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菜穂子が憂鬱な日々を過ごしていても、職場のデザイン事務所の経営はすこぶる順調だ。
柊木グループから受けた仕事はこれ以上ないほど宣伝となり、今までコンペにすら参加できなかった企業からもお声がかかるようになった。
そのおかげで忙しさは相変わらずだが、アルバイトを雇うことができたので仕事はこれまで以上のスピードで仕上げることができている。
ただ受ける仕事量と事務所の広さが比例しないのが唯一の不満だが、貧困経営を経験しているスタッフは、当分このままでいいという見解だ。引っ越しする時間がないのも、現状維持を選んだ理由の一つでもある。
「おーい、みんなぁーちょっと手を止めてもらっていいかな?」
夕方の追い込み時間だというのに、のんびりとした所長の声が事務所に響いて、スタッフ一同は手を止めずに、視線だけをそこに向ける。
つまらない内容だったら、ただじゃおかないぞ。そんな視線を四方から注がれ、所長はやや怯えながら机の引き出しから封筒を取り出した。
「実はね、H&Mデジタルから祝賀会の案内状が届いたんだ」
封筒の中身を取り出して見せる所長に、スタッフはカタカタとキーボードを叩きながら「おめでとうございます」と、雑な返事をする。
すぐさま所長は、バンッと机を叩いた。
「ちょっと!みんなもっと真面目に聞いてっ。こっからが本題なんだからさっ」
滅多にない所長の強い主張に、スタッフ一同はようやっと仕事の手を止めて聞く姿勢を取る。
「開催日は、来週の金曜日。ゴールデンウイーク前でバタバタだと思うけど、行きたい人!」
希望者は手を挙げて、と所長は声をかけるが、誰も手をあげる者はいない。
そんな中、アルバイトの水越美都がおずおずと挙手をしながら発言した。
「……あの、こういうのって所長が行くべきじゃないんですか?」
誰もが思ったが口にしなかったことを発言できる美都は、青紫の髪色が斬新な19歳。いつか自分のブランドを立ち上げることを夢見る服飾系専門学校生だ。
物怖じせず主張できるのは特技だ。いつか将来役に立つだろう。少なくとも今、スタッフの気持ちを代弁してくれたことには感謝している。
一方、所長といえば──
「いやぁー、そうなんだけどさ、僕さ、ちょっとこの日……デートなんだよね」
はにかみながらカミングアウトした所長は、頬も耳も赤い。
「あ、えっと……おめでとうございます」
一番最初に祝福したのは、事務所イチ他人に無関心の航平だった。
後に続いて稲富と渡辺も「おめでとう」と拍手を送る。無論、菜穂子も。
「それじゃあ、恨みっこなしでくじ引きで決めよっか」
「オッケー、割り箸あるよー」
「あ、印付けるの、これペン使ってください」
稲富の提案に、渡辺がガサゴソと自分の机の引き出しを漁りだす。菜穂子は空気を読んで、ペン立てから油性ペンを渡辺に差し出した。
それから15分後。公平なくじ引きの結果、H&Mデジタルから祝賀会の参加者は菜穂子と航平に決まった。




