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老人と犬、そして戦争 ④

「ところで、みんなは何の本を読んだの?」と杏奈が尋ねる。

「わたしは歴史の勉強をしていたよ。暗記が苦手だからあんまり頭には入っていないんだけどね。帰ったらこの本の続きを読もうと思う。戦争に至るまでには当然だけどいろいろなことがあったみたいなんだ」

 恵が取り出したのは「あの戦争は何だったのか」という保阪正康の本だった。

「それもなかなか勉強になりそうな本だね。わたしもいつか読んでみようかな。確かに、ひとは歴史から学ぶ必要がある」と杏奈は言う。

「わ、わたしは戦争にまつわる小説を読んでいた。ひとがなぜ戦争をするのかはよく分からなかったけど、ひとがなぜ暴力に駆られるのかは分かった気がするよ。杏奈がさっき、人間には攻撃的な本性があると言っていたけど、それこそ人間が生き延びるために必要なんだとわたしは思う。戦争という過酷な状況では、攻撃性がないと人間はそもそも生き延びることが難しいと思うんだ」

 綾乃が取り出したのは「野火」という大岡昇平の本だった。

「その本はわたしも聞いたことがある。戦争中の人肉食が出てくる文学作品でしょう。その本もいつか読んでみようかな」と杏奈は言う。

「わたしが読んでいたのは開戦に至るまでのノンフィクションだよ。かつての日本はどうして戦争という誤った選択をしてしまったのか。その詳細な経緯が描かれているんだ。お父さんにこの前、話したんだよ。杏奈と一緒にどうしてひとは戦争をするのか勉強しに行くって。そうしたらお勧めされたのがこの本だったんだ。開戦前のシミュレーションでは日本が負けるって分かっていたのに、当時の日本政府はどうして戦争に突入したのか、それが描かれているんだって」

 由佳が取り出したのは「昭和十六年夏の敗戦」という猪瀬直樹の本だった。

「確かにそれは気になる内容だね。敗戦が分かっていたのにかつての日本は戦争に突入した。その理由が分かれば、わたしの疑問の答えにより近づけるかも知れない。どうしてひとは戦争をしてしまうのかという疑問の答えに」と杏奈は言う。

「今日のおかげで何だか光が差したよ。みんなが読んだ本も一緒に勉強していけば、わたしの知りたいことが分かるような気がするよ。みんな、今日は本当にありがとう。みんなのおかげでとても勉強になった」と杏奈は続ける。

「それなら良かった。わたしもとても勉強になったよ」と恵が言う。

「わたしも良い経験になった気がするよ」と由佳が言う。そこで綾乃が口を出す。

「と、ところで今日の本番はこれからだ。源三郎さんの話を聞きに行く」

「そうだった。今日の午後五時に待ち合わせをしているから、そろそろ源三郎さんの家に出かけよう」と杏奈が言う。

「場所はどこなんだ?」と恵が言う。

「源三郎さんは夙川沿いに住んでいるんだ。住所は源三郎さんご本人から聞いている。メモを貰っているからさっそく出発しよう」と杏奈が言う。

「駅からけっこう歩くのか?」と綾乃が訊く。

「ううん。むしろ割と近いところに住んでいるよ。スマホで場所は調べてある」

 そうして四人はマクドナルドを出て、源三郎の家に向かう。図書館のある西宮北口駅の隣が夙川駅で、そこから歩いて五分のところに源三郎の家はある。

 その家は昔ながらの古びた日本家屋だった。

「ここが源三郎さんの家か……」と杏奈が言う。

「な、何だか緊張してきたな」と綾乃が言う。

 杏奈がドアベルを押す。ピンポンという音が鳴って、源三郎の声がする。

「やあ、いらっしゃい。ちょっと待っていてください」

 しばらくして玄関の扉が開く。そこには紳士姿の源三郎が立っている。

「ようこそ、来てくれてありがとう。杏奈さんと綾乃さん。そして初めまして」

 そう言って源三郎は恵と由佳を見る。恵はすぐに頭を下げる。

「初めまして。杏奈たちの同級生で、朝野恵と言います。杏奈とは同じ部活で、綾乃とは同じクラスです。今日は、源三郎さんから貴重なお話を伺えると聞いています。本当にありがとうございます」

「ようこそ、恵さん。よろしくお願いします。私のお話がどれほど皆さんのお役に立てるのかは分かりませんが、今日は皆さんとお会いできることを楽しみにしていました」

「初めまして。同じく杏奈たちの同級生で、佐野由佳と言います。杏奈と綾乃は中学校からの友達です。今日はこのような機会をいただき本当にありがとうございます。源三郎さんのお話を伺えることをとても楽しみにしていました」

「ようこそ由佳さん。こちらこそ若い世代のあなた方とお話できる機会を頂いて本当に嬉しく思います。今日はゆっくりしていってくださいね」

 そうして源三郎は四人を家の中に案内する。

 家の中はものが少なくて、綺麗に整理整頓されている。源三郎の几帳面な性格が出ているのだろうと杏奈は思う。

 四人はリビングにあるL字型のソファに通される。ソファの前にはガラス張りのテーブルが置かれている。源三郎は四人に温かい紅茶とクッキーをふるまう。

 長い方のソファに四人が並び、源三郎は配膳を済ませると短い方のソファに腰を下ろす。

 四人は源三郎に近い方から、杏奈、綾乃、恵、由佳の順に座っている。

「こんなものしか用意できませんが、自分の家だと思って気楽にしてください」

「ありがとうございます」と四人は口々に礼を言う。

「今日は四人で押しかける形になってすみませんでした」と杏奈が言う。

「いえいえ、気にしないでください。私こそ杏奈さんたちとこうしてお話しできるのがとても嬉しいのです。独り身の老人ですから、話し相手ができることは何よりも嬉しいのです。今日は来ていただいてありがとうございます。ところで、図書館は良い勉強になりましたか?」

「はい。司書さんに本を紹介してもらって、とても勉強になりました。みんなが読んでいた本も勉強になりそうで、いつか読んでみようと思っています」

「それは良いですね。皆さんはどんな本を読まれたんですか?」

 四人はそれぞれが借りて来た本をカバンから取り出す。

「どれも良い本ですね。私はいずれも読んだことがあります。皆さんの本を合わせて読んだらとても勉強になると思いますよ。そうだ、私からも本をご紹介しましょう。有名なので読んだことがある方もいるかも知れませんが、戦争や暴力についてとても示唆に富んだ物語です」

 そう言って老人が持って来たのは、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」だった。

「わ、わたしは読んだことがあります。わたしも好きな本です。とても心に残る物語でした」と綾乃が言う。

「どんな物語なんですか?」と杏奈が訊く。

「主人公が失踪した妻を探す中で暴力と対峙していく物語です。暴力について詳細に描かれており、特にノモンハン事件における皮剥ぎの描写がとてもリアルで残酷なんです。なぜ人間は暴力に駆られるのか、その一端が垣間見えるとても良い作品です」

「そのシーンは本当にトラウマになります。わたしは去年の夏に読みましたが、その日は眠れなくなりました」と綾乃が言う。

「ノモンハン事件って何ですか?」と杏奈が訊く。

「かつて太平洋戦争の前に満州国とモンゴルの国境で起きた、日本の関東軍とソ連軍との衝突です。そこで日本の関東軍は敗北しているんですよ」と源三郎が言う。

「『ねじまき鳥クロニクル』は面白いからぜひ読んでほしい」と綾乃が言う。

「じゃあ、それも読みたい本のリストに加えておこうと思います」と杏奈が言う。

「では、そろそろ戦争について私の話を始めましょう。杏奈さんにはお話したのですが、私は戦争孤児なのです。五歳の時、私の目の前で家族は亡くなりました。そして私は孤児院で育てられるのですが、私の人生を大きく変えたのは忘れもしない昭和二十年三月十日のことです。その日、私たちは東京大空襲に見舞われました」

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