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交際ゼロ日からの、契約結婚 ~夫が抱える25の嘘~  作者: 当麻月菜
交際1日目

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99/99

2

 カァーカァーと、夕焼け空にカラスの鳴き声が響く。


 久方ぶりに足を運んだ思い出深い神社は、記憶の中より遥かにうらびれていた。


 真澄は目についた石垣に腰かけ、辺りを見渡す。手入れのされていない木々と、枯葉が積もった砂利引き庭。


 人の手が加えられていないここは、真澄を歓迎することも、拒絶することもなく、ただ静かに受け入れてくれている。


「……結局、ここに来てしまったか」


 真澄は、細く長い息を吐きながら顔を覆う。すぐに胸の辺りからカサッと音が鳴った。


 提出できないままずっと持ち続けている離婚届が、まるで真澄に「本当にこれでいいのか?」と問いかけているようだ。


 あの日──菜穂子が離婚を受け入れてくれた後、真澄は菜穂子を激しく抱いた。あまりに激しすぎて、壊れてしまわないかと不安だったが、菜穂子は自分を受け入れてくれた。


 嬉しかった。同時に怖かった。もしかしたら抱いた直後、また9歳の自分に戻ってしまうかもしれなくて。


 自分の遺体を見せるわけにもいかず、疲れ切って眠る菜穂子を残してマンションを飛び出してしまったが、結果としてそれは杞憂に終わった。


 夜明け前の街を歩きながら朝日を感じ、真澄は得も言われぬ虚無感に襲われた。


 離婚を受け入れてくれた菜穂子は、自分の手から離れてしまった。もう幸せだった日々に戻ることはできない。


 それでもやらなければいけないことはある。柊木真澄が進んできたレールは、既に多くの人を巻き込んでしまっている。


 そうわかっていても、真澄はあてどなく彷徨い、最終的にここに戻ってきた。


 この神社は、一度目の人生で5歳の菜穂子と将来を誓い合った場所だ。


 子供のままごとだと笑われそうな約束だったが、真澄はその光景を鮮明に覚えている。真夏の夕焼けの空の色も、セミの鳴き声もなにもかも。


 けれど、一つだけ思い出せないことがある。どんなふうに約束を交わしたかだ。それを思い出せば、何かが変わるような気がして、真澄はこの神社に足を運んだ。


「……思い出せるわけないか」


 石畳の階段を上がっている間に、なんとなく気づいていた。


 それでも境内まで進んだのは、半分意地で、残りの半分は祈りだった。


 だが祈りは砕かれた。真澄は失った記憶の欠片を取り戻すことはできなかった。


「まぁ……いいさ」


 求めた記憶は失ったままだが、菜穂子は死なずに済んだ。一生生活に困らない金は近々菜穂子の元に届くだろう。


 それだけで菜穂子が幸せに暮らせる保証はないが、少なくともこれまでの人生の中で最もマシな生涯を過ごせるはずだ。だから──


「これで、いいんだ……」


 そう独り言ちて真澄が自分に言い聞かせた瞬間、他の誰とも聞き違えようのない愛しい声が、しんとした境内に響いた。


「いいわけない!!」


 トレンチコート姿の声の主は、長い石畳の階段を一気に駆け上がってきたのだろうか、はぁはぁと肩で息をしている。肩にかけてある大きなカバンが今にもずり落ちそうだ。


「……そんなはず、ない」


 震えた声で呟く真澄は、中途半端に石垣に腰を浮かせたまま動けない。


 この神社は、真澄だけの特別な空間だ。彼女が来るわけがない。だってこの人生では、一度もこの地で同じ時間を過ごしていないのだから。


 でも怖い顔で大股に近づいて来るのは、真澄が心から愛している菜穂子だ。


「菜穂ちゃん、どうして?」

「どうしてって……そんなん一つしかないでしょ?」


 ふふっと笑う菜穂子は、何もかも知っているかのように落ち着き払っている。しかし、真澄は菜穂子が何をしたいのかわからない。


 困惑する真澄の前に、菜穂子は立つ。


「あのね、まあ君。突然だけど私たちって結ばれる運命じゃなかったんだと思う」


 鈍器で殴られたような衝撃が真澄を襲った。まさか、こんなことを言うためにわざわざここに来たというのか!?嘘だろ。


「っ……!!いきなりやって来て随分なことを言うな」


 精一杯虚勢を張った真澄を、菜穂子は穏やかな目で見つめる。


「うん。随分なことだよね。でも、まあ君はその運命を変えるためにずっと頑張ってくれてたんだよね」

「っ……!!」

「まあ君があのマンションから居なくなってから、私ね不思議な夢を見てたの。5歳の私が9歳のまあ君と、夏休みの間ここ……おばあちゃんちの近所で一緒に遊ぶ夢」

「嘘だ」

「嘘じゃない。まあ君、絵が上手でさ、私の似顔絵描いてくれた。虫取りも本当は嫌だけど付き合ってくれた。私の両親とお兄ちゃんと一緒に花火だってした」


 懐かしそうな顔で菜穂子が語ったのは、全て繰り返す人生の中で起きた出来事だ。


 驚きつつも、真澄の頭の中で、今頃になって菜穂子がそんな夢を見るのか、という疑問がわく。


「最初はまあ君が恋しくてそんな夢を見てると思ったの。でも違った……これは、別の私が過ごした日々なんだよね?」

「……違うと言ったら?」


 質問を質問で返す真澄に、菜穂子は肩をすくめる。


「もうっ、そう言うと思った。ま、いいよ。私、知ってるから」

「何を知ってるんだ?」

「智穂さんが教えてくれたの。まあ君が同じ人生を何度も繰り返してるって。そしてまあ君は何度も私に告って振られてるってこと」

「なっ……!」


 最悪だ。勝手に黒歴史を語るなんて情報漏洩にも程がある。


 怒り顔を隠せない真澄を見て、菜穂子は頬をポリポリと搔きながら、しゃがんで目を合わせる。


「まぁ……あの、ごめんね。んーごめんっていうのも失礼か。っていうか、私もね智穂さんからその話を聞いた時、信じられなかった。私がまあ君を振るわけないし。だからといって智穂さんが嘘を吐いてるってわけでもないし。で、色々考えて、考えて、答えがわかったんだ。まあ君は私たちの運命を変えるために、何度も人生を繰り返してくれたんだって」


 晴れやかな顔をして、凄い事を言ってくれる。真澄は今、自分がどんな顔をしているのかわからない。


 ただ一つわかるのは、これまで歩んできた人生は決して無駄ではなかったということ。


 おそらく繰り返す人生の中、真澄は模索しながら少しずつ運命を変えていったのだろう。神の領域ともいえるそれを、想いの強さだけで成し遂げたのだ。


 これまでの苦痛も、恐怖も、遣る瀬無さも──神だか何だかわからない試練だったということなら、何もかも全て納得がいく。


「はは……とんだ無茶ぶりだったな」


 肩を震わせ片手で顔を覆う真澄の頬に、幾つもの涙が滑り落ちていく。


 そんな真澄の頭を菜穂子はギュッと抱え込む。菜穂子も泣いていた。


「ごめん、ごめんね……!まあ君にだけ、辛い思いをさせちゃって!」

「馬鹿!違うっ」


 そうじゃない。自分の方が強くそう願ったから、神は自分を選んだのだ。


 神が気まぐれに与えた試練は、真澄だからこそ乗り越えることができた。


 そう伝えたくても嗚咽が邪魔して声にならない。せめて馬鹿と言ってしまったことだけでも謝りたいのに。


「──まあ君の馬鹿」


 しばらくして、菜穂子から悪態を吐かれ真澄の身体がビクッと震える。


「でも、好き」

「っ……!!」


 信じられないといった顔になった真澄の顔を覗き込んだ菜穂子は、再び口を開く。


「大好きだよ、まあ君。まあ君は、私のこと好き?」


 今更そんなことを尋ねるなんて、ちょっと……いや、かなり腹が立つ。


 子供みたいにムスッとした顔で無言を貫く真澄に、菜穂子はニンマリと笑った。


「好きなくせに、意地はっちゃって。離婚届だってさ、まだ出してないでしょ?」

「なっ、なんでそれを!?」

「だって、不受理届出しといたもん」


 ふふんっとドヤ顔を決める菜穂子は「そうすれば、まあ君から連絡来ると思ってさ」と付け加える。


 なりふり構っていられないほど自分を求めてくれていたのを知った真澄は、意地を張り続けるのが馬鹿らしくなった。


「ああ、好きだ。めちゃくちゃ好きだ!!これでいいか?」

「うん!それじゃあ、やろっか」


 満面の笑みで大きく頷いた菜穂子は、トレンチコートを脱ぐと傍に置いてあった大きなカバンをガサゴソ探り出した。


 初めて目にする真っ白なニットワンピース姿の菜穂子はとても可愛いが、やろうとしていることがさっぱり読めない。


「菜穂ちゃん、何やって……!」


 呆れ顔になった真澄だが、すぐに目を見張った。


 菜穂子がカバンの中から取り出したのは、レース地の振り袖。それに袖を通した菜穂子は、白無垢姿の花嫁のようだ。


「智穂さんがね昨日通販で注文しといてくれたんだ。結婚のお祝いだって」

「は?結婚??」

「そう。今から式を挙げるから」


 菜穂子の軽い口調で言ったその言葉に、真澄の閉ざされていた記憶のふたが開く。それは真澄が失った記憶の欠片だった。


「まあ君、行くよ」

 

 菜穂子に手を引かれて一歩一歩進むごとに、記憶が蘇る。


 そうだ、あの日──菜穂子がこの町を去る前日。こうして菜穂子に手を引かれ、この神社に来た。そして約束をした。20年後、菜穂子が25歳になったら結婚をしようと。


「神様ぁーーーー、私は今日で25歳になりました!!まあ君も29歳になってます!だから、結婚します!!まぁちょっとフライングしたけど、それは練習です!今日から本当の夫婦になりますので、見守っててくださぁーーーーーーい!!」


 両手を掲げて宣言する様は、10年前のあの夏と同じだった。


 でも9歳の真澄は破天荒な菜穂子の言動に度肝を抜かれるばかりだったが、今はその仕草一つ一つが愛しくてたまらない。


「よしっ!んじゃ、帰ろ。智穂さんケーキ作って待っててくれてるんだ」


 無邪気に笑いかける菜穂子と、在りし日の幼い菜穂子の笑顔が重なる。


「俺は、心配かけたから謝らないといけないな」

「んー……もしかしたらだけど、智穂さんからのお説教さ、免除されるかもよ?」

「どうして?」


 首を傾げた途端、菜穂子に腕を引かれ真澄は膝を折る。すぐに、とんでもないことを耳打ちされた。


「はぁ!?山南が智穂さんにプロポーズだと!?」


 夕焼雲まで届きそうな真澄の叫び声と、菜穂子の笑い声が重なる。


「あははっ、ビックリしたでしょ?智穂さん、真っ赤になっちゃったけど、ちゃんとOK出したよ。ねぇ、お祝いにうちらもケーキか花束を買ってこ」

「そうだな。どデカいやつを贈ろう」


 大きく頷いた真澄に、菜穂子が「それじゃあ、急ごう」と手を差し伸べる。


 その手を真澄は強く引いて、菜穂子を強く抱きしめた。


「菜穂ちゃん、今日からよろしく」

「こちらこそ。まぁ君、私を諦めないでいてくれてありがとう。今、すごく幸せ」

「俺もだ」


 感極まった真澄は、菜穂子を更に強く抱きしめて目を閉じる。


 互いの鼓動を感じる中、真澄はもう一つの音を確かに耳にした。


 ──カチ、チッ……チッ……チッ……


 それは止まっていた真澄の魂の時計が、再び動き出した音だった。


<おわり>


最後まで読んでくださりありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
意外な展開で面白かったです。 この後どうなるのかなって言うのが幾つかあるので続きが読みたいです。
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