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真澄と仲直りしたからといって、菜穂子の生活が大きく変化したわけじゃない。
毎日出勤して、帰宅し、智穂の手料理に舌鼓を打つ──その繰り返し。
けれど、その平坦な日常の中に、真澄が当たり前のようにいるようになった。
おはよう、おかえり、おやすみなさい。そんなありきたりな挨拶を交わし、とりとめのない雑談をする。
少しぎこちなさを残す二人の会話は、結婚生活当初に戻ったみたいだが、以前のような境界線を引くことはなくなった。
無論、誰にでも触れてほしくないところや、踏み込んではいけない部分はある。夫婦とて、何を言っても許されるわけではない。
そこをちゃんと弁えて、相手を深く理解しようと努力することが、夫婦生活なんだろうなと、菜穂子はここ最近やっと気づくことができた。
一方、真澄といえば相変わらず多忙の日々を送っている。残業も多いし、短期出張もある。でも、週末だけは絶対に休みを取ってくれている。
なんの予定もない休日、リビングでダラダラと映画鑑賞をしたり、近所を散歩したり。
疲れているのに、自分のために時間を割いてくれる真澄に、むず痒い想いを抱きつつ、菜穂子は募る想いを感謝の気持ちにすり替え続けた。
そんな日々が続き、気づけば8月も終わろうとしている。
このまま穏やかに、緩やかに、契約期間が終わればいい。別れるときはきっと辛いし、悲しいけれど、いつかそんな気持ちすらいい思い出になる。
そんなふうに達観した気持ちでいた菜穂子だけれど、世の中そんなに甘くなかった。
*
晩夏の日差しが都会に降りそそぎ、行き交う車の音すら歪んで聞こえる。
今年の夏もまた、最高気温を更新したらしい。おめでたくもないし、有難くもない。でも入道雲を見ると、心がのびのびとするから不思議だ。
きっと何度も過ごした夏休みが、楽しかったせいなのだろう。
そんな結論に至った菜穂子は、足を止める。ショーウィンドウに映る自分は、涼し気な白と水色のストライプ柄のワンピ-ス姿。我ながら良く似合っている。
しかし菜穂子は、ガラスに映る自分の胸元しか見ていない。真澄から贈られたネックレスが輝いているからだ。
波紋模様の美しい緑色の石──マラカイトをはめ込んだ細いチェーンのネックレスは、色白の菜穂子の肌に良く映える。
これは病院で真澄と仲直りをして車に戻ってすぐ、彼のアタッシュケースから取り出された。
『これ、出張先で見つけたんだけど……菜穂ちゃんに似合うと思って……』
おずおずと差し出されたこれが、真澄なりに仲直りのきっかけを作ろうとした証だというのは訊かなくてもわかった。
『ありがとう。大切にするね』
そう言って両手で受け取った菜穂子の胸は、幸せに満たされていた。
高価なものを贈られたことより、真澄が自分のために悩み、選んでくれた事実が──。




