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体育祭とワイングラス ⑨

 朝野恵はもともと騎馬戦に出るつもりはなかった。

 綾乃と二人三脚がしたかったし、リレーの選手にも選ばれていたので、騎馬戦には自分以外が出るものだと思っていた。

 だから同じクラスの木下琴葉に誘われた時、恵は断ろうと思っていた。

 琴葉は地元の市立中学校で同級生だった。

 当時はあまり関わりがなかったが、同じ高校に進んだことで仲良くなった。

 彼女は黒髪のセミロングで小柄な体型をしている。

 ソフトボール部に所属している活発な性格の女子生徒だった。

 そんな彼女から恵はこう誘われた。

「わたし騎馬の上にどうしても乗りたい! 恵と一緒に騎馬戦に出たい! 恵には騎馬としてわたしを支えてほしいんよ」

 あまり乗り気ではなかった恵に、琴葉は何度も誘いをかけた。

「恵じゃないとダメなんよ。わたしどうしても勝ちたいの。そのためには恵の力が必要なの。お願い! わたしの騎馬になってくれへん?」

 恵は琴葉の熱意に根負けして、騎馬戦にも参加することになった。

 騎馬の残りの二人は琴葉の高校からの友達だという。

 二人とも恵ほどではないが琴葉よりも背が高く、騎馬になるには適任だった。

 騎馬戦の練習で琴葉は言った。

「せっかくだからわたしは積極的に攻めていきたい。だから恵たちは敵にどんどんぶつかって行ってほしいんよ」

 だから本番で恵たちは積極的な攻撃に出た。防戦に偏りがちな騎馬が多い中で、琴葉の作戦は功を奏した。恵たちは次々と相手を攻略した。

 最終的に琴葉は帽子を取られてしまったけれど、恵たちの騎馬は最も多くの帽子を獲得することができた。琴葉はそのことをとても喜んでいた。

 最後に残った騎馬は恵たちではなかったので、その功績を称賛されることはなかった。

 それでも恵たちは誇らしい気持ちになっていた。

 由佳が不服そうにしていたけれど、恵たちは満足していた。

 琴葉も「いっぱい目立つことができた!」と嬉しそうにしていた。

 騎馬戦の後、琴葉は恵たちに言った。

「ごめんね。どうしても勝ちたいと言って恵たちに負担をかけたのに、結局わたしは勝ち残ることができなかった。大丈夫? 体を痛めてない?」

「気にすんな、大丈夫だ。わたしはとても楽しかったよ」

「ありがとうね、わたしを支えてくれて。わたしもめっちゃ楽しかった」

 騎馬戦の次の種目は、クラス対抗リレーだった。恵はアンカーで走ることになっていた。

 恵は陸上部ではないので、別の人がアンカーになるものだと思っていた。

 でも、体育の授業で百メートル走をした時、陸上部の生徒たちを抑えて恵が一番になった。

 恵は、彼女たちから羨望の眼差しを受けていることをひしひしと感じた。

 特に、クラスメイトの佐久間音羽には強いライバル意識を持たれていた。音羽は背が高くて切れ長の目をした女子生徒だった。彼女の鋭い目線を恵は肌で感じていた。

 恵は、音羽が笑っているところを見たことがない。

 誰とも群れずに一匹狼で過ごしているタイプの生徒だった。

 プライドが高いせいで、よく他の生徒たちと衝突しているところを目にした。

 彼女が孤立しているのを放っておけなかった恵は、教室で声をかけたことがある。

 でも、音羽は「わたしに何か用?」と冷たく言って、すぐに教室を出て行った。

 だから恵は正直なところ、音羽のことが苦手だった。

 体育の授業でバトンの練習をする時、うまく受け取れなかった恵に音羽は言った。

「仮にもアンカーなんだから、やるべきことはちゃんとやってよ」

 恵は不安だった。このチームで本当にリレーを繋ぐことができるのか。

 でも、恵は見てしまった。小さなぬいぐるみを持って緊張している音羽の姿を。

 音羽は体育祭の当日、誰もいない教室で背中を丸めて座っていた。恵はチームメイトとして音羽に声をかけた。

「今日のリレー、一緒に頑張ろうな」

 音羽は何も言わなかった。よく見ると彼女の体は震えていた。

「緊張しているのか?」

 思わず恵は訊いた。音羽は苛立ちを隠さずに言った。

「わたしのことは放っておいてよ。あんたこそアンカーなんだから失敗しないでよ」

 でも、そう言って強がる音羽の声は震えていた。

「そんなふうに声が震えているやつを前にして、放っておける訳がないだろう」

「わ、悪かったわね。みんながわたしのことをどう思っているのかは知らないけど、陸上部のわたしが失敗するわけにはいかないから。わたしにはチームを勝たせる責任があるの。だからわたしは緊張しているのよ。それの何が悪いの?」

 恵はそこで知った。音羽は性格がキツそうに見えるけれど、不器用なだけで本当は思いやりのある良い子なんだ。だから恵は言った。

「一人きりで背負い込まないで。アンカーのわたしが絶対に勝って見せるから」

「ふん。……あ、ありがとう。おかげでちょっと気が楽になった」

 そして、いよいよクラス対抗の百メートルリレーが始まる。

 杏奈もアンカーになることを聞いていた恵は、負けられない戦いだと思った。

 今日は音羽たちみんなの思いを背負ってアンカーをするんだ。

 グラウンドに入場した恵は、気を引き締めて自分の番を待っている。

 第一走者がスタートラインに並び、ついにスタートの号砲が鳴る。恵たちのクラスは三位に出遅れてしまう。杏奈たちのクラスは四位からのスタートだった。

 バトンは第二走者に渡るが、途中で一位と二位が入れ替わるだけで、恵たちのクラスは後塵を拝したままだ。恵の目の前では音羽が体をほぐしている。

 音羽はふっと息をついて気合いを入れると、前を見据える。

 音羽の横には杏奈たちのクラスの第三走者がいる。

 彼女は杏奈たちのクラスの学級委員長だ。名前は雨宮由芽という。

 由芽とは委員会で会うので、お互いのことを知っているのだ。

 いつもは控えめな様子で髪をお下げにしている。頼まれると断れない性格で、学級委員長もクラスに立候補者がいなくて、先生からの指名で選ばれたという。

 ただし由芽のことを見ている限り、クラスメイトからの人望は十分にあるように見える。

 今日の由芽を目にして恵は驚いた。そもそも彼女の足が速いこと自体、意外だったけれど、今日の彼女はいつもの控えめな様子と違い、その目に強い光が宿っている。

 人は見かけによらないものだと恵はしみじみと思う。

 スタートラインに立つ由芽に同じクラスの杏奈が声をかける。

「頑張って! 応援しているよ」

 それに対して由芽は、いつもと違うはっきりとした口調で言う。

「任せてください。きっと良いバトンを杏奈さんに繋いでみせます」

 やがてバトンは第三走者に繋がる。

 緊張しているのか、バトンを受け取る音羽はいつもよりぎこちない。

 音羽がバトンを受け取った後、まもなく由芽がバトンを受け取る。

 由芽は次第にスピードを上げて、音羽との距離を縮めていく。

 遠くから見ていても、音羽の表情が焦っているのが分かる。陸上部なのにコンディションが悪くて、あろうことか文芸部の生徒から追い上げられている。

 音羽に感情移入して、つい手に汗を握ってしまう自分がいる。

 そして音羽と由芽は僅差となって、アンカーの恵と杏奈にバトンを繋ぐ。

 恵にバトンを渡す時、音羽は「ごめん」と小さな声で口を開く。

「気にすんな」そう言って恵はバトンを受け取る。ここからはわたしの仕事だ。絶対に勝ってみせる。そう決意した恵はスピードを一気に上げていく。

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