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真澄が消息を絶った──それに気づいたのは、真澄に抱かれてから二日目を迎えた朝だった。
私物は置きっぱなしで、マンションを去った形跡はない。でも大財閥の御曹司なら、身の回り品を一式揃えるくらい楽勝だ。
きっと新しい住まいに移ったんだな。
菜穂子はそう思い込もうとした。けれど真澄の運転手である山南がマンションまで尋ねてきたり、智穂が真澄がいないことに酷く驚く様を見て、これは只事ではないと気づいた。
しかし真澄の立場上、気軽に捜索願を出すのは憚れる。
悩んだ末に菜穂子は、智穂にこれまでのことを全て話すことにした。全てを話し終えた後、智穂は「こりゃ家出だ……」と呆れ顔になった。
大の大人が家出なんかするわけがないし、そもそも真澄は家出をする理由がない。
けれど真澄と長い付き合いのある智穂が家出というなら、その可能性は否定できない。何より、今の菜穂子が頼れるのは、智穂だけだ。
そんなこんなで、菜穂子なりに真澄と連絡が取れるよう手を尽くしたが、一向に足取りはつかめない。
表面上はいつも通り過ごしてる菜穂子だが、この2週間、心配し過ぎて完全に寝不足を通り越してフラフラ状態である。
「──……おかしい」
スマホの画面を凝視しながら、菜穂子は首を傾げる。
もういい加減、真澄から連絡があってもいいはずなのに、全く音沙汰がない。
「菜穂子さん、とりあえず朝ごはん食べたら?」
キッチンカウンターから身を乗り出した智穂が、リビングのラグの上で胡坐をかいている菜穂子に声をかける。
「でも……」
「菜穂子さんの大好きなアオサの味噌汁と、明太子入りのだし巻き卵が冷めちゃうわよ」
「い、いただきます!」
ダイニングテーブルに並べられたホカホカの白米と、手の込んだ料理を視界に入れた途端、菜穂子は立ち上がった。
真澄より智穂の手料理を選んだわけじゃない。腹が減っては戦ができぬ精神からである。
「菜穂子さん、食べながらでいいから聞いてもらえる?」
「っ……ふぁい!」
ご飯を飲み込みながら頷けば、智穂は温かいお茶を菜穂子の前に置きながら、向かいの席に座る。
「私ね、真澄さんがいそうな場所に心当たりがあるから、ちょっと今から行ってくるわ」
「え!?い、今から……ですか?」
「ええ。夕方には着けると思う。それでね、もしそこに真澄さんがいたら菜穂子さんに連絡する。で、無理言って悪いんだけど明日有給を──」
「取ります!取ります!!」
二つ返事で頷いた菜穂子に、智穂はあからさまに安堵の表情を浮かべた。
「ありがとう、菜穂子さん……ほんと、あの馬鹿のせいで」
「いえいえ。まあ君が生きてさえいてくれれば、それで」
「出来たお嫁さんね。真澄さんには勿体ないくらい。どう?今からでも私に乗り換える?」
「あははっ、法改正したら考えときます」
真澄が雲隠れしてから、智穂とは色んな話をした。お陰でびっくりするほど、距離が近くなった。
だから今の菜穂子は、智穂が真澄の保護者代わりの存在でしかないことを知っている。そして智穂が、人の魂の形を見ることができる能力を持っていることも。
「智穂さん……出発前で忙しいっていうのはわかってるんですが、聞いてほしいことがあるんです」
箸を置いて姿勢を正した菜穂子は、真っすぐ智穂を見つめる。
「うん。何でも話して」
穏やかに微笑む智穂は、もしかしたら菜穂子が何を話したいのか既に知っているのかもしれない。
でも、いざ口にするとなると、ちょっと勇気がいる。
「これから話すことは自分でも信じられないし、馬鹿みたいだって思われるかもしれないんですけど……」
「大丈夫。私は菜穂子さんの話を全部信じるよ」
緊張してテーブルの上で痛いほど強く組んだ指を、智穂はほぐすように優しく撫でる。
その温もりが背中を押し、菜穂子は口を開いた。
「実は私、夢を見たんです。私とまあ君が──」
細切れの睡眠の中で見た数々の夢の話と、菜穂子が勝手に立てた推測を聞いた智穂はコクリと唾を吞む。
「だから私、やっぱり智穂さんの連絡を待たずに有給取って一緒に行きたいんです。だって明日は──ですから」
語り終えて、菜穂子は智穂の返事を待つ。
一拍置いて、智穂は大きく頷いた。
「そうだね。なら、一緒に行こう。それがきっと一番いい」
「はい!じゃあ、準備してきます!」
弾けるように席を立った菜穂子は、手早く手荷物をまとめる。
リビングに戻るとダイニングテーブルは綺麗に片づけられていたが、智穂はなぜかスマホの画面と格闘していた。
「えっと……準備できました」
「そう。ちょっと待ってねっ……えっと…あ、あ!……よしよし、よし!」
ブツブツ言いながら、智穂は何かの処理を終えたようだ。すごく気になる。
しかし智穂は「内緒!後でわかるから」と言って、上着とカバンを持って玄関に向かう。菜穂子も智穂の後を追った。
マンションのエントランスを出た二人は、タクシーを拾って駅に向かう予定だった。
しかしそれを阻止するように、見覚えのある黒塗りの高級車が停まっていた。
「乗ってください」
運転席から出てきたのは、予想通り真澄の運転手の山南だった。
絶妙な登場に有り難いと思いつつ、いいのかな?という思いから、菜穂子も智穂もその場に立ち尽くしてしまう。
「私は柊木真澄様の専属運転手です。雇用主を迎えに行くのに、私を使わないなんてどういうつもりですか?とはいえ真澄様がどこにおられるのかわかりませんので、道案内はお二人にお願いします」
淡々と感情を乗せぬ声だが、揺るぎない意志を感じ取った菜穂子は、智穂の腕を掴んで後部座席に乗り込んだ。




