同時に、涼介を失ったことによる悲しみが押し寄せた。
麗奈はベッドの上で涙を流すようになった。
そんな麗奈に、病院のスタッフも清華たちもなんと声をかけたら良いのか分からなかった。
ただそばに寄り添うことしかできなかった。それでも麗奈は嬉しかった。
涼介を失った悲しみを一人で抱え込むことには限界があった。
周りの人たちが一緒に悲しんでくれる。その事実に麗奈は多少なりとも救われた。
麗奈は徐々に涼介を失った悲しみに向き合うようになった。
わたしはこれから一人で生きていかなければならない。涼介と赤ちゃんの分まで、わたしは生きなければならない。こんなところで倒れている訳にはいかない。
それでも麗奈は、涼介を失った悲しみで何度も涙を流した。
孤独のつらさと生きることへの意志が交互にやってきた。
その中で麗奈は少しずつ生きるためのエネルギーを充電していった。
清華たちは毎日のように見舞いに訪れた。そこには小学生の杏奈もいた。
「麗奈ちゃん、元気になってね」そんな杏奈の言葉が、麗奈の心には優しく沁みた。
麗奈の入院生活は半年くらいで終わった。涼介を失った悲しみは消えないけれど、それでも以前のように自分で生活できるくらいには回復した。
退院した麗奈はいったん清華たちと一緒に暮らすことになった。
麗奈のことを心配した清華たちが提案したことだった。
一人きりになると何をするか分からない。いつか涼介の後を追いたくなるかも知れない。
自分でもそのことを心配した麗奈は、清華たちの提案を受け入れた。
麗奈は規則正しい生活を送ることを心がけた。
毎朝、清華たちと一緒に起きると、コーヒーを飲んで目を覚ました。
清華たちが家を出ると、麗奈も家を出て図書館に通った。
そこで涼介が生前に読んでいた本を一つずつ紐解いていった。
そうすることで麗奈は、涼介の存在を身近に感じることができた。
午後になると清華たちの家に帰り、おにぎりを食べた後で昼寝をすることが習慣になった。
杏奈が小学校から帰ってくるまで、麗奈は横になっていた。
杏奈が帰ってくると、一緒に宿題をしたり遊び相手になったりした。
そうして杏奈と過ごすことが、生きるエネルギーを充電する原動力になった。
清華たちの家には、杏奈が小学校を卒業するまでの一年くらいお世話になった。
新型コロナウイルスの流行で一時期、閉店していたスナックが営業を再開する時に、麗奈は一人暮らしに戻ってスナックで再び働き始めた。
そこには清華たちに迷惑をかけて申し訳ないという気持ちもあった。
今でも麗奈はよく涼介のことを思い出す。そして寂しくなって涙を流す。
それでも、今のわたしは涼介がいなくなったことを受容できている気がする。
新しい恋に進むつもりはないけれど、わたしは涼介の分まで精一杯に生きている。
涼介のおかげで一時的に消えていた虚無感は元に戻っている。
涼介のおかげで持っていた世の中への希望も消えている。
それでもわたしは生きている。それがきっと涼介の望んでいることだから。
どれほど孤独や虚無感に囚われても、涼介が繋いでくれた命をわたしは全力で生きなければならない。それがわたしの生きる意味なのだ。
そう思いながら、麗奈はコーヒーを飲んでいる。
そろそろ杏奈たちとの集合時間になる。麗奈は喫茶店のソファから重い腰を上げて、フードコートに移動する。そこでは既に杏奈たち四人が待っている。
「お待たせしてごめんね」と麗奈が言う。
「ううん。わたしたちも今、集合したところだよ」と杏奈が言う。
「今日はご馳走になります」と恵が言う。
「そろそろお腹が減ってきました」と由佳が言う。
杏奈たちは自分が食べたいものをそれぞれ注文しにいく。
いったん自分たちで食事代を払ってもらい、レシートを持ってきてもらう。
レシートに表記されている金額を、後から色をつけて杏奈たちに渡す。
杏奈たちは美味しそうに料理を食べる。
杏奈はラーメン、綾乃はハンバーグ、恵はカツ丼、由佳は天ぷらをそれぞれ注文している。
麗奈はたこ焼きとクレープを食べる。それを見て杏奈が言う。
「美味しそう……わたしにも一口ちょうだい?」
「しょうがないな。一口だけだよ?」
杏奈は熱そうにたこ焼きを頬張っている。
「やばい。一気に口の中に入れたからやけどしそう」
「もうちょっと落ち着いて食べなよ」
「ごめんね、麗奈ちゃん。次からは気をつける」
「たこ焼き、まだ食べる気なの?」
「だめ? 美味しいからつい食べたくなって」
「しょうがないな。あと一つだけだよ?」
「ありがとう、麗奈ちゃん! とっても優しいね」
「杏奈のことは甘やかすって決めているからね。今回は特別だよ?」
「えっ、ずるいです。わたしも麗奈さんに甘やかされたいです」と由佳が言う。
「しょうがないな。何が欲しいの?」
「わたしはクレープが一口欲しいです」
「いいよ。好きなだけお食べ」
「ありがとうございます!」
そう言うと由佳は大きな一口でクレープにかぶりつく。それを見た恵も言う。
「わたしも麗奈さんに甘えていいですか?」
「いいよ。何が欲しいの?」
「由佳の食べかけのクレープが欲しいです」
「そういうことね。好きなだけお食べ」
「ありがとうございます!」
そう言って恵は幸せそうな表情でクレープを食べる。
「じゃあ、わたしも恵の食べかけのクレープが欲しいです」と由佳が言う。
「しょうがないな。欲しいだけ食べていいよ」と麗奈は答える。
「わ、わたしもたこ焼きを食べてもいいですか?」と綾乃が言う。
「いいよ。今日はもうみんなにサービスしちゃう」と麗奈は答える。
そして、麗奈のたこ焼きとクレープは自分で食べる前になくなってしまう。
麗奈は「しょうがないな」と嬉しそうにため息をつく。




