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交際ゼロ日からの、契約結婚 ~夫が抱える25の嘘~  作者: 当麻月菜
妻の矜持

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10

 完全に美佐枝と純玲の気配が消えたのを確認した菜穂子は、あはははっとお腹を抱えて笑い出す。


 我慢してた分、無駄に声が大きくなり、おっさんみたいな笑い声だ。それがツボに入って更に笑うという謎の現象に、菜穂子は上手く息ができない。


「ひぃ、ぅ……っ……あはっ、あははっははっ……!く、苦し……!」

「菜穂ちゃん、落ち着け。とりあえず水飲め」

「う、うん……あはっ……っ……!」


 冷たい水が入ったグラスに口をつけた瞬間、また噴き出した菜穂子を、真澄は軽く睨む。お陰で笑いがおさまった。ありがとう。


「……ふぅ、死ぬかと思った……」


 水を一気飲みして落ち着きを取り戻した菜穂子は、真澄に視線を向ける。


 彼は何かに耐えているような表現を浮かべていた。


「あ、まあ君……怒ってる?」


 やらかした自覚がある菜穂子は、おずおず真澄に尋ねる。


「まさか」

「そう……?でも……なんかさ……」

「うん?」

「私に言いたいことがあるような気がして、さ……」


 先の言葉を紡げなくなった菜穂子は、真澄から逃げるように、空になったグラスをシンクに置こうと身体の向きを変える。その瞬間──


「逃げないで、菜穂ちゃん」

「っ……!!」


 腕を掴まれたと思った次には、真澄に息もできないくらい強く抱きしめられていた。


 驚いた菜穂子の手からグラスが滑り落ちる。


 幸いグラスが落ちた先はカーペットの上なので、トンッコロコロ……とくぐもった音を立てただけだった。


 割れなくて、良かった。いや、良くはない。この状況が。


「……ま……まあ君、くるし……」

「ご、ごめん」

 

 慌てて真澄は腕を緩めるが、菜穂子を自分の胸から開放する気はない。


「菜穂ちゃん……」

「なあに?」

「ありがとう」


 耳に注ぎ込まれた5文字に、真澄のたくさんの想いが凝縮されていて、菜穂子の胸が震える。


「俺、さ……」

「うん」

「今日のこと死んでも忘れない」

「っ……!」

「絶対に忘れない」


 心に深く刻むように言った真澄は、そのまま菜穂子の肩に頭を乗せる。


「菜穂子ちゃん……ごめん。少しだけこのままでいてくれ」


 嫌と言ったら、死んじゃうような声でお願いするなんて、ずるい。


 こっちは、真澄の髪が頬に当たってくすぐったいし、落ちたコップを今すぐに拾いたいし、智穂への罪悪感で胸がズキズキと痛むのに。


 ──もうっ、どうなってもわからないからね!


 踏みとどまるなら今しかないのに、菜穂子はブレーキをかけずに真澄の背に腕を回した。


「いいよ。好きなだけどーぞ」


 菜穂子のわざとらしい明るい口調は、最後の予防線だ。真澄がそれに気づいたかどうかはわからない。


 ただ真澄は、しばらく菜穂子の肩に顔を埋めたまま動かなくなった。


 真澄が顔を上げたのは、コーヒーがすっかり冷めてから。そして菜穂子の片側の肩は、しっとりと濡れて冷たくなっていた。

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