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「……菜穂ちゃんが危険な目に合ったのは、全部俺のせいだ。俺が未来を考えるのが嫌で、煩わしくて、適当にあしらっていたから菜穂ちゃんを傷つけてしまった。すまない」
そんなわけあるか、と菜穂子は怒鳴りたい気分だが、それをグッと堪えて真澄の言葉に耳を傾ける。
「怖いんだ……すごく……。あと一ヶ月でこの生活が終わりになる。でも一ヶ月の間、菜穂ちゃんがもう危険な目に合わないという保証はない。このマンションに閉じ込めておきたい。誰にも会わず、ただ俺だけを待っててほしい。それが一番安全だから……」
それは、とてもとても眩暈を覚えるような提案だ。
嬉しさと呆れと、若干の恐怖を覚えた菜穂子を真澄はジッと見つめ、悲し気に微笑んだ。
「だがそれは、俺の自己満足でしかない。でもな……そんな自分勝手で最低な衝動を抑えられないんだ。だから俺がクズ野郎になる前に……菜穂ちゃんを手放したい」
なによそれ。この理由が、一番自分勝手じゃん!
こんなことなら理由を教えてくれたら離婚届を書くなどと言わなければ良かった。しかし約束は、約束だ。
「教えてくれてありがとう。わかった。離婚届書くよ。まあ君のことだから、もう用意してるんでしょ?持ってきて。私も印鑑取ってくるから」
「ああ」
即答した真澄は、ソファから立ち上がって自分の部屋に向かった。
そのフットワークの軽さに、菜穂子はクッションを投げつけたくなる。でも、菜穂子が取った行動は、部屋に戻って印鑑を探すことだった。
──数分後、離婚届の夫婦欄が埋まった。
「これ、まあ君が出す?私が役所に行ってこようか?」
「いや。俺が出してくる」
「そ。じゃあ離婚の話はこれで終わりだね」
「いや、財産分与が──」
「そんなのいらない……でも、さ」
真澄の言葉を遮ったものの、菜穂子は一つだけ望みがある。
それを知った真澄は、驚くことはあっても拒むことはないだろう。
絶対の確信を持っている菜穂子は、真澄の肩を押してリビングの床に押し倒す。
「菜穂……ちゃん?」
口調こそ戸惑っているが、真澄は馬乗りになった菜穂子を押しのけたりしない。
真澄の目は熱を帯びて、潤んでいる。コクリと唾を飲む仕草が色っぽくて、誘っているはずなのに、誘われてるような妙な気分にさせる。
「お金も、不動産も、なぁーんにもいらない。その代わり、抱いて……っ……!」
ちょっとは言い訳されたり、予防線を引かれたりすると思っていたけれど、真澄は菜穂子の頭を引き寄せ口づけをした。
真澄は気づいているのだろうか。菜穂子が一度も智穂の名を出していないことを。そして真澄も智穂の名を出していない。
菜穂子をゴネさせず離婚したいなら、智穂と結ばれたと嘘を吐けばいいだけなのに。
皮肉なものだ。嘘まみれのプロポーズに始まり、嘘で塗り固められた新婚生活。でも終わりを迎えた今、互いに気持ちをさらけ出すなんて。
それからは、言葉なんて不要だった。吐息だけが響くリビングで、互いに貪り合った。
途中で真澄の寝室に連れていかれたけれど、部屋を見渡す余裕なんてなかった。
熱くて、激しくて──身体全部で、真澄は己が抱く想いを菜穂子に伝えていた。菜穂子もそれに応えるように、真澄の全てを受け入れた。
*
翌朝、真澄の寝室で菜穂子は目を覚ました。身体は久しぶりのアレのお陰でギシギシである。
隣で眠っていたはずの真澄の姿はなかった。リビングにも、浴室にも。
真澄は外出したのではなく、消息を絶った──菜穂子がそれに気づいたのは、2日後だった。




